○私がどんな大金持ちや権力者になったとしても、どうしてもかなわないことがひとつある。それは君の手を握ることである。

○人は諦めて詩を書く。詩には著作権がある。著作権(copyright)とは、複製する権利である。詩に限らず、著作物は複製することが出来る。

○詩は複製することが出来るが、恋愛は複製することが出来ない。恋愛と詩は交換することができない。求めて得られない人が、求められても与えられない人に詩を書いても、相手を困らせるだけだろう。恋愛詩は書く人を癒し、書かれる人を不愉快にする。そして、不愉快はときおり憎悪に変化する。

○夢のある人は、案外夢のない人に惚れるものである。夢のない人は、夢のない人に惚れるものである。夢のない人は夢には興味がないから、夢のある人にも興味がないものである。夢のある人が夢のない人と心が通じることはないだろう。

○幸せな恋愛詩は存在しない。

○不幸とは希少な幸福を求めることである。大切なものは手に入らないものである。

○手に入らない幸福を手に入れようとする不幸。
手に入らない幸福を眺める幸福。

○私が好意を伝えるのは、お別れをするときである。私の告白はいつも過去形だ。

○力を貸してくれる人は有り難い。「有り難い」とは「滅多にない」、「得難い」ということである。

○得られそうだった物が得られなかったとき、何も失っていないのに残念がる。

○「大丈夫、もう間に合わない。」

○寂しさは僕の個人的な仕事に対して支払われる報酬である。

○自分の名前をGoogleで検索すると面白い。会社の社長だったり、短距離走の選手だったり、アーティストだったり。いろんな自分がいるもんだ。

○君は今幸せだろう。昔幸せではないのに、幸せだと言っていたのだから。

○子は親と死に別れ、親は子と生き別れる。
母親の臨終に際して、言う言葉。
「お母さん、また僕を生んでくださいね。」

○私の文学について。もはや在日文学ではない。最初から在日文学ではなかったが。

○私の意思は私の肉体を自由に動かすことが出来るが、他人の肉体を自由に動かすことは出来ない。私が他人の腕を動かすためには、その他人の意思に依頼するか、その他人が眠っているうちに私の肉体でこっそりと動かすしかない。私は私の手足を動かすことが出来る。私は私の心臓を止めることが出来ない。私は私の肺を(しばらくの間)止めることが出来る。私は視線で他人を操作することが出来る。例えば、私は電車に乗っている。目の前に若い人がいて、大音量で音楽を聴いている。うるさいので、私はその人を見つめる。特に、その人の目と、その人の胸にぶら下がっているリモコンを見つめる。すると、するすると音量が小さくなる。私は視線で他人を操作することが出来る。そうならない場合もあるが。

○今日は陣馬山を歩きながら、上のようなことを考えた。

○女性は、私にとって、最も身近にあって、最も縁のないものである。私が女性の肌に触れることの何と少ないことか。

○よく知らなくてよかったと思うことがある。例えば、テレビゲームについてよく知らなくてよかったとか。

○ゴキブリのようにしぶとい私は、儚いものに憧れる。

○元気な私に「元気が出る音楽」はいらない。元気が出る音楽は、病人のための音楽である。

○私という人間は、歩くのは早いが、走るのは遅い。

○憧れるものに縁がない。

○自分に勇気を貰う毎日だ。

○うちの猫たちは私に向かって吠える。

○「題名のない音楽会」と「コメントのないブログ」は、名前は似ているが、実際はえらい違いである。

○私は考えごとをするのが好きだ。何かしらの考えを、多いときは10個思い付いて、8個忘れる。最近は5個思い付いて、4個忘れる。思いついたことを忘れないように、メモ帳を持ち歩くことにした。肝心のメモ帳を自宅に忘れてしまう。

○考えなくてもよいことを考えてしまう。

○道を歩いていて、窓明かりが幸せそうに見えるのは、自分がそうではないからなのだろうか。

○私は私の思想を世に放つ。

○尊敬していた人の元ネタを知って、がっかりすると同時に親しみが沸く。

○メモ帳がどこかへ行ってしまった。

○私には私の預言があるのだから、他人の預言を羨むことはない。

○娯楽の話は苦手である。

○自分より悲観している人を見ると、安心する。自分とその人との悲観の差分を、その人に与えられそうな気がするから。

○漫画を読むということ。他人の人生を眺めて暮らしている。

○言葉が生えてくる。

○私の言葉が、私の人生のマイレージである。

○自分にぴったりの言葉が見つかるとうれしい。

○作曲するように言葉を紡ぎ出す。

○「さよなら」と言う機会が、「はじめまして」と言う機会よりも多いのは何故だろう。

○赤裸々な言葉は、見知らぬ人の心を打つが、顔見知りの人からは失笑を買う。

○メモ帳がようやく見つかったので、書き留めておいたことを読んでみる。
「テレビカメラのスイッチをON 人間も同じこと」
何度読み返してみても、何のことだか分からない。しばらく考えていて、ようやく思い出した。私は先週末の高尾山中で、あの寒い六号路を歩きながら、こう考えたのだった。
「今ここにテレビカメラがある。私がそれの電源ボタンを押す。それから録画ボタンを押すと、録画が開始される。あとで、その録画した映像を見ると、録画ボタンを押したところから映像が始まる。逆に言えば、私は、電源ボタンを押してから、録画ボタンを押すまでの映像を見ることは出来ない。人間もこれと同じである。人間は母親の胎内から生まれる。それからしばらくして目が見え始める。だから、人間は生まれてから目が見え始めるまでの映像を見ることが出来ない。」
やはり、何のことだか分からない。

○私は何を言っているのだろう。

○大事な友人たちを捨てて、私は自由になった。

○私は、両親以外の人から親切にされると、うろたえる。

○拾い読みできる本しか、読む気がしない。長編小説は時間の無駄である。

○日本人と韓国人の間に、私は生まれた。純血種の人たちにすることがあるように、混血種の私にもすることがある。

○「私」にこだわると、<私>は「私」に振り回される。「私」は<私>ではない。

○二人暮らし:
「僕が上げ 君が下ろす 便座かな。」
(季語がないことに気が付いた。)

○与えられていないから、迷わない。それはいつも私のものではない(諸法非我)。

○鬱に縁がない。

○私を支持してくれる人は、病んでいる人か、信じている人か、のどちらかであるらしい。

○詰まらないものに夢中になっている大切な人たち。一人で大切な時間を過ごし、大切な人たちと詰まらない時間を過ごす。

○いろいろな原典を渡り歩く。

○好意は伝わらないのに、悪意は伝わってしまう。

○大事なものを失って、大事なものを得る。今、自分が得ているものの有難さは、自分が失ってしまったものの得難さ。

○今の私は、好きなだけ、言葉の果実をもぎ取ることが出来る。私はそこに入ることが出来るようになった。

○若い頃、哲学書や宗教書など、いろいろな本を読んだ。そして、いろいろな素晴らしい言葉に出会った。それらは今でも暗唱することが出来る。しかし、今、改めて考えてみると、今の自分には自分の言葉だけで事足りるかもしれない。

○昔聴いた音楽を聴きながら考えごとをしていると、昔考えたことをたくさん思い出す。音楽に考えごとが焼きついているのか、考えごとに音楽が焼きついているのか。

○俗なる私が、聖なる私を背負って歩き回る。

○釣り人が釣り糸をたらしている姿を、熱狂的に応援する人がいるだろうか。退屈は孤独な作業。

○今日では世界的に知られている作家や画家が、若い無名の頃に周囲の人たちに理解されず、一時的にその道を諦めかけたという話はよく聞くものである。この場合、考えられる理由は以下の二種類であろう。
1.周囲の人たちにセンスがなかった。
2.本人のプロモーションが不十分だった。

○私は言葉のプラモデルを作り出す。それはある程度出来上がっているが、最終的には読んだ人が組み立てなければならない。それには必ずしも組み立て説明図は付いてないのだが。
○私は海女さん。言葉の海に潜り、哲学的断片を獲ってくる。

○忙しすぎるのは困りものである。私の場合、根詰めると、言葉が降りてこなくなる。考えごとには余裕が必要である。それも物理的な余裕ではなく、心理的な余裕が。

○私が、若い頃に発言権が与えられていたら、今以上にろくでもない発言をしていただろう。

○人間は二度生まれるという。小さい頃、作文の時間に書くことがなくていつも困っていた。あの頃、私はまだ人間ではなかったらしい。

○私は自分の生き方について常に警鐘を鳴らしてきた。それは自分にとってはうるさいだけであり、他人にとってはどうでもよいことであった。冗談のような私の人生。
○若い頃には美しい人に目が眩んだもの。今は美しい人間関係に目が眩む。
○多くの人たちに無視されることは、私にとっては健全なことである。多くの人たちに賞賛されるよりは。
○雨上がりの午後に新緑の眩しい墓地を歩く。考えごとをしながら歩いていると、墓の中から声がした。
「そんなことはどうでもいいじゃないか。」
○昼間、遊歩道を散歩する。黒揚羽がブルブル震えながら花の周りを飛んでいた。
○もう何者も利用しない。私は私を利用する。

○昨日まで僕は君たちの味方だった。だから君たちがやったことがないことを僕もやったことがなかった。
○他人の噂話の間を渡り歩く、妖怪のように醜い私。

○君が歩いていた道を、僕は歩いている。僕が歩いていた道を、君は歩いたことがあるだろうか。
○社会問題は私の問題集。
○私は蚕。美しい絹の糸を吐く。けれども、自分でそれを紡ぐことを知らない。
○君にとってどうでもよいものを、私は捜し求める。君の背後にある、我々の問題を解決するために。
○私は自分のことしか考えない。より正確に言うならば、私の中の私に固有ではない部分のことしか考えない。すると、以下のように言う人がいるかもしれない。
「あなたの中のどの部分が私固有でないかどかは、他人と比較してみなければ分からないではないか。」
それはどちらかと言えば、人間の脳の上に形成されたソフトウエアの実行パターンに関する話であって、脳自体のアーキテクチャー上の違いではないだろう。
○若い頃にひとりで考えたことを、世に伝えられてよかった。
○人のよい人が、私の視界には入らない。
○変わった名前の人に出会うと、変わった人に出会った気がする。特に普通の人と違いはないのだが。

○今の私は、一言で例えるならば、「散らかっている部屋」。片付ける為にやらなければならないことがたくさんある。それゆえに、常に何か出来ることがある。
○「彼がAである」ということと、「私がAである」ということは別の話である。例えば、「彼がガンである」ということと、「私がガンである」ということは別の話である。
○私の職業は文芸パーツメーカー。文芸の核心を研究開発している。いずれはその研究成果を、いわば文芸パーツとして同業者にライセンス供与することになるのではないか。
○心が温まる本よりも、頭がすっきりする本が読みたい。
○自分より偉い人とそれよりもさらに偉い人の区別が付くようになってきた。