○一面的な考え方を理論と呼ぶ。それは正しいかもしれないが、それですべてが説明できるわけではない。理論は常に一面しか言い当てることが出来ない。一般に、理論は、それが正しいかどうかよりも、それがどの範囲内で適用できるのかを考えたほうがよい。

○抽象的な言葉は、多くの人を励まし、多くの人を傷付ける。
見ず知らずの人が、私の言葉に頷く。
見ず知らずの人が、私の言葉に傷付く。

○異口同音は普遍的な外観の証。

○心の矢は、身に覚えのある人の心だけに突き刺さる。

○抽象的な言葉は、身に覚えのある人の心に突き刺さる。意識する人は、それを避けることが出来ない。

○当て付け、冷やかし、皮肉は、成り損ないの抽象論である。

○否定論は常に未熟である。それは肯定論に依存しなければ成り立たない。

○抽象的なものに出会うためには、具体的な人間関係を、ある程度は遠ざけなければならない。

○見下ろす魂、見上げる魂。
人生には、「トップダウン設計」的なViewと、「ボトムアップ設計」的なViewがある。

○ある人の現実を、他人の視点でモデリングすることは事実上不可能である。情報が少なすぎるのだ。

○自分に都合のよい考えは、考えれば考えるほど具体化してくるが、それで実現に近づいているわけではない。妖怪の想像図がどんなにリアルに描かれても、そんな妖怪が実在するわけではないのと同じである。

○ある人の唱える抽象論は、すべての人に与えられるが、例外的に、その人の顔見知りの人たちには与えられない。
「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」(マタイ 13-57)
例えば、容姿の美しくない男性が、同じように容姿の美しくない女性と付き合っているとしよう。その彼が自分の恋愛体験を元に美しい恋愛小説を書いたとしよう。それを読んだ世の人々は彼に賞賛を贈るだろう。しかし、彼やその恋人の顔見知りの人たちにとって、それは笑える話でしかないのかもしれない。

○基本は過去に、応用は未来に。
基本を理解するということは、過去を遡るということ。
未来を志向するということは、応用で済ませるということ。
未来志向は応用志向であって、案外新規性に乏しいものである。