エンジニアの仕事。エンジニアの仕事は2種類あると思っています。
1.全く新しいことを考えること。
2.既知のことを組み合わせて、新しいシステムを考えること。
後者は割合簡単なのですが、前者が難しいですね。前者は突き詰めて言えば、特許が取れるぐらい新しくないといけないのです。いわゆる発明ですね。しかし、特許が取れるほど新しいことって、なかなか思いつくものではないですね。思いついたとしても、まず「車輪の再発明」であって、何の価値もなかったりします。車輪と言うものがすでにこの世にあるのに、それを知らない人がまた一から苦労してそれを発明してしまったりするんですね。


これが、著作権の世界になると、事情が異なりますね。例えば、音楽の世界で、最近のヒット曲とか聞くと、どこかで聞いたことがあるような気がする。演奏はヒップホップ風のアレンジとかしてあるけど、曲のベースは’60年代のビートルズやビーチボーイズの曲を適当に混ぜ合わせたりしただけだったりするんですね。そんなものが創作の内に入るのか?と思うのですが、広い意味で言えば、それも創作の内なんですね。


著作権と特許権の大きな違いは、著作権は創作をするとどんなものでもその時点で成り立つのに対して、特許権の場合はちゃんと審査があるということなんだろうと思うのです。別の言い方をすると、著作権は、上で言うところの、1.と2.の境界があいまいなのだろうと思うのです。


つまらない例ですが、先日、私は、いくつか、ギャグ調の脚本みたいな文章を書いていました。すらすらと書いていて、読み返してみるとなかなか面白くて、もしかすると自分にも才能があるのではないか、などと思いました。しかし、直後に考え直してみると、そのすらすら書いた部分や、読み返してみて面白いと思った部分こそ、本当の意味での創作性がないような気がします。どれもこれも、昔見たコントやギャグ漫画のノリをそのまま持ってきているだけのような気がするんですね。エンジニアの人に判りやすく言えば、出来合いのデータベースソフト、Webサーバー、認証機関を組み合わせて、ソリューションを構築している感じです。ソリューション全体が、「私の創作」と言えばそうなのだけど、それで特許に当たるものが取れるかと言えば、まず無理だろうと思うのです。だから、自分に厳しく言えば、それは創作であって、創作ではないんですね。借り物の表現を使っているから、すらすら書けるだけ。そういうことなんでしょう。


では、私などには、創作は出来ないのか。新しい表現は思いつかないのか。そんなこともないと思うのです。例えば、私が三浦半島に行って、海を見ていると、波の形や、吹き付けられる砂からヒントを得たりします。あるいは、山に登って、帰りがけの寂れた喫茶店で、店のおばちゃんと話をしていると、思いがけない人生体験をしたりします。例えば、私がお話を書くのであれば、よくある話をベースにしながらも、その上に、そういった体験から得たものを織り込んでいけばいいのだろうと思うのです。これは、自分の実体験が元になっているのですから、少なくとも他人の創作の焼き直しではないはずです。


しかし、この場合においても、やはり、「車輪の再発明」はありえますね。例えば、昔の小津さんの映画などを見ると、あっさり同じような光景が描かれているかもしれません。そのときには、やられたーっと思うしかないでしょう。


で、話が戻るのですが、エンジニアが車輪の再発明を避けるのはどうしたらいいのでしょうか。結局、知識を身につけるしかないんだろうと思うのです。前例をたくさん知っておくことで、既知のことをまた一から作り出さないようにする。で、その無駄になる労力を、さらに新しいところに向ける。そういう戦略が必要なんでしょうね。幸い、ソフトウェアエンジニアリングは、他のジャンルに比べると、比較的新しい世界なので、まだまだ前例が少ないので、前例を知り尽くすのもそれほど難しいことではないでしょう。そのためには、もっと勉強をしないといけないなあと思います。


何を書いているのか、よく分からなくなりましたが、最近、そんなことを考えたりしています。