【散歩日記】夕暮れのお台場で考えた



今朝、起きると9時だった。僕にしては早い。
9時半から点検なので、それまでに朝食を食べようと用意して、食べてたんだけど、
食べてる最中に点検がやって来た。

下水管の清掃はマンションの外から長いホースを引いてくるので、点検中、玄関が開けっ放しになる。
その間、猫が飛び出していかないか、冷や冷やしながらみてましたが、猫は警報機の音にビビッたのか、ずっと隠れて出てきませんでした。
前回、奥の部屋に入ってくれなかった火災報知器点検の人が今回は中に入ってくれました。よかった。
いい人そうなので、はさみ虫を持って帰ってなければよいのだけど。


その後、出かけようとしていたら、電話。
電話を取ると、先週の不動産屋だった。
早口で一方的にあれこれ言ってくる。
で、「あなたに用はないので、今後、一切電話をかけないでください」とはっきり言ったのだけど、聞いてない様子で「また何月何日にかけなおします」と一方的に叫んでました。
2人で同時にしゃべっているから、何を言ってるのか分からない。会話になってない。
電話を切ったら、すぐにまたかかってきた。
今のマンションに引っ越してきてから、こういった不動産屋がときどき連絡してくるんですよね。うざい。
この不動産屋は大手不動産グループの加盟店なので、明日、グループのお客様相談室に苦情を言いましょう。


電話を無視して、いつものヴィトンへ。
先週、ピンクのTシャツが入荷したと連絡があったので、その受け取り。
さて、ヴィトンへ行ってみると、ついにショーコレクションが入荷してました。
コレクションは通常の商品より変わったつくりで数が少ないのですよ。
で、新作のTシャツも入荷してました。
赤、ベージュ、グレー、黒、紺(銀座店は未入荷)。
通常のTシャツより、さらに薄く、胸にLVのロゴが入ってるのです。
ベージュはほとんどすけすけの状態。
結局、ピンクのTシャツのかわりに赤のTシャツを購入。
サイズはSで、これは母へのプレゼント。
でも、見ているうちに、自分のも欲しくなり、黒を購入。
父には紺がいいかなと思ったんだけど、未入荷で、見送り。
父にはダンヒルのベルトか何かがいいかな。

帰り際、担当さんから16日のDJパーティに誘われました。楽しそう!
ヴィトン、いろいろやってますね。
また、何か景品をもらえるのかな。
(↑お土産を期待している。)


家に帰って、着替える。
半ズボンにタンクトップとシューズ。
そのまま、お台場へ向かう。
今日はついに両手にパワーリストをつけていきました。
1kg×2個。
で、道中、ずっと腕を動かしていました。
最初は、1kgという重さが中途半端なのか、イマイチやりがいがなかったんだけど、だんだん疲れてきて、いい感じに負荷を感じるようになりました。
で、愛宕から、浜松町を通って、レインボーブリッジの入り口のロビーで、トイレして、ハンドタオルを濡らして体を拭いて、缶コーヒーで一服。
やー、気持ちがいい。

続いていきましょう。
ここで、パワーリストを足に付け替え。
ずしりずしりと足が重い。
レインボーブリッジを歩くと、風が吹いてきて、そのつど、足で踏ん張る。いいトレーニング。

お台場について、ビーチを散歩。
パワーリストを両手につけて動かしてると、いろんな人から見られる。
視線が痛い。もしかして、イタい人になっているのではないかしら。

途中、クリスタルガイザーを買って、一気飲み。
で、飲んだペットボトルに水を詰めてみた。
たった500gで、重くないんだけど、1kgのリストと合わせると、ちょうどいい感じ。
ただ、このペットボトルはラベルが紙なので、握ってると、だんだん紙がボロボロに。
しかも、ちょっとやわらかいので、握りにくい。
やっぱりボトルの形状を選んだ方がいいですね。

あるいは、せっかく台場なので、砂浜の砂を詰めてもよかったかも。
なんでも、この浜の砂は伊豆諸島の神津島から運んでいるのだそう。
運びたての砂はなかなかキレイですよ。

いつもの終点まで行って、そこでストレッチして、Uターン。
ペットボトルは水を捨てて、ゴミ箱へ。
荷物にならないのがいいですな。

海辺に夕日がきれいだ。魚がたくさん跳ねている。
日が暮れて、レインボーブリッジを歩いていると、ビルの明かりが灯って、きれい。

なんだか知らないけど、最近、僕はとても幸せだ。
世間でいう幸せとはちょっと違うのかもしれないけど。

ひとりで夕暮れの潮風を受けていると、幸せを感じる。
自分が景色の中に溶け込んで、夕闇に消えてなくなりそうな気がする。
散歩しているとき、もはや自分の中に自己(エゴ)がない。
僕は存在しているんだけど、心の中でもつれてしまったややこしいことやわだかまりが全て、繊維のようにほぐれて、煙のように空に消えて行く。
ふわりふわりと心が宙に浮いている。
生きていてうれしい。
とても幸せ。

もしかしたら、僕は、若い頃に、いろいろなことであれこれと悩んだのがよかったのかもしれない。
おかげで、今はつまらないことに悩んだりしない。
悩み飽きたし、悩むネタが尽きてしまったんだろうね。
よい、よい。

どんなに感動的な音楽でも、それが収録されたCDを毎日何度も繰り返して聞いていると、そのうち感動しなくなる。前には泣けるほど感動したのになあと思う。
悩みもそれと同じことなのかもしれない。同じような悩みを何度も繰り返していると、そのうち悩みに苦しさが伴わなくなってくる。自分の心の中で悩みが事務的に処理されてしまう。そうなれば、もはや悩みは悩みでなくなってしまう。


ついでに言えば、僕と同世代の人が、僕が若い頃に悩んでいたようなことで、今まさに悩んでいるのをみるとかわいそうになる。偉そうかもしれないけど、その人のために、何か有益なことを言ってあげられたらいいんだけどもと思う。でも、言ったところで、僕の言うことなんか、その人に聞いてもらえるのだろうか。あるいは、聞いてくれたとしても、その人は受け入れるだろうかしら。

キリストは「聞く耳のある者は聞きなさい」と言った。これは言い換えれば、「聞く耳のない者は聞かなくてもいいよ」ということでもあるんだろう。僕は、それでも、何か、うまいこと、言えないものかなと思う。

しかし、今のところ、そうしようとすると、どうしてもたとえ話になってしまう。あるいは、遠まわしな言い方になってしまう。人間にはたとえ話以外に心の中を直接伝える話法ってないんだろうか。


さて、その後、欲しい本があったので、散歩を終了し、芝浦ふ頭からゆりかもめに乗りました。
新橋までたった4駅で240円。高い!!

で、新橋から銀座まで歩いて、本屋を巡ったのだけど、売ってなかった。
銀座って楽しいんだけど、大型書店がないのが寂しい。

今日は、結局5時間ぐらい、ほぼ腕を動かしっぱなしで歩いてました。
ほぼ、歩数と同じだけ手を動かしていたので、おそらく1万回以上は動かしてたでしょう。
レインボーブリッジのトイレで鏡を見たら、肩の辺りが別人のようにたくましくなってました。
筋肉って、こんなに簡単につくのね。もっと若い頃から運動すればよかった。

家に帰ると、また自炊。
鶏肉と豚肉と豆腐とピーマンとしめじ。
最近、たんぱく質の比率が高いですな。

明日は、どんな楽しいことがあるのだろう。






【社会】被害量と加害量の違いについて



最近、中国の反日運動や日本と韓国との間での竹島(独島)問題で、アジアの外交関係はかなりギクシャクしていますね。

何がいけないのか、何が原因なのか、一言で言うのは難しいと思いますけど、断片的に思うことはいろいろとあります。
なので、機会があれば、少しずつ思うことを書いてみたいと思います。


まず、第1回は「被害量と加害量の違いについて」と題して。

私は生まれてこの方、日本人が在日韓国・朝鮮人に露骨に差別的な態度を取るのを、ほとんど見たことがありません。しかし、その一方で朝鮮学校の女子学生の制服が切られる事件がニュースで報じられたり、ネット上で匿名の嫌がられせを見かけたりすることは少なくありません。
(どうも、日本人に限らず、人間には、「匿名になると横暴になる」、「知り合いの人に比べて、見知らぬ人に対して冷たくなる」という本質的な特徴があるのかもしれません。)

日本に住む在日韓国・朝鮮人に対する日本人の差別について語られるとき、どうも日本人側の加害意識と在日側の被害意識で違いがあるように思います。それはどうしてなのだろうかと考えてみました。

ひとつには、「足を踏まれた人の痛みは踏んだ人には分からない」ということもあるのかもしれませんが、それとは別に、いわゆる少数者に対する差別に限って言えば、差別する側と差別される側の人数比の問題もあるのではないかと思います。

例えば、ある学校のあるクラスでイジメがあるとしますね。で、いじめられている子が1人なのに対して、いじめている子が5人いるとしましょう。で、ある日、そのイジメが明るみになって問題になったとしましょう。その際、いじめられた側といじめた側の間で被害量と加害量についての認識の違いが明らかになるかもしれません。

いじめられた子が「非常にひどいイジメを受けていた」と証言しているのに対して、いじめた子達は「そんなにひどいイジメはしていない」と口をそろえて言うかもしれません。この両者の証言の違いはどこから来るのでしょうか。

私はひとつには、このイジメにおける、「一人当たりの加害量」と「加害者側の加害量の総量」の混同にあるのではないかと思います。

つまり、こういうことです。いじめられた子が受けたイジメの被害量は5人分です。それに対して、いじめた子達の加害量の総量は同じく5人分です。両者はイコールです。しかし、それを1人当たりに換算した場合の両者の比は異なります。何故ならば、いじめられた子の被害量が1人当たり5人分であるのに対して、いじめた子の加害量は1人当たり1人分に過ぎないからです。その両者の比は5倍違うのです。つまり、いじめられた子が5人分いじめられたのに対して、いじめた側は1人しかいじめたつもりがないという訳です。

ですから、いじめられた子が「非常にひどいイジメを受けていた」と証言しているのに対して、いじめた子達は「そんなにひどいイジメはしていない」と口をそろえて言う、というのもありえない話ではないと思うのです。

上のイジメの話は、少数者に対する差別問題においてもいえるのではないでしょうか。

現在の日本人口は約一億三千万人ですが、それに対して在日韓国・朝鮮人の数は約65万人ですね(多少幅があると思いますが)。その比率は実に200:1です。これは、日本国内において、日本人200人に対して、在日韓国・朝鮮人は1人しかいないということです。
これは何を意味しているのかと言うと、例えば、ある日本人が年に1回程度の回数で在日の人に対して失言したとすると、在日の人からすると、場合によっては年に200回の失言を聞く可能性があると言うことです。もちろん、その失言をした日本人側にはそんな意識はないんでしょうけれど。

これは例えば、身体障害者の場合も同じかもしれません。健常者が道を歩いていて、身体障害者とすれ違ったとしますね。その際、健常者からすれば、一瞬目を合わせただけなのかもしれませんが、身体障害者の人からすると、四六時中いろんな人からじろじろと見られているような感覚があるのかもしれません。


そういう意味で、私は、差別問題における被害量と加害量を考える場合には、必ずしも両者の感覚が一致するものではないと考えた方がよいのではないかと思います。

例えば、日本人は、自分がめったに失言をしないからといって、在日の人はめったに失言を聞かないものだとは思わない方がいいでしょう。
また、在日の人は、しばしば日本人による失言を聞くからといって、一人の日本人がしょっちゅう失言をしているとは思わない方がいいでしょう。
また、日本人は、在日の人から指摘を受けた際に、自分がした年に1回の失言を、あたかも年に200回もしたかのように恐縮して、詫びる必要はないでしょう。自分に非があると思ったら、その責任に応じて詫びればよいと思います。

要するに、人間にとって、一番大切なのは、相手の人に対する思いやりだと思います。思いやりとは自己犠牲の同義語ではありません。むしろ、立場の違う相手の人に対する想像力だと思います。






【旅行】君はもうこの町に住んでいないのだね


先週広島に帰省していたのですが、実質的な最終日だった7月19日(火曜日)、僕は一人で街をぶらぶらしました。


今、僕の両親が住んでいる家は電車も通わない郊外の山の上にあって、僕は帰省すると外出するたびに親に送り迎えをしてもらわないといけません。


で、その日は平日で父が仕事をしていたので、母に送ってもらったのですが、実際には、その途中にある自分が生まれ育った町で下ろしてもらいました。


どうしてかというと、ちょっと行きたいところがあったので。


それは、初恋の女の子の家。彼女は同じ中学の同級生で町内に住んでました。


彼女はとても美しい女性でした。どのぐらい美しい女性だったかというと、僕が生まれてから今日までに会った女性の中で一番美しい女性でした。僕は彼女より美しい女性を知りません。僕は彼女に出会ってから、他の女性を心から美しいと思ったことがないのです。


で、本人はもうそこには住んでないだろうけれど、その家が懐かしくて、急に見てみたくなったんですよ。


おそらくは、僕自身が長い間住んでいた借家がもう取り壊されてしまっていてもう見れないので、代わりに彼女の家を思い出したのかもしれません。


彼女の家は中学のすぐ近くにありました。


中学時代のある日、一人で下校しようとしていると、彼女が帰宅途中だったんですよね。で、彼女と話をしながら帰ったんですよ。もう20年近く前の話ですけど。


それから、高校時代にも、僕が彼女の家の前の通りを自転車で通り過ぎると、ときどき彼女とすれ違ったんですよね。「よう!」、「あら?」なんて言って。


僕の育った町は古い埋立地でした。で、その隣はいわゆる同和地区で、その町内にはいわゆる屠殺場がありました。その屠殺場からは毎日非常にきつい血の匂いが町じゅうに垂れ込めていました。


僕の中学は僕の町にあったんですけど、その同和地区のすぐ近くだったんですよ。小学校時代の友達の親の中には、これらの環境を嫌って、子供を無理やり別の学区に行かせた親もいたほどでした。


そのため、中学時代、僕たちはいつも猛烈な血の匂いを嗅ぎながら授業を受けていました。


冬場はいいんですけど、夏になると、冷房がないので、大変な状態になってました。窓を閉めていれば教室は蒸し風呂状態になるし、窓を開ければ血の匂いで臭いしで。彼女も僕たちと一緒にその匂いを嗅いでました。言葉は悪いですけど、掃き溜めに鶴という感じでした。


僕は中学の授業が終わると、逃げるように帰宅していたんですけど、今考えると、彼女の家はこの中学の近くにあったので、彼女は家に帰ってからも、ずっと血の匂いを嗅いでいたんですね。つまり、彼女は、小さい頃から、朝から晩まで血の匂いを嗅いで生活していたんですね。


(ちなみに、この屠殺場は10年ぐらい前に郊外に移転したそうで、今は全然血の匂いがありません。)


高校の終わりごろ、僕はずっと上京することを考えてました。絶対田舎で生涯を終わりたくないと思ってました。そのために大学受験のための勉強もしていたのでした。


ところが、ある日、彼女と自転車ですれ違ったんですよね。で、僕は彼女と一緒に自転車を漕ぎながら彼女に聞いたんです。


「高校卒業したらどうするの?」


「うーん、特に希望はないよ。地元の女子大に行って、地元の会社に就職して、OLになれればいいんじゃない。」


「そうなんだ。」


僕は何故かこのときの会話をいまだに覚えています。


その時の僕にとっては、東京に出るというのは至上命題だったんですけど、彼女にはそんな野心はなくて、地元でいいと言ったので、当時の僕はひどくがっかりしたのでした。


東京に行けば彼女とは会えない、彼女と会いたかったら東京行きを断念しないといけない。これって、田舎に住んでいる人だったらわりと経験のある話なのではないかなあ。結局、僕は東京に行きましたけど。


それから、僕は高校を卒業して、大学に通うために上京しました。


その少し前、僕は彼女にミニバラの鉢植えをプレゼントしました。廿日市まで探しに行きましたよ。で、彼女の家に行くと、彼女は不在で、かわりにお父さんが対応に出てきたんですよ。で、僕が


「餞別です」


と言って渡したら、彼女のお父さんが


「餞別って見送る人が送るんだよ」


って。言葉を知らないって、恥ずかしい。


今考えたら、彼女、迷惑だっただろうな。水をやってくれたかな、ミニバラに。自分勝手な悪いことをしてしまった。



さて、先週、僕は、彼女の家を訪れてみたんですけど、残念ながら、表札が変わってました。


持ち家だったら、ご両親が住んでいてもおかしくないんですけど、彼女の家は借家だったので仕方がないですね。


彼女の家に限らず、僕が育った町の家のほとんどは借家だったんじゃないかな。で、わりと、隣とくっついたような、いわゆる長屋形式のボロ家が多かった。彼女の家も隣と三軒がくっついてました。あんな狭い土壁の家に、あんなに美しい女性とその美しい妹さんと美しいお母さんとそれから彼女たちのお父さんが住んでいたんですね。


 僕は君が好きだった。何もしてあげられなかったけど。
 (富ってもうちょっと万人に行きわたらないものかしら。)



僕は、僕の両親が10年ぐらい前に郊外へ引越してから、この市街地の外れにある町に来る機会がなくなったんですけど、彼女の家の表札が掛け換わっているのを見て、これで本当にもうこの町とも接点がなくなったなあと感じました。もう両親が亡くなったら、田舎自体帰らなくなるのではないかなあ。


それにしても、彼女、今はどこで何をしているのかな。きっと素敵な男性と結婚してるんだろうな。


幸せであるといいなあ。空っぽになってしまった町で僕はそう願いました。



その後、自分が生まれ育った町内をぶらぶら歩きました。


僕が歩いた道は、ちょうど中学校から自分が最後に住んでいた家までの道でした。


久しぶりに自分の町を歩いて回ったんですけど、さすがに東京に出てきて15年も経つと、ずいぶん変わるもんですね。物心ついた頃、何故か好きだった三角路地がなくなってました。


歩いていて、一番気になったことは、昔普通に営業していた個人経営のお店のほとんどが潰れてたこと。やっぱり不景気なんでしょうね。あるいは、いまどき地元の専門店で買物なんてしないのかな。昔はぽつぽつと辺鄙な民家にお店があったりしたんですけどね。特に駄菓子屋とかお好み焼き屋とかたくさんあったんですけど。


大通りの両脇は大型のチェーン店が軒を連ねていました。それから大きなマンションがたくさん。これでは、もうどこの町だか分かりませんね。かく言う僕の生まれ育ったアパートも、最後に住んでいた借家ももうありません。どちらももう駐車場になってしまいました。時は流れるものですね。


僕は「劇画オバQ」のラストのように自分が育った町を去っていったのでした。






【惜別】一年ぶりの悲しい出来事


一年ぶりに悲しい出来事があった。


一年前にとても悲しいことがあって、でもしばらくは望みがあった。


でも、あれから一年たった今日、その望みがなくなった。


今はどこで何をしているのだろう。



ずっと昔、東京に出てきて一人暮らしをはじめた。


生まれて初めて大金を手にして、あっという間に使い果たしてしまった。


毎月、毎月、大金があっという間になくなってしまった。


その後も、ずっと物欲の強い生活をしてきた。



20代の頃、価値のあるものを手に入れると安心した。


そのうち、四六時中価値のあるものに手を伸ばしてばかりいるようになった。


やがて、手を伸ばしたものが手に入らないと、とても不安になるようになった。


ところが、苦労して手に入れたものは、かならずどうでもよくなってしまった。


かわりに、脇に押しやっていたものが、いつの間にか、何処かへ行ってしまったことに気がついた。



毎日毎日、前へ前へ、先へ先へ。


いつも横にあるものが見えなくなる。


手に入るのはどうでもいいものばかり。


手に入るのは金で買えるものばかり。



もっと大切にすればよかったと思うものがたくさんある。


でも、それらを大切にしていたら、今日までやってきたことを何も出来なかったかもしれない。


僕は、ずっと、自分の夢と、それらは両立しないものだと思っていた。


自分のすべきことで頭が一杯になっていた。


でも、それはただの思い込みだったのかもしれない。


うまくやれば出来たのかもしれない。


あるいはその方がずっとよかったのかもしれない。


未来には苦しみがたくさん、過去には幸せがたくさん。



僕の人生には、ほんの数年間、とても幸せな時期があった。


とてもわがままで幸せな一時期。



僕は大人のようなことを言いながら、子供みたいなことをしていた。


君は子供みたいなことを言いながら、大人びた絵を描いてみせた。


僕がすることに君は首をひねり、君が描く絵に僕は首をひねった。


首をひねっているときが一番楽しかった。



さようなら。


苦しい時間を共にした友。



さようなら。


けんかばかりしていた友。



さようなら。


君が幸せでありますように。






【テーマ】ばてるフィーバーじゃい


 「ばてるフィーバーじゃい」


 自分が 悲鳴を上げてるぜ (更年期障害!)


 産業医が 僕のこと呼んでるぜ (健康診断!)


 尿を採る 糖が出る ばてるフィーバー


 五つの数値が 高めに踊る


 「血糖値が高めですね」 ウィ


 「尿酸値も上がってます」 ダー


 「肝臓が弱ってるようです」 ンディオ


 「飲酒は控え目に」 イェー


 「運動してますか?」 オォー


 ひとつひとつは 小さいけれど


 ひとつになれば ごらん 『再検診』だ


 君も (君も) 君も ぼくらのように


 血から糖出せよ ばてるフィーバーじゃい!



バトルフィーバーJ、懐かしいのう。



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