○人間は価値を追い求めて生きている。あるものに価値があるかどうかは価値観によって測られる。価値観には、人が生まれつき持っているものと、そうでないものがある。生まれつき持っている価値観は天然の価値観であり、それは欲望を基にしている。つまり、食欲、性欲、睡眠欲などを満たすかどうかで測られる。それに対して、生まれつき持っていない価値観は人工的な価値観であり、それは人工物を評価することで得られる。人工物に価値があるかどうかは、絶対的に測られるのではなくて、相対的に測られる。同じジャンルに属する、2つ以上の人工物の優劣の差を見るとき、そこに人工物に対する人工的な価値観が生じる。

例えば、「書」に絶対的な価値があるかどうかは賛否両論ある。
(「書に一体何の価値があるんですか。紙に字を書いているだけじゃないですか。字なんて、今どき、プリンタで印刷すればいいんですよ。」)
しかし、「上手な書」が「下手な書」より相対的に価値があるのは確かである。人間は様々な人工物の価値の差を見るうちに、人工的な価値観を養っていく。なお、人工的な価値観の養成は義務ではないから、どこまでそれを養うかは人によって差がある。ある人工的な価値観を持たない人は、その種の人工物を見て首をひねる。
(「これの一体どこがいいんでしょう。」)
その価値観を持つ人は、その価値観を持たない人を前にして、説明に困る。
(「えっ、いいと思いませんか。」)

○人工的な価値が物によって測られるとき、それは「(人工)美」と呼ばれる。人工的な価値が行為によって測られるとき、それは「徳」と呼ばれる。美と徳は似ている。人間が動物と大きく異なるのは、この人工的な価値観を持っている点にある。

○ある人(Aさん)はあることをみっともないと思う。別のある人(Bさん)はそれをみっともないと思わない。それらを見てさらに別のある人(Cさん)は考える。
「それらは価値観の違いである。」
そうではないだろう。AさんとBさんの、お互いの価値観が違っているのではなくて、BさんにはAさんと同じ価値観がないのだ。