信仰とはなんだろうか。


信仰とは気付かされること、すなわち、改めて信じることである。



信じるとは「なるほど!」と思うことである。


「なるほど!」と思ったとき、その人はすでにそれを信じている。


信じるとは気付かされることである。


気付きのない信仰はない。


信仰には、何かしらの気付きが必要である。



ついでに言えば、信じられる人は、本来、気付く人でなければならない。


気付かない人は他人を気付かせることが出来ない。


盲人が盲人の手を引くことはできない。



ある人は気付くことによって、自らを助ける。


ある人は他人を気付かせることによって、その人を助ける。


ある人は他人に気付かされることによって、その人に助けられる。



気付く人は自他を助ける。


情けは人の為ならず。


気付きは人の為ならず。



「信じる」と「信じている」は違う。


人は意外なものだけを信じる。


人は当たり前なものだけを信じている。



信仰に目覚めた人は、(それまでのその人の常識から見て)意外なものを信じる。


生まれたときから信じている人は、当たり前なものを信じている。


信仰には気付きが必要だから、生まれたときから信じているのは真の信仰ではない。


生まれたときから信じている人には、気付きが欠けている。


彼らは最初から知っているのだから。


知ることが気付くことの前にあると、人は信じることができない。


それは解法を知っている問題の解法を考えるのと同じことだ。


だから、人は二度生まれなければならないわけだ。



なお、意外なものと当たり前なものは表現の違いであって、本質は同じである。


意外なものとは殻の割れた実であり、当たり前なものとは殻の割れていない実である。


人は気付きによって、殻を割る。


当たり前なものを信じている人は、その実を手にしていながら、いまだにそれを味わったことがないのだ。


だから、人は二度生まれなければならないわけだ。




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