○価値には2種類ある。
1.原価値
2.それ以外の価値

原価値とは、それ自体に価値のある価値である。原価値とは、真のマスター(原版)であって、それは何物にも変えられない。原価値には、等価交換性がない。原価値には、必ず前例がない。

原価値ではない価値とは、それ自体に価値のない価値である。
原価値ではない価値とは、原価値の複製である。
原価値ではない価値には、等価交換性がある。
原価値ではない価値には、必ず前例がある。

(上で言うマスターとは、レコード会社が保管している音楽のマスターテープなどを差しているわけではない。
例えば、特許においては、発明の内容がマスターであって、特許書類という複製可能な紙切れがマスターなわけではない。特許書類を原文どおりに複製したところで、文面が複製されるだけのことであって、特許権まで複製されるわけではない。なお、デジタル・マスターとそのコピーは全く同じものであるから、そもそもマスター、コピーという区別自体があり得ない。)

例えば、お金はいろいろなものが買えて便利ではあるけれども、それ自体に価値があるわけではないという点において、原価値ではない。お金に等価交換性があるということは、言い換えれば、それぞれのお金には固有の価値がないということでもある。そう考えた上で、以下述べるのだが。

○価値を作り出すということと、お金を儲けるということは別の話である。価値を作り出しても、必ずしもお金が儲かるというわけではない。お金を儲けている人が、必ずしも価値を作り出しているわけではない。例えば、転売でお金を儲けることも可能である。

○私はブログに文章を書いている。一つ一つはそれほど大きな価値は感じられないけれども、何年か書いたものを集めてみるととても価値のあるものに見える。そのとき、私はこう思うのである。
「もし私が今日までこれらを書いていなかったらどうなっていたであろうか。」
自分固有の価値を作り出せる人はそれを優先して生きる方がよい。他人はあなたの価値を作ってはくれないし、あとからお金でまとめて買うことも出来ない。

○「価値のある人生」とは、正確に言えば、「原価値のある人生」である。「原価値のある人生」とは、「日々原価値を作り続ける人生」である。日々こつこつと原価値を作り続けてきた人だけが、原価値のある人生を過ごすことが出来る。

○世の中には、同じ人生の時間を遣って、転売や株の売買でたくさんお金を儲ける人もいる。しかし、いくらたくさんお金を儲けたところで、原価値を掴まなければ、原価値のある人生は得られない。そして、お金儲けに自分の人生の多くの時間を割いた人は、それだけ自分の原価値を創造する時間を削ったわけだから、最後にはお金で他人が作り出した価値を買って慰めとするぐらいしか、自分の人生の落としどころがなくなってしまうだろう。それは本人にとってむなしかろう。

○既存の音楽を聴くだけで過ごす人生よりは、既存の音楽を自分で歌ったり演奏したりする人生の方がよい。そのためには、自分の人生の時間を削って、上手く歌えるようになったり、楽器の演奏が出来るようにならなければならない。既存の音楽を自分で歌ったり演奏したりするだけの人生よりは、自分で作った歌を自分で歌ったり演奏したりする人生の方がよい。そのためには、さらに自分の人生の時間を削って、作曲能力を身に付けなければならない。

○(他人が作った)価値を自由に味わえる人生は、必ずしも価値のある人生ではない。金持ちが海外旅行に行くとき、有能な翻訳者(通訳)を買う(雇う)ことは出来るが、自分の翻訳能力を買うことは出来ない。それは、自分の人生の時間を削って、自分で身に付けなければならない。海外旅行者にとって翻訳能力は原価値である。

○価値が懼・ある懼・ということ。「価値がある」とはどのような状態を指すのか。「豚に真珠」、「猫に小判」というように、価値が手元にあるだけでは、本当の意味で価値が懼・ある懼・とは言えない。まず、自分自身の価値観によって、その価値が認識できなければならない。

○自然界にない価値は、自然界にない価値観によって認められる。道徳的な価値は自然界には存在しないので、その価値観も人間が作り出さなければならない。

○紙と鉛筆から価値を生み出すことが出来る。

○価値はお金で買えることもあるが、価値観はお金では買えない。それは自分で育てなければならない。

○金の卵を産む鶏が産む金の卵とは原価値のことであるが、これは大低の人にとってはどうでもよいものである。原価値が世間的な価値に変わるのは加工されてからである。それゆえに金の卵を産む鶏も大低の人にとってはどうでもよいものである。私は原価値を愛する。

○盗賊が砂漠から秘宝を見出すことがあるように、悪人が人生から真理を見出すことはある。秘宝の価値によって発見者の価値が決まるわけではないように、真理の価値によって発見者の価値が決まるわけではない。よいことは言う人がよい人であるとは限らないことは以前にも述べた。

○価値は外部から得られるが、価値観は外部からは得られない。価値のために価値観があるのか、価値観のために価値があるのか。価値は偶然得られることもあるが、価値観は偶然得られることはない。

○要領のよい人や調子のよい人にセンスがないのを見ると、さもありなんと思う。要領のよさとは労せずして価値を得ることだが、それで新たな価値観が得られるわけではない。ピカソの絵が買えるほどの大金持ちになった人が、肝心のその絵のどこがよいのかが分からず首をひねっているのは、さもありなんと思う。

褒めてもらうことに価値があるのではなくて、理解してもらうことに価値があるのだ。
○使えるものには価値はない。使うものに価値がある。
○ダイアモンドが存在する。ダイアモンドに価値が存在する。「存在する」は常に同じことなのか。
○価値についての誤認はあるが、価値観についての誤認はない。
○価値が滅んでも、価値観は滅ばない。価値観が滅ぶと、価値も滅ぶ。