世の中には女性差別的な考え方ってあるね。女性差別的な考え方ってふたつあるね。

1.「女性は男性に比べて劣る。」
2.「女性が男性に比べて劣らないにしても、女性は男性よりも社会的に地位が低くあるべきである。」

後者はいわゆる男尊女卑っちゅうんじゃろうか。これについては、また今度書きたいが、今回は置いておこう。
今日は、1.について、考えよう。1.の、女性は男性に比べて劣るっちゅう考え方は、2種類に分けられるね。

1-1.「女性は男性に比べて肉体的に劣る。」
1-2.「女性は男性に比べて精神的に劣る。」

それらが事実かどうかは別として、それぞれ、その比較の仕方は2種類あるね。

a.「その最高値を比較する方法。」
b.「その平均値を比較する方法。」

これらを組み合わせると、以下の四種類が出来るね。

1-1-a.「最高の女性は最高の男性に比べて肉体的に劣る。」
1-1-b.「平均的な女性は平均的な男性に比べて肉体的に劣る。」
1-2-a.「最高の女性は最高の男性に比べて精神的に劣る。」
1-2-b.「平均的な女性は平均的な男性に比べて精神的に劣る。」

このうち、1-1-a.と1-1-b.は、それを肯定する者が多いかもしれんね。1-1-a.について言えば、例えば、オリンピックにおいて、女性の記録が男性の記録より下であることが多いことを根拠にする者がおるかもしれんね。1-1-b.について言えば、例えば、一般的な学校において、全男子生徒の体育の記録と全女子生徒の体育の記録を比較すると、男子学生の方が記録が上であることが多いことを根拠にする者がおるかもしれんね。それで、上の2点において、以下のように結論付ける者がおるかもしれんね。

A.「女性は、男性よりも、平均値においても、最高値についても、肉体的に劣る。」
A.が正しいかどうかについて、わしはこの文章では、触れんことにする。

じゃが、もう一方の精神性についてはどうじゃろうか。1-2-a.については、以下のようなことを言う者がおるかもしれんね。

α.「歴史上の人物を見てみると、宗教家、哲学者、科学者などの偉人はほとんど男性である。言い換えれば、偉人に女性はほとんどいない。」

その人は、α.により、1-2-a.は正しいと言いたいわけじゃ。それに対して、以下のような反論をする者もおるかもしれんね。

β.「女性は、古代より、男性社会において、活躍する機会を奪われてきた。それがなければ、同様に活躍した女性がたくさんいたはずだ。」

その人は、β.により、1-2-a.の根拠としてα.は適切ではないと言いたいわけじゃ。
わしは、ここで、この1-2-a.が正しいかどうかについても、触れんことにする。つまり、わしは、この文章では、1-1-a.、1-1-b.、1-2-a.が正しいかどうかについては触れんことにする。それよりも、わしが今考えたいのは、1-2-b.についてじゃ。つまり、一般に、女性の精神と男性の精神とでは、どちらが優れるのかっちゅうことじゃ。それに対して、わしは個人的には以下のように思うんじゃがどうじゃろうか。

「一般に、男性よりも女性の方が精神性が高いような気がする。」

なんでそう思うんかというと、例えば、こういうブログを読んでおると、どうみても、男性よりも、女性の方が、内心で考えておることの精神レベルが高い気がするんじゃ。なんというか、一般的に、女性の方が、スピリチュアルな気がする。もっとはっきり言うと、男性のブログを読んでおって感じるんじゃけど、男性には案外中身のない人が多いね。わしゃ、長いこと、自分のブログを書いたり、いろんな他人のブログを読んだりしとるけれども、スピリチュアルな男性って滅多におらんね。男性にも頭のよい人はおるんじゃろうけれども、その頭のよさが外面に向っておって、内面が空っぽになっておるような気がする。結果的に、男性の場合、頭のよさがただの優秀な道具に過ぎなくなっておって、その分だけ、ご本人の精神性が欠けておるような気がする。わし自身は、どちらかというと、スピリチュアルなことを考えたり、書いたりするのが好きなんじゃけど、もしかしたら、男性としてはむしろ例外的なんかもしれん。実際、わしのブログを読んだり、スピリチュアルなコメントを書いてくれたりする人も、ほとんど女性じゃしね。それにしても、女性の精神性というのは、どんなもんなんじゃろうかしら。わし自身が、女性じゃないけん、よう分からんのじゃが。わしは、最近、この不思議なものに畏敬の念を持って研究したいと思うておるんじゃ。以下について、もう少し考えてみる。

1-2-b.「平均的な女性は平均的な男性に比べて精神的に劣る。」


個人的な話じゃけれども、わしは高校時代から理系の道を歩んできた。高校3年生のときに、理系コースのクラスを選んで、大学は理学部数学科に学び、今はコンピュータ会社でプログラマ、アーキテクトをしておる。この道を歩んできたわしには、ひとつだけつらいことがあった。それは何かというと、常に周りに女性がおらんということじゃった。学生の頃、誰でも異性と楽しく付き合いたいと思うものじゃろう。わしもそう思うとったんじゃ。ほいじゃが、何でかしらんけれども、わしが選んだ理系の道には女性がほとんどおらんかった。理学部はまだしも、工学部になると、ほとんどまったくおらん。これはどういうことじゃろうか。その後、世の中には、以下のようなことをいう人たちがおることを知ったんじゃ。

A.「女性は理論的な思考能力が劣っている。だから理系には女性が少ない。」

上の考え方は正しいんじゃろうか。確かに、理系には女性が少ない。が、この理由としては、例えば、以下の3種類がありそうじゃ。

a-1.「女性は理論的な思考が苦手だから。」
a-2.「女性は理論的な思考を好まないから。」
a-3.「女性が理系の道へ進むことが社会的に阻害されている。」

理系の道で暮しておる自分の経験から言えば、a-3.はなさそうじゃ。じゃが、a-1.とa-2.はどちらが正しいのか、わしには分からん。ただ、事実として言えるのは、以下のことことだけじゃろう。

B.「女性には理系の道を選ぶ人が少ない。」

そして、その理由はわしには分からん。
ところで、世の中には、以下のようなことをいう人がおるね。

C.「女性は感情的でヒステリックな生き物である。」

これはホンマじゃろうか。これもわしにはわからん。

ただ、わしゃ思うんじゃけど、ある人がヒステリックであるというのは、必ずしも悪いことではないような気がする。まず、ある人がヒステリックであるためには、以下のふたつの条件が必要じゃと思うんじゃ。

c-1.「その人がスピリチュアルであること。」
c-2.「その人が自分のスピリットを抑制する要素を欠いていること。」

ヒステリックな人っちゅうのは、神経質な人のことじゃろう。神経質な人っちゅうのは、神経が過敏になっとるんじゃね。ある人の神経が過敏になるのは、その人がスピリチュアルじゃからじゃろう。スピリチュアルじゃない人は鈍感じゃから、神経質にはならんじゃろう。そう考えてみると、ある人がヒステリックであるのは、その人が、自分のスピリチュアルな部分を制御しきれておらんからじゃと思うんじゃ。じゃから、ある人がヒステリックであるっちゅうことは、c-1.により、その人はスピリチュアルな人間であるっちゅうことの証拠でもあるように思う。もちろん、スピリチュアルな人が誰でもヒステリックになるわけじゃないわ。何でかいうたら、必ずしもその人がc-2.の条件も満たしているとは限らんからじゃ。じゃが、いずれにしても、仮に女性にヒステリックな人が多いんじゃったら、それだけ女性の方がスピリチュアルな人が多いっちゅうことじゃろう。

ところで、この自分のスピリットを抑制する要素ってなんじゃろうか。それは、もしかしたら、理論的な思考力、哲学性、自制心、そういった類のもんかもしれんね。で、そう考えてみると、ヒステリックな人って、2種類あるね。

c-1’.「スピリチュアル過ぎる人。」
c-2’.「自分のスピリットを抑制する要素を極端に欠いている人。」

おそらく、c-1’.の人は、人間としてよい方向に向っておるんじゃろうけれども、その成長の途中において、その能力が偏っておるんかもしれんね。それはちょうど、得意分野の学問の成績が極端に突出しておって、それ以外の学力とのバランスが取れなくなっとる学生さんに近いかもしれん。

小さい頃、母と一緒に広島の市街地に出かけるのが楽しかった。本通りを抜けて、福屋に行き、そこでおもちゃかテレビマガジンなんかの雑誌を買ってもらって、最上階の大食堂でお子様ランチを食べるのが楽しみだった。カップで型どりしたチキンライスの上の日の丸の旗を抜いて、それをどうするでもなく指先に転がして遊んでいた。ところで、そういったデパートには、1階に必ず化粧品コーナーがある。そこで、女性客が、女性店員に説明を受けながら、あれこれ化粧品を試している。そのため、デパートの1階というのは、たいてい女性の化粧品や香水の匂いが立ち込めているものだ。僕は小さい頃、あの匂いが苦手だった。いつも鼻をつまんで通り過ぎていた。なんというか、僕は、あの、むわっとする「女の匂い」が苦手なのだ。女性に惹かれながら、女の匂いにむせてしまう。といっても、男の匂いが好きなわけでもない。ようするに、僕は、性的な匂い、いわゆるフェロモンというやつが苦手なのだ。大学の頃に、男女が仲良く合宿やコンパをやっているのに憧れた。けれども、自分自身はどうにもその中に入っていくことが出来ない。なんとなく遠巻きに見て、いいなあと思っていた。なんだか、そんな青春時代だった。