○幸運な肩書きを並べる人たち。不運な肩書きを並べる人たち。自律的ではないという点において、両者はともに共通している。

○他人に付きまとわれているのは、あなたではなくて、あなたが掴んでいるその幸運。その幸運を手放すと、あなたは誰からも付きまとわれなくなるだろう。しかし、それと同時に、誰からも相手にされなくなるかもしれないが。あるところに、A子さんという美しい女性がいた。A子さんはインターネット上でブログを開設していた。ある日、A子さんはブログで自分がしばしば見知らぬ男性から付きまとわれて困ると書いた。すると、それを読んだ人が、コメントを書いた。
「それならば、あなたのその美しい顔写真を掲載しなければよいのでは。」

○幸運は常に過去に属する。幸運は確定しなければならないから、常に過去の遺物である。「宝くじが当たった」には価値があるが、「宝くじが当たる(かもしれない)」には必ずしも価値はない。幸運とは、可能性の実現であると同時に可能性の否定でもある。それに対して、幸福は時制や可能性とは関わりがない。

○幸運を求める人のあとを不運がついていく。

○運命は変えられないが、運命に対する解釈は変えることが出来る。

○幸運はいわば幸福モドキである。
○私の宝くじが当たると言うことは他人の宝くじが外れると言うことであるが、事故の多いカーブで私が事故を免れるということが他人を事故に陥れると言うことではない。当選率は固体だが、事故率は固定ではない。では、どちらが本物の幸運か。