日本語で「モテる」という言葉がある。「モテる」とはどういう意味だろう。「モテる」ということと「愛される」ということはどう違うのだろうか。言葉の定義を調べてみると、「もてる」とは「持つ」の可能動詞だそうである。つまり、「もてる」は「持てる」=「持つことが出来る」であって、かつ、これは受動態=「持たれる」ではないらしい。では、ここで言う「持てる」とは何が持てるのだろうか。人気とか、好意とか、そういうものだろうか。それにしても、今日、日常会話で使われる「モテる」とは若干ニュアンスが違うような気がする。そこで、上の2種類の言葉を、それぞれ、両者を以下のように定義してみたら、どうだろうか。
「愛される」:=「他人から自分自身(人格)が好まれる」
「モテる」:=「他人から自分の所有物が好まれる」
ここで、「所有物」とは、その人が持つもので、本質的ではないもの。例えば、容姿の美しさ、名声、学歴、家柄、所得、財産、高級スポーツカーなど。なお、ここで、「人格」はその人自身のことであって、その所有物ではないとする。つまり、「人格」:=「人間の本質」。そう考えてみると、ある人がモテるというのは、他人とその人の所有物との間に関係が生じることであって、その状況において、当の所有者とは直接関係のないことになる。


例えば、今ここにとても容姿の美しい女性(A子さん)がいたとしよう。彼女がそれによって、回りの多くの男性からモテたとしよう。その状況において、何が起きているのかといえば、「多くの男性」と「その女性の美しい容姿」との間に「前者が後者を求める」という関係が生じているというだけのことだ。そして、その状況において、人格としての彼女はまったく蚊帳の外なのだ。そう考えてみると、人間にとってモテるということは、それ自体には何の価値もないのだ。しかし、それでも、モテる人は他人からうらやましがられる。それは何故だろうか。それは、「モテる」ことが「愛される」ことに繋がる可能性が高いからだ。人間にとって、『愛される』と言うことは、えも言われぬ価値がある。要するに、
命題1 「モテる人は愛されやすい。」
しかし、これはあくまでも可能性であって、実際に愛されるためには、以下の条件が満たされなければならない。
条件1 「その人自身の人格が好ましいこと。」
もし、A子さんがどんなに美しかったとしても、人格に問題があれば(性格が悪ければ)、モテることはあっても、愛されることはないわけだ。


そう考えてみると、モテる人は案外不運なのではなかろうか。モテる人は、モテる(属性がある)が故に、いろんな人たちから求められる。実際には、その人自身が求められているわけではないのだが、その人の好ましい属性に目が眩んだ人たちは、それを得るために言葉巧みに近づいてくる。また、彼らのうちのある人たちは、本来はそのモテる人と相性がまったく合わないのにもかかわらず、調子を合わせて近づいてくる。モテる人も、そのモテる経験の豊富さから、大抵の下心は見破ってしまうが、相手の方が一枚上手であれば、結局は騙されてしまう。騙されて始まった交際は、騙した側の人間が、そのモテる人の属性に飽きて、騙す(調子を合わせる)のを止めた時点で破綻する。結論を言えば、モテる人は他人に振り回されるという不運に陥りやすい。


ところで、命題1が真だからといって、以下のように言えないわけではない。
命題2 「モテない人が愛されないわけではない。」
なぜならば、ある人が他人から愛されるためには、その人の人格が好ましければよいのであって、モテるような属性を持っていることが必須ではないからだ。しかし、それでも、ある人が愛されないのは、以下のふたつのどちらか、あるいはその両方に原因があるからだ。
原因1 「その人の人格に問題がある(性格が悪い)から。」
(命題3 「性格の悪い人は愛されない。」)
原因2 「その人の人格が他の人たちに知られていないから。」
(命題4 「知らないものを愛することはない。」)
(命題4’ 「知られていないものが愛されることはない。」)
だから、愛されないことで悩んでいる人は、愛されるためにモテなくても、自分の人格を好ましいものにし、自分の人格が他人に知られるように心がければよいのだ。つまり、愛されるためには、好ましい印象を与えるような自己紹介や気持ちのよい挨拶をするように心がけていればよいのだ。モテることは、愛されない原因2を解決するために好都合ではあるが、必ずしも必須ではない。