人は愛と憎しみを作り出す。
世の中には、感情の強い人とそうでない人がいる。
感情的な人はより多く、感情的でない人はより少なく、愛と憎しみを作り出す。
(ここで、感情から作り出される愛と憎しみを、それぞれ「生の愛」、「生の憎しみ」と呼ぶ。)
知恵のない人は、生の愛と生の憎しみを同じだけ作り出す。
(ここで、生の愛から生の憎しみを差し引いて残る愛を、「真の愛」と呼ぶ。)
知恵のない人は、真の愛のない人である。
真の愛は、知恵が作り出す。
何故なら、憎まない技術は、知恵から得られるからである。
体臭についての考察:
体臭は、生まれつき、それを強く持っている人もいれば、あまり持っていない人もいる。
体臭は、生まれつき、それを強く持っている人でも、手入れすることによって、抑えることができる。
体臭は、他人のものは気になるが、自分のものは気にならない。
私たちには自分の体臭を抑える法的な義務はない。
だから、他人に対して無配慮な人は、自分の体臭を振りまいていても、気にならない。
世の中には、目にしみるような体臭を振りまいて平気な人がいる。
とは言え、十分、抑える努力をしたのにも関わらず、それでも抑えきれない場合は仕方がない。
しかし、別の抑え方はないか、検討してみることも忘れてはならない。
憎しみについての考察:
憎しみは、生まれつき、それを強く持っている人もいれば、あまり持っていない人もいる。
憎しみは、生まれつき、それを強く持っている人でも、手入れすることによって、抑えることができる。
憎しみは、他人のものは気になるが、自分のものは気にならない。
私たちには自分の憎しみを抑える法的な義務はない。
だから、他人に対して無配慮な人は、自分の憎しみを振りまいていても、気にならない。
世の中には、目にしみるような憎しみを振りまいて平気な人がいる。
とは言え、十分、抑える努力をしたのにも関わらず、それでも抑えきれない場合は仕方がない。
しかし、別の抑え方はないか、検討してみることも忘れてはならない。
憎しみは体臭に似ている。
憎しみは心の体臭である。
自分の憎しみについて自覚のない人は、自分の体臭について自覚のない人に似ている。
体臭をごまかすために香水を使う人がいるように、憎しみをごまかすために愛情を振りまく人がいる。
憎しみの反対は慈しみである。
慈しみはよい香りである。
その香りは、栴檀、タガラ、青蓮華、ヴァッシキー、ジャスミンよりも優れている。
(最後の一行はダンマパダに見られる表現。(ダンマパダ 45-56))
すごい人が愛されるんじゃなくて、憎めない人が愛されるんでしょうね。
金持ちの人は物欲がないと言い、社会問題に関わりのない人たちは憎しみがないと言う。
『罪を憎んで人を憎まず』とは、
各人のインスタンスではなく、人間のクラスを憎むと言うことだろうか。
個人の世界は、私には縁がない。