僕が昔から考えることのひとつに、以下の問いがある。
「物の価値はいかにして決まるのか?」
これについて正確に答えられる人はいるだろうか。
僕は、例えば、以下のように考えてみる。
「物の価値には絶対的なものと相対的なものがある。
絶対な価値とは、それ自体が持つ価値である。
相対的な価値とは、それに属するものたちの間に生ずる価値の差分である。
そして、後者の価値の差分は前者の価値がなければ成立しないのであるから、これが存在するためには前者の価値も存在していなければならない。」
例えば、『書(しょ)』というものがある。
これに対して、我々は以下のように問うことが出来る。
「『書』には価値があるか?」
これに対する答えはどうだろうか。
ある書道家は、以下のように答えるかもしれない。
「書には価値がある。」
しかし、それに対して、書に興味のないある人は、以下のように答えるかもしれない。
「書には価値がない。字なんて書ければよい。印刷でよい。」
すると、あるひとは、以下のように結論付けるかもしれない。
「物の価値というのは、主観的なものであって、ある人にとって価値のあるものが、他の人にとっては必ずしも価値はないものであることはありうる。」
なるほど、確かにそれは言えそうだ。
しかし、そこで思考を停止させず、上の例の続きとして、さらに以下のように考えてみるとどうだろうか。
今、ここにある人がいるとしよう。
その人は書には何の価値もないと考えているとしよう。
ところで、ある人が、その人に、ふたつの書αとβを見せたとしよう。
(ここで、αは書道家が作ったよく出来た作品であって、βは普通の人が見よう見まねで作った稚拙な作品であるとしよう。)
そして、その人に、以下のように尋ねたとしよう。
「αとβではどちらがよかったですか?」
すると、その人は以下のように答えるかもしれない。
「αの方がβよりはよかった。」
そのとき、僕は以下のように考える。
上の人は書には何の価値もないと言っていた。
しかし、その人は、その書であるαが、同じ書であるβよりもよかったと言っている。
では、αの価値とβの価値の差は何処から生じたのだろうか?
つまり、
「A(=書)に何の価値もないとき、(αの価値 - βの価値) = (α - β)の価値は何から生じるのか?」
と言うことである。
もし、書に何の価値もないのであるとするのならば、あるいは、それが書に興味がないその人にとっては主観的には何の価値もないのであるのならば、何故、その人はαの方がβよりもよいというのだろうか。
つまり、
「A(=書) ⊇ α、β」
であって、
「A(=書)には何の価値もない」
とするとき、
「(α - β)の価値は何から生じるのだろうか?」
ということである。
上のように考えてみて、僕は思うのだけれども、
A(=書)に属するαとβの差分(α - β)に何らかの価値があるのであれば、A自体に、そもそも何らかの価値があるのではないか。
そして、それは主観の問題ではないのではないか。
上の例においての『書』は他の例、例えば、『美少女アニメ』、『ボディビル』などに置き換えても差し支えない。
2007 (c) toraji.com All Right Reserved.