涙ぐましい話に潜む本当の悲しみ。

月並みな表現に潜む想像もつかない事実。


今、あなたの目の前にある人がいて、あなたに涙ぐましい話をしたとしよう。

あなたはうんざりとして、一向に耳を貸さないかもしれない。

しかし、相手の人が伝えたいことは真実なのかもしれない。

ただ、その人は表現力に欠けているだけなのかもしれない。

その人は自分の苦しみや悲しみを表現する能力を持たず、ただ月並みなドラマのせりふや流行歌の歌詞に頼らざるを得ないだけなのかもしれない。

「お涙頂戴のお話」に反射的に鼻をつまむのも、再考の必要がある。


スキーを始めたばかりの人たちが滑って転んでばかりいるように、

思索を始めたばかりの人たちも滑って転んでばかりいる。

思索初心者の涙ぐましい話は、目くじらを立てずに聞き流すべきである。


本当の悲しみは憐れみに近い。

人間は自分自身を憐れむことが出来ない。

(それは茶番である。)

悲しみは他人に向けられるものである。