"Imagine there's no countries It isn't hard to do Nothing to kill or die for And no religion too"
(John Lennon "Imagine")



本当の宗教とは、いわば「メタ(meta)宗教」である。

(メタについてのwikipediaの記事(特に「狭義のメタ」):
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF



メタ宗教は、世間的に言う「宗教」(宗旨、宗派)を、色々と見比べたり、その共通項(*)を抜き出したりしながら、(オブジェクト指向で言うところの)「汎化」(generalize)をすることによって得られる。
(*共通項・・・法衣や儀式などの表面的な部分について言っているのではない。)


言い換えるならば、いかなる伝統宗教も、新興宗教も、混交宗教も、それら自体は、世間的に言う宗教であって、メタ宗教ではない。


世間的に言う宗教とは、それぞれが、あくまでも、メタ宗教への数ある門のひとつであり、そこへ至るための道標である。


それらは玉石混淆であって、広い門もあれば、狭い門もあり、きわめて的確な方向を向いている道標もあれば、まるでデタラメな方向を向いている道程もある。


そう考えてみると、「この宗派が本物で、あの宗派はニセモノだ」という議論は、設問自体がナンセンスである。


宗旨、宗派は、どれかひとつだけを選んでみても仕方ない。


ましてや殺しあう必要なんてない。




想像してごらん、メタ宗教はあるが、宗旨、宗派はない世界を。




世間的に言う宗教から、メタ宗教を汎化したあとに残されるものは、その宗教独特のしきたりや儀式である。


それらは、メタ宗教にとって、本質的なものではなく、そこには含まれない。



メタ宗教そのものは、途中経過がどうであれ、結局は、自分で見出さなければならない。


何故ならば、人間は悟ることは出来るが、他人を悟らせることは出来ないからである。


仏陀やキリストのような一級の宗教家でさえ、身近にいる弟子たちでさえ簡単に悟らせることは出来なかった。


仏陀は、いわゆる「バラモン教」という非メタ宗教から、メタ宗教を発見した。


しかし、彼の弟子たちは、その彼から教わったメタ宗教から、再び、「仏教」という非メタ宗教を作り出した。


キリストは、いわゆる「ユダヤ教」という非メタ宗教から、メタ宗教を発見した。


しかし、彼の弟子たちは、その彼から教わったメタ宗教から、再び、「キリスト教」という非メタ宗教を作り出した。



仏教団体に入信すると、仏教徒にはなれるが、それだけで悟ったことになるわけではない。


それは、キリスト教などの場合も同じことである。



仏陀は、臨終の際、弟子たちに以下のように言った。


「自らを灯明とせよ。」(仏陀)


人間は、結局、自分で悟らなければならない。



悟るとは、この場合、自分なりにメタ宗教を見出すことである。




なお、本文中の「非メタ宗教」とは、メタ宗教に対する呼称であり、それ自体、新たな宗派を生んだ場合、その宗派からみれば、メタ宗教である。例えば、仏教は、宗教にとっては非メタ宗教だが、真言宗にとってはメタ宗教である。


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