○否定は、拒絶であり、棚上げである。

○他人を黙らせる言葉が自分を黙らせるとは限らない。皮肉や当てこすりというのは、自分とは相容れない生き方をしている他人が、自分より上手くやっているときに言うものである。だから、そういった物の言い方をするのは、自分の人生がうまくいっていないことを告白することにほかならない。皮肉屋という名の材木業者

○他人を見下すというのは、自分が偉い人間であると錯覚させるための、一番コストのかからない方法である。自分が偉い人間になるためには、自分のレベルを上げるしかないが、それはなかなか大変なことである。代わりに考え付くのが、自分以外の人間を全員自分よりも一段下に置く方法である。これは、自分と対立する他人を否定することで、自分が肯定されたような気になる、というのと同じ錯覚である。称えるのも貶すのも、追随の一種であり、難しいことではない。

○反論について:AさんがBさんに言う。「君の○○する癖はよくないよ。」するとBさんがAさんに言い返す。「そういう君だって、・・する癖はよくないよ。」Bさんの主張はAさんの意見に対する反論になっていない。何故なら、「Bさんの懿「ォ懿「ォする癖」と「Aさんの・・する癖」は何の因果関係もないのだから。
○すべての意見は参考意見である。あなたは他人の意見に依存することは出来るが、他人の意見はあなたの責任を肩代わりしてくれない。ここで言う意見は、宗教でも、主義でも、哲学でも同じことである。

【参考】

「自らを灯明とせよ。」(仏陀)

「非難すべき点を正確に見さだめるには”探求”が必要である。」 (「確実性の問題」 37 ウィトゲンシュタイン)