よく、以下のように言う人がいますね。
A.「世の中はお金がすべてだ。」
それに対して、以下のように反論する人がいますね。
B.「世の中はお金がすべてではない。」
それに対して、僕はこう考える。
「言い方はBの方が正しいけれども、考え方はAの方が正しい。」
Aは考え方は正しい。しかし、言い方が正しくない。
本来は以下のように言うべきだ。
A’.「世の中は価値がすべてだ。」
つまり、Aで言うお金とは、貨幣のことではなく、価値のことだろう。
世の中においてお金がすべてではないことは、貨幣のなかった原始社会を考えてみれば分かる。
貨幣がなくても社会は成り立つ。
その貨幣のない社会においても、人間の生き方はそんなに変わらなかったはずだ。
また、猫に小判と言う言葉もある。
猫は小判がなくても生きていける。
ところで、Bのように言う人の中には、さらに以下のようなことを言う人がいるかもしれない。
B’.「世の中はお金がすべてではない。善悪の方が大事なこともある。人間には、たとえお金にはならなくても、やらなければならないことがある。」
その言い方は分かるが、ここでいうお金を価値として考えるならば、それは違うと思う。
善悪は結局のところ、他人を利するか害するかによって決まる。
他人を利するか害するかは、他人に価値を与えるか損なうかによって決まる。
結局のところ、道徳論と価値論は表裏一体だ。
ただ、B’のように主張する人の気持ちも分からないではない。
その人はもしかするとこう言いたいのかもしれない。
B’.「世の中は自分のお金(=価値)がすべてではない。善悪の方が大事なこともある。人間には、たとえ自分のお金(=価値)にはならなくても、やらなければならないことがある。」
それは確かにあるかもしれない。
以下に続く。
【思索】世の中はお金がすべてについて その2
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