【日記小説】親が来た。(`ω′)!



以下、今年のGWの頃の話じゃ。
 


その日、疲れたけん、朝、寝とったんじゃ。ほしたら、インターホンが鳴るけん、何かと思うたら、親父が立っとった。


なんじゃ。どうなっちょるんじゃ。(`ω′)!


入り口を開けたら、そのあとで、かあちゃんもやってきた。


何かと思うたら、GWじゃけん、東京に出て来たらしい。


ほいじゃが、電話が繋がらんけん、連絡がつかんかったらしい。


見たら、奥の部屋の電話の受話器が外れとった。


わしゃ電話を全然使わんし、奥の部屋は今使っとらんけん、気がつかんかった。



で、親を連れて、銀座のたらふくへ。


今日はふぐの懐石コース(3980円)にしてみた。


ふぐ刺し、ふぐのから揚げ、ふぐのサラダ、ふぐ雑炊、デザート。


どれもうまかった。(`ω′)!



それから、銀座をぶらぶら。


日産のギャラリーに行ってみた。


プリンス・スカイライン・スポーツ('62)が展示してあるんじゃ。


親父がやり方がよう分からんまま携帯で写真を撮り始めた。



それを見よって、かあちゃんが使い捨てカメラを買いに行ってしもうた。


で、一向に帰って来ん。


銀座で、写るんですって売っとったかいのう。(´・ω・`)



ようやく帰ってきたのはええんじゃけど、かあちゃんが、


「記念写真を撮ろう。」


て言いだした。
(↑何っ。(`ω′)! )


で、気がついたら、コンパニオンのお姉さんに、


「あんたあ、写真、撮ってくれんですか。」


言うて、お願いしよった。
(↑一歩遅かった。(`ω′)! )


ほしたら、お姉さんがにっこり笑って、ご丁寧なことに回転中の台座を止め始めた。
(↑断らんかい。(`ω′)! )



みんながびっくりして、何じゃ、何じゃ、言いよるなか、銀座のど真ん中で、わしら親子三人、スカイラインスポーツをバックに記念撮影。



もう二度と銀座に来られん。(´;ω;`)



それから、銀座を離れるべく、何気なく歌舞伎座がある東銀座へ連れ出した。


いつものことながら、なかなか立派な建物じゃのう。



それから近くの日産本社に行って、続きをみた。


ハコスカやらチェリーやらが展示されとるんじゃ。


初代シルビア、フェアレディ2000、かっこええのう。


初期のローレルもなかなかじゃ。



それから皇居へ行って、二重橋を見た。



帰りは赤坂のホテルまで歩いて、帰った。わしは平気じゃったが、親は結構疲れたたらしい。やっぱり、年をとっておるんじゃのう。



夕方、うちに帰って、ちょっと寝てから、叙叙苑で焼肉を食うた。


肉はうまかったが、かあちゃんはビビンバがイマイチじゃったらしい。日本人向けの味じゃと。


で、メシを食いながら、かあちゃんがあれこれ話してくれた。


ビビンバのスッカラ(韓国のスプーン)をみながら、


「うちんちも、小学校までこれでスープを飲みよったよ。」


うちの祖父母は韓国から日本に来て10年ぐらいは朝鮮式の生活をしておったらしい。でも、そのうち、だんだんやめたらしい。


いろいろ事情があったんかのう。(´・ω・`)



それから、今日、ここへ来るまでの話をいろいろしてくれた。


うちのかあちゃんは誰にでも話しかけるけん、誰とでも知り合いになる。


わしもじゃが、いまどきの若い人は、こういうのがなかなか出来んかったりするよのう。



親は明日も東京におるらしい。


どこへ連れて行くかのう。(´・ω・`)


ディズニーランドは人がいっぱいじゃろうしのう。


今日、メイショウサムソンが天皇賞で優勝したのう。


競馬はよう分からんが、ホテルで見よったよ。



はあええわ。


今日は疲れたけん、もう寝るかいのう。



じゃあの。(`ω′)!






【日記小説】続・親が来た。(`ω′)!



以下、今年のGWの話。こないだ の続きじゃ。
 


昨日あれこれして疲れてからとっとと寝たんじゃが、今朝は早うに目が覚めてしもうた。
ほいで布団の上でごろごろして、もう一回寝た。


寝とる間に夢を見た。
今のマンションが売り手の業者の都合で買い取られて、代わりにもっとええマンションに住むことになっとった。
で、このマンション。おしゃれな作りなんじゃが、日本橋三越のエルメスみたいに部屋が二つに分かれとるんじゃ。
ほいで、そのあいだがオープンな空間になっておって、知らんひとがたくさん通りかかってじろじろ見るけん、恥ずかしかった。


昨日の写真撮影の影響じゃろうか。(´・ω・`)



でのう。昼前に起きて、親と一緒にメシを食うたんじゃ。

赤坂の店で食うかと思うたんじゃけど、GW中閉まっとる店が多い。サラリーマン向けの店が多いけん、しょうがないかのう。


で、新橋の梁の家に連れて行った。
http://www.yangnoie.com/shimbashi.html
韓国料理のおいしい店いうたら、ここの大久保の本店が有名よのう。インターネットで見たら、メニューが一緒じゃけん、新橋支店でもええわ、思うたんじゃ。お台場に行くんじゃったら、そのままゆりかもめに乗れるしのう。


カキジョン、食うど。(`ω′)!


ほいじゃが、行ってみたら、閉まっとった。事前に電話をかけたら、電話に出んけん、もしかしたらのうと思っておったんじゃが。

代わりに銀座の韓国料理屋に行ってみた。うまそうじゃったんじゃけど、ランチメニューしかのうて、味もそれなりじゃった。


親は二人とも石焼ビビンバを頼んで、味も見んと、コチュジャンとキムチをじゃんじゃん入れ始めた。
大丈夫じゃろうか、思いよったら、二人とも、


父、母「このビビンバ、辛い、辛い。(`ω′)!」


言いだしよった。


ビビンバが辛いんじゃないじゃろう。(´・ω・`)


かあちゃんのビビンバをわしのホタテ雑炊と変えたった。



それから、汐留の日本テレビに連れて行った。
http://www.ntv.co.jp/shiodome/index.html


父「なんじゃ、このビルは。(`ω′)! 」


母「なんとまあ、でっかいわ。 」


で、二人とも、ビルの写真を撮り始めた。

あとで、宮崎駿の時計台にも連れて行った。
http://www.ntv.co.jp/tokei/


それから、ゆりかもめに乗って、お台場へ。
http://wwwz.fujitv.co.jp/daiba/yurikamome/index.html

親をゆりかもめの最前列に乗せた。ここが、一番、見晴らしがええけんのう。


父「なんじゃ、この電車。運転手がおらんど。(`ω′)! 」


わし「これ、自動運転なんじゃ。 」


父「なんじゃ、この電車。線路もないど。(`ω′)! 」


わし「これ、タイヤで走るんじゃ。 」


父「そら知らんかった。(`ω′)! 」



お台場に着いて、浜辺を歩いた。今日は暑いのう。ひりひりするわ。かあちゃんに日傘を持ってきとって、正解じゃった。


で、かあちゃんにわしの友たちを紹介したかったんじゃが、今日、ゆりかもめらはあんまりおらんかった。

それから、自由の女神像で写真を撮った。普段は見向きもせんが、案外、観光で寄るには便利じゃのう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Tokyo_statue_of_liberty.JPG


それから、フジテレビの展望台(25F)に上った。ここに上るのは初めてじゃ。
http://wwwz.fujitv.co.jp/daiba/cx/kyutai/index.html

料金は一人500円。


ほいじゃが、別にここに入らんでも、入り口(24F)で十分見れるど。
それに、展望台はあんまり見晴らしもようなかった。


ほいじゃが、展望台から、船の科学館の脇にある初代南極船「宗谷」が見えるけん、その説明をしたら、ふたりとも、


父、母「宗谷。宗谷。(`ω′)! 」


言い出した。ある世代には懐かしいんじゃろう。

じゃけん、歩いて、宗谷に行ってみた。
http://www.funenokagakukan.or.jp/sc_01/soya.html

で、3人分の入場券を買ったら、4100円じゃった。


高っ。(`ω′)!


何やら船の科学館と隣の青函連絡船「羊蹄丸」の入場券がセットになっとるらしい。


分売してくれえや。(´・ω・`)


じゃが、中に入ってみたら、なかなか面白かったよ。内装の設備が木造なんじゃ。戦前の船じゃけんのう。
甲板で、かあちゃんが叔父さんに電話をし始めた。


叔父さんは昔の、海上保安庁のトッキューの偉い人で、その後、宗谷の船長をしとったんじゃ。
ほいじゃが、叔父さんの乗っとった宗谷は二代目じゃった。宗谷違いじゃ。


それから、せっかくじゃけん、観光船に乗って帰った。
一人400円。昔、高いと思うたけど、ゆりかもめとそがあに変わらん。



で、日の出桟橋に着いて、タクシーで六本木ヒルズへ。親が前から、


父、母「六本木ヒルズ。六本木ヒルズ。(`ω′)! 」


言うて、うるさいんじゃ。ホリエモンのニュースで覚えたらしい。
行っても、何もないんじゃが。


テレビ朝日でドラえもんの像を見たりした。


要するに、TBSを出発して、日テレ、フジテレビ、テレ朝と順番に回ったわけじゃ。
そういえば、テレ東に行っとらんのう。まあ、広島にはテレ東系はないけん、ええか。


ほいで、久しぶりに六本木ヒルズの展望台に上がってみた。
3人で4500円。


こっちも、高っ。(`ω′)!


まあ、美術館の入場券も付いとるけんのう。
ほいじゃが、六本木ヒルズから見る東京は面白いよのう。
一番小さいマンションの一室でも数千万円するんじゃろう。
東京全体でいくらぐらいかかっとるんかのう。



ヒルズから帰ってきて、永田町の蕎麦次郎で夕食。
蕎麦、ちょっと硬かったが、まあまあ。

今日も長い一日じゃった。



親は明日の夕方には帰るんじゃ。明日のお昼はどうするかのう。
「ポワソン六三郎」が開いておれば、昼の懐石でも食うかのう。
http://www.rokusaburo.com/restaurant/top/index.html



じゃあの。(`ω′)!





【日記小説】親が帰った。(`ω′)!



今日のお昼はうちの近くの「ポワソン六三郎」で昼の懐石を食うた。
http://www.rokusaburo.com/restaurant/top/index.html


両親が6000円、わしが4000円のコース。


わしだけ違うのを頼んだのは、おとといのふぐ屋のときと同じで、もし料理が親の口に合わんかったときに取り替えるためじゃったんじゃが、頼んだのをよう見たら、今日のコースの内容はあんまり変わらんかった。一部のメニューを除いて、わしのがちょっと量が少ないだけじゃ。


で、5時に飛行機が出るいうけん、今日は遠くには行けんかった。


で、近くのホテルニューオータニをぶらぶら。ここの中庭はなかなかええよのう。


で、ロビーやらぶらぶらして、すぐに羽田に行った。


わりとすぐに5時前になって、見送って帰った。


まあ、両親とも、年老いたのう。


かあちゃんは年老いて、余計に子供みたいなってしもうた。


とうちゃんは昔から無口じゃが、かあちゃんがおしゃべりなけん、かあちゃんと一緒におったら、つられてしゃべる。それも昔よりおしゃべりになったような気がする。


夫婦でよう冗談を言うて、突っ込んだり、突っ込まれたりして、よう笑う。


夫婦円満とは幸せなことじゃ。



ところで、途中、なんとなくトイレに行ってしゃがんだら、去年の秋に買ったばっかりのエルメスのパンツの尻のとこの生地がやぶれかかっとることに気がついた。


何じゃこら。(`ω′)!


エルメスは、靴下ももろいが、パンツももろいのう。


これ、修理出来るんかのう。(´・ω・`)


帰りにエルメス銀座店に行ったら、担当さんがおらんかった。


明日、持って行って、聞いてみよ。



さて、両親が来て、帰っていって、気がついたら、GWが半分近く過ぎてしもうた。


あっという間じゃのう。


明日から何をするかのう。(´・ω・`)


江ノ島にでも行ってみるかのう。



じゃあの。(`ω′)!






【解説】どうして僕はこんなことを書くのか mixi編



最近、僕の文章を読んだ人から、どうしてこういう文章を書くのか、書けるのかと聞かれることが多いです。自分では、書きたいことを書いているだけなんですけど、せっかくなので、2、3の文章について、ちょっと解説みたいなことも書いてみようかなと思っています。


まず、どうして、僕がこういう文章を書いているのかと言うことについてなんですが、いくつかの話で書いていますが、僕は日韓ハーフでして、小さい頃から差別問題とかについて一人で考えていました。で、25年ぐらい考えているのですが、そうすると、話がとても抽象化します。その抽象化したことを文章にしています。その結果がこれらなんですね。




【随筆】僕にはイヤな人がいない


僕に嫌な人がいないというのは、僕の日韓ハーフとしての実感です。’90年代以降、歴史認識に関する激しい議論がありましたが、その影響か、ネットでも日中韓お互いにひどい暴言を吐く人がたくさんいますね。世間には、嫌韓派の日本人、反日派の韓国人が少なからずいるのでしょうが、僕自身、日韓ハーフなので、そのどちらにも心情的に同調することがないです。僕が「日本人はみんなひどいやつらだ」と言ったら、日本人の父が悲しむでしょうし、「在日は日本から出て行け」と言ったら、在日の母が悲しむでしょう。日韓ハーフの僕にとっては、日本人も韓国人も同胞であって、憎しみの対象ではないんですよね。


ところが、日本人(韓国人)にとって、韓国人(日本人)は同胞ではないためか、人によっては憎しみの対象になり得るんですよね。それが僕には不思議だなあと思って。(参考:善いサマリア人のたとえ)


反日感情、嫌韓感情にちなんで、人の憎しみについてもう少し書くと、憎いものがある人は、それを憎む理由として、憎む対象が持つ欠点をいろいろとあげるのかもしれません。これこれこういう理由があるから、私はあいつを憎むのだと。本当にそうでしょうか。理由があるから憎むのでしょうか。


そうではないような気がします。本当は、ただ憎いから憎める理由(自分の憎しみを正当化する理由)を探してるだけなんじゃないでしょうか。また、そういった場合において、知識の豊富な人、頭のいい人、口の立つ人ほど、それをうまくやってのけるのかもしれないですけど、それが結局はご本人のためになってないような気がします。


あと、不思議だなあと思うんですけど、ネットで上のような暴言を吐く人ってたくさんいますけど、身近にいる顔見知りの人にはそういう人っていないんですよね。ネットで「○○は死ね」みたいな匿名の書き込みをよく見かけるんですけど、私の知人が目の前でそういったことを口にするのは見たことがないんですよね。それは何でかなあと思って。


昔から、「車を運転すると人が変わる人がいる」って言いますけど、人間ってリアルな付き合いが希薄になるほど、本性が出るものなのかなと思ったりします。人間の中には、内心に深い憎しみの感情を持った人がいるんだけど、そういう人でも、普段はある種の社交術でそれを隠しているものなのかもしれませんね。例えば、駅のホームで割り込みをする人はいますけど、会社の社員食堂で同僚を押しのけて割り込む人はいないですよね。ところが、匿名性が高くなると、そういった隠蔽をする必要がなくなるので、本性がむき出しになるのかなあと。ついでに言えば、顔見知りの人と目の前で付き合っている分には、そういう一方的な暴言を聞いたりすることはあまりないのかなと思ったりします。そんなこともあって、僕の周りには、それほど嫌な人がいないのです。





【Xmas】僕は君に何も与えられない


「ある人にむかって、その人の理解できないことを言うのは、ナンセンスである。「あなたにはわからないだろうが」と付け加えるにしても。(大好きな人にたいしては、こういうことはよくあるが。)」
(ウィトゲンシュタイン 「反哲学的断章-文化と価値」(丘沢静也訳))





【人生】ダブルというより二重人格者


「哲学をリュックサックにぎっしり詰め込んでいると、数学の山はゆっくりとしか登れない。」
(ウィトゲンシュタイン 「反哲学的断章-文化と価値」(丘沢静也訳))


今日のコンピュータの山もまたしかりである。





【人間】魅力的な人より親切な人の方が得がたいものです


「君のことが好きでない人にたいして、親切であるためには、気立てのよさだけでなく、思いやりも必要である。」
(ウィトゲンシュタイン 「反哲学的断章-文化と価値」(丘沢静也訳))




【人生】感心すれど、感謝せず


「愛されるようにつとめるのだ。感心されるのでは-なく。」
(ウィトゲンシュタイン 「反哲学的断章-文化と価値」(丘沢静也訳))


関心されることと対を成すのは愛されることよりも感謝されることである。
なお、人間が愛されるのは魅力からであり、それは本人の努力によらないことが多い。
であるから、愛されるようにつとめるのは難しい。



よく歴史認識に関する論争で、ある種の言論人や学者が、豊富な知識と弁論術を駆使して、一方的なことを言ってたりしますね。「だから日本が悪いのだ。」とか、「だから韓国の方が悪かったのだ。」とか、「ナチスがユダヤ人を弾圧したのは正当なことだった。」とか。そういう人を見ると、僕は、いつも「関心」するんですね。すごい知識量だなあ、すごい弁論術だなあって。でも、何故か、そういう弁論に対して、「感謝」する気が起きないんですよね。その豊富な知識を、一方のためにではなくて、みんなのために公平に使ってくれればいいのになあって思う。


「あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」
Woe unto you, lawyers! for ye have taken away the key of knowledge: ye entered not in yourselves, and them that were entering in ye hindered.
(ルカによる福音書 11 52)



上の話は、芸術の場合も同じですね。ゲーテがたしかこう言ってました。


「悪趣味に技術が結びつくと、これより恐ろしい芸術の敵はない。」


これはあるような気がします。例えば、ミュージシャンで妙に技巧的な人っていますよね。バカテクの持ち主。そういう人の演奏を聴くと、いつも「関心」するんですね。「すごいなあ」って。でも、何でだか、「感動」しないことが多いですね。「すごいなあ」で終わってしまう。


世の中にはその逆の人もいますね。全然音楽理論とかには詳しくないのに、とても感動的な音楽を作る人。そういう人の音楽を聴くと、感心する前に感動してしまう。「素敵だなあ」って。そして、その感動に感謝するんですよね。素敵な音楽を僕はもっと聴きたい。


ところで、全然関係ない話ですけど、泣けるような感動的な作品を作るのは難しいですね。泣けるような感動とは、鰹節のようなものなのかもしれません。すぐに引き上げると出汁が出ないし、ぐつぐつ煮ると生臭くなる。辛気臭さ、しみったれたお涙頂戴な感じを出さないで、素直に感動できるものだけ引き出す。そういうことが出来る芸術家の人を見ると、素敵だなあって思う。そういう文章を僕も書きたい。

何を言っているのか、分からなくなりましたが、また書きます。




【小説】わんたん。


「少年の頃には人は作品の題を並べ立てるばかりで、一向にそれを書きはしないものなのだ」

(コクトー)



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