民放テレビはお金のかかる生き方の無料紹介所である。

そこを訪れた人は、とりあえず、応接間に通され、しばらくの間、恋愛ドラマでも観ているのである。


よい匂いでも、強い匂いは鼻につく。


みんなで懐かしむと、懐かしくないのは何故だろう。


生命と精神の違いについて。

植物には生命はあるが精神がない。

動物には生命と精神がある。

人間には生命と精神と理性がある。


持っている(知っている)人が偉いのではなく、見出した人が偉いのである。

例えば、「平和は大切であるという考え」を持っている人が偉いのではなく、その考えを見出した人が偉いのである。

「万有引力の法則」を知っている人が、みなニュートンのように偉いわけではない。

社会が成熟してくると、持っている人は増えてくるが、それで見出す人が増えるわけではない。

すなわち、既存の知識の流通量は増えても、知識の種類が増えるわけではない。


凡人の特徴:
1.変人を自称する。
2.変人と呼ばれて喜ぶ。


知的財産の盗用(パクリ)は、産地偽装ならぬ生産者偽装である。


人の品性は、その人の疑い方に表れる。


「すごい人」とは、「すごくなかった頃のことを他人に知られていない人」である。


軽いノリは重苦しい。


迷惑メールの腰が低い。


批評されるということは、批評家タイプに見込まれているということである。
臆病は勇敢の証。

勇敢は臆病の証。

戦場では、軍隊の最前線にいる人たちが一番臆病に見えるだろう。

弾が目の前を飛び交っている場所で戦っているのだから。

戦争においては、軍隊の最後部にいる人たちが一番勇敢に見えるだろう。

一番安全な場所で静観しているのだから。


匿名のあなたが本来のあなたである。

「それがすなわち汝」(リグ・ヴェーダ)


人のよい人が、私の視界には入らない。


タブーを解明したら、この世においてすることがなくなるような気がする。



成果は努力と機会。

機会に努力が結びついて成功に繋がる。


愛国主義が排斥主義に変わりやすい点は、御国自慢の場合のそれに似ている。


歴史書の総覧が、本来あるべき歴史書であろう。

誤りのない歴史書はあり得るが、すべてを言い尽くした歴史書はない。


幸運を求める人のあとを不運がついていく。


哲学者に独身者が多いのは、周囲の人に自分のよさを表しにくいからではないか。


愛するとは与えること。

愛されるとは欲の目で見られること。


精神医学を信じない私に精神病はない。

精神病の最初の保菌者は精神科医である。

精神病はすべて院内感染で広まった。

(言い出した人間が流行らせたのだ。)



ドライぶるのは、自分のウェット感を隠したいから。
湿っぽい人もドライな人も湿っぽさに耐性がないという点においては同レベルである。
ドライはウェットの裏返しである。


素人による涙ぐましい話は銀杏(ぎんなん)に似ている。

それを食するためには、外皮を剥かなければならない。

銀杏において、食するのは種子であって、臭い外皮ではない。

(そこを、自称ドライ派のあなたは勘違いしていないだろうか。あの臭いやつを食べるわけではないのだよ。)

ところで、あの臭い外皮を自分で剥くのが面倒だという人のためには、プロによる「悲劇」という名の加工品も売られている。


力ずくで怒らせることは出来る。

力ずくで泣かせることは出来る。

力ずくで笑わせることは出来ない。


感心されるのは知育か体育のおかげ。

感謝されるのは徳育のおかげ。



影で理屈をこねるのは、理屈が体格に依存しないからではなかろうか。