最近、人間関係において、つくづく感じることがあります。それは、魅力的な人より、親切な人の方が、ずっと得がたい、つまり、有り難いものだなあということです。10代の頃、僕はしばしば魅力的な人の魅力に惹かれました。魅力的な人というのは、女性であれば、例えば、美しい人、友人であれば、例えば、人当たりのよい、コミュニケーション能力の高い人。僕はそういう人を見ると、いつもこういう人と付き合いたいなと思っていたものでした。でも、いつ頃からだろう。そういう魅力的な人との付き合いに限界を感じるようになりました。魅力的な人というのは、ある意味で行列の出来るラーメン屋さんに似てるような気がします。並んで食べると、確かに、美味しいのかもしれませんが、こちらは忙しくて並んでいるひまがない、自分の人生において、そんなことを感じることが何度かありました。例えば、SNSのようなシステムを通して、魅力的な人の私生活を見てみると、その人が自分の魅力のためにいろいろと苦労していることがわかったりすることがあります。そういう場合、こちらが馴れ馴れしく声をかけると、その人に無駄な負担をかけているのではないかと心配したりします。結局のところ、高い競争倍率をくぐって、魅力的な人の親友にしてもらおうと思ったら、自分自身の志を果たすための貴重な時間を削り、その人との付き合いにつぎ込まざるを得ないのではないかと思ったりもするのです。


僕は、最近、魅力的な人より、むしろ、親切な人に魅力を感じることが多いです。親切な人って、案外、魅力的な人よりも得がたいものなのではないでしょうか。僕は、昔、魅力的な人間になるのは難しくても、親切な人間になるのは簡単なことだと思っていたような気がします。その結果として、昔の僕は、親切な人のことを、今よりも軽んじていたのかもしれません。しかし、今、改めて考え直してみると、むしろ逆ですね。本当の意味で親切な人は、魅力的な人よりもずっと得がたいような気がします。魅力的な人というのは、なろうと思ってなれるものではないのかもしれませんが、素質のある人だったら大した苦労もなくなれるものなのではないでしょうか。それに対して、親切な人というのは、なろうと思えば誰でもなれるはずなのに、なかなかそうなろうとする人がいません。その結果として、後者の方が前者よりも、案外に、得がたいのではないかと思ったりもするのです。ついでに言えば、魅力的な人が親切でもある場合や、親切な人が魅力的でもある場合もあるかもしれません。こういう場合はどうなのでしょうか。僕は、こういう場合においても、前者よりは後者の方がよい場合が多いように思います。何故なら、前者の場合、その親切ささえも、その人の魅力の一部に過ぎない場合もあるからです。いわゆる「八方美人」というやつでしょうか。だから、僕は、今後の人生において、魅力的な人を追いかけるよりも、親切にしてくれる人を大切にしようと思うのです。