あるところに一人の男がいた。
その男は失恋をし、日々、思いつめるのは危険な場所、すなわち死あるのみであった。
食事の一口も喉を通らず、一羽の鳥も網にかかる見込みはなかった。
愛人の目に、お前の黄金が入らないとき、
黄金も土くれもお前にはなんら変わらない。
あるとき、友人たちが、彼に忠告した。
「馬鹿な考えはよしておきたまえ。人間というものは、誰しも、君のような情欲にとらわれ、手足を鎖につながれているんだから。」
すると、彼は嘆いて言った。
「友よ。俺に忠告しないでくれ。
俺の眼は彼の意志の上にしかないのだから。
戦士たちは、手と肩の力で敵を殺すのだろうが、
美しい者は、その友を滅ぼすのだ。」
死を恐れて、愛する人たちの情愛から心をそらすことは、愛のおきてに反するのだ。
(中略)
その後、彼の魅惑の対象であるその国の美しい王子は周囲の人たちから次のように聞かされた。
「陽気でさわやかな話しぶりの青年が、上品な言葉を話しながら、よくこの野原にやってくるのだが、彼が奇妙な戯言を言うところをみると、どうも気が狂っているらしい。」
その青年から愛されていること、その禍の埃を立たせた原因が自分であることを知っていた王子は、馬に乗って、彼の元に駆けつけた。
その美しい姿が少しづつ近づいてくるのを見た男は泣きながら言った。
「俺を殺した人が再び帰ってきた。
自分が殺した者を憐れもうとして。」
美しい王子はその男の手をとって慰めると、次のように語りかけた。
「どこから来たのですか。お名前は何と言うのですか。どんな技を知っているのですか。」
しかし、気の毒な若者は深い愛に溺れて話すことも出来なかった。
賢者も言っている。
「たとえ、七つの章を記憶しようとも、
恋に狂うとき、『アレフ・ベー・テー(ABC)』すら分からなくなるのだ。」
王子は再び尋ねた。
「どうして僕に話してくださらないんです。僕だって、ダルビッシュ(イスラーム托鉢僧)の集いに参加しているのだし、彼らの忠実な僕(しもべ)なんですからね。」
すると、ようやくその男は愛する人の温かい情で愛の波打ちから頭をもたげて言った。
「君とともに、俺が生きるのは不思議でしかたがない。
君が語るのならば、俺もまた語ろう。」
そう叫ぶと、その男はその場で息絶えた。
愛人の館の入り口で殺されるのは驚くことではない。
しかし、彼がもし生きて魂を持ち帰れば、驚くに足りない。
「ゴレスターン」(サァディー 沢英三訳 toraji.com一部改訳・改変)
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