人間が生きていくうえで、忍耐力は大切なものである。忍耐力があれば、人間はどうにか生きていける。そんな気がする。しかし、こんな話を若い人にすると、あまり聞いてもらえないのではなかろうか。
「忍耐力なんて、そう身につくものじゃないですよ。」
「何で我慢しなければならないんですか。」
「苦しい思いをしてまで、生きていたくありません。」
何か、そんなことを言われそうな気がする。それに対して、私が思うことを述べると、忍耐力というのは、以下の2種類に分解することが出来るのではないだろうか。
1.忍耐するエネルギー
2.忍耐するスキル
つまり、忍耐力というのは、上の2つの要素の混合物なのではないだろうか。そして、先述のように「自分は忍耐力なんて身につけられない」と言っている若者は、おそらく、忍耐力というものを前者のイメージでしか認識していないのではないか。それに対して言えば、忍耐力というものは、前者よりも、むしろ後者の方が重要なのではないだろうか。これは、私が今日まで生きてきた実感なのだが。


こう考えてみよう。あるところに、ひとりの美しい女性がいた。そして、その女性に二人の男性、AさんとBさんが恋をした。そして、二人ともその女性に熱を上げて、それぞれプロポーズしたのだが、実はその女性は性悪な女性であって、二人はそれぞれひどい目にあって振られてしまった。そのとき、Aさんはただひたすら、彼女に対する憎しみや己の悲しみを押し殺して、苦しんで苦しんで耐え忍んだ。それに対して、Bさんは、自分が彼女に振られた話を会社の同僚に面白おかしく語って、次の日にはすっかり忘れてしまった。
つまり、Aさんは忍耐するエネルギーで失恋の悲しみを押さえ込んだのに対して、Bさんは忍耐するスキルでこれを受け流したわけだ。


私は、忍耐力のある人には必ずしも超人的な忍耐力(忍耐するエネルギー)がある訳ではないと考える。むしろ、忍耐力がある人というのは、Bさんのように、悲しみや苦しみを受け流すスキルを身につけている人なのではないか。(逆に、Aさんみたいなやり方をすると、かえって腹の中に悲しみや苦しみが残るだけではないか。)そして、そのスキルというのは、案外、マニュアル化できるほど単純なテクニックの寄せ集めなのであって、誰でも身につけられるものなのではないだろうか。ただ、それを身につけるという発想が世の中に少ないだけなのではないか。苦しみや悲しみからなるべく解放されたいと思う人は、ちょっと意識してそういったテクニックを身につけてみるといいのかもしれない。