娯楽に関して言えば、2種類の心の病があるわのう。


ひとつは娯楽依存症で、もうひとつは娯楽不感症じゃ。


娯楽依存症は娯楽がないと生きていけん人、娯楽以外に関心のない人。


娯楽不感症は逆に娯楽に関心がない人。



娯楽依存症の人は、その自覚症状がないのが普通じゃ。


娯楽依存症の人たち同士で集まって暮らしておったら、個人的には何の支障もないんじゃけえのう。


極端に言うたら、携帯と居酒屋があれば、彼らは日々の暮らしには困らんのじゃなかろうか。


ほいじゃが、それゆえに、この人たちの心の病は、長い歳月をかけて進行していくのじゃ。


そして、晩年になって、娯楽に費やした分、出来んかったこと、せんかったことがたくさんあることに気がつくのじゃ。


いや、それに気がつくこともなく、何ごともなかったかのように世を去るんが普通なんかもしれん。



ついでに言うとくんじゃが、仕事中毒っちゅう言葉があるのう。


仕事中毒みたいな人って、よう見ると、実は3種類ある。


ひとりは、本当に仕事自体が好きでたまらんっちゅう人。


もうひとりは、経済的な理由があったりして、やむを得ず無理して働かんといけん人。


最後のひとりは、娯楽依存症の人。要するに、娯楽以外にすることがない人。


いわゆる仕事は生活のためにしていかんといけんもんじゃ。


ほいじゃが、それ以外の社会的な使命については、それに取り組むかどうかは各自の自由じゃ。


ほしたときに、娯楽依存症の人は、娯楽以外にしたいことがないもんじゃから、娯楽以外の時間をすべて仕事に割り当ててしまう。


mayが大好きで、mustには従うけど、shouldには興味がない。


結果として、娯楽依存症の人の日々は、極端に働かんか、極端に働くかのどっちかになる。


特に予定のない平日は、特に忙しいわけでもないのに、なんとなく朝から晩まで働いとったりする。


こういう人は、仕事熱心なんじゃのうて、仕事以外にすべきことがあることに気がついとらんのじゃなかろうか。



よう、宗教なんかで、人は2度生まれるっちゅうのう。


わしゃ、娯楽依存症の人たちは、この2度目の出生を経験することがない気がする。


あったとして、その時間を過ごせるのは極めて晩年に限られるんじゃなかろうか。




さて、ほいじゃあ、逆に、娯楽不感症の人はどうなんじゃろうか。



その前に、個人的な話なんじゃが、わしが10代を過ごした’80年代の日本は娯楽の時代じゃった。


バブル前夜の、空前の好景気で、皆が一気に娯楽に走った。


その頃、わしは差別問題や、民族問題、社会問題に関心が高かった。


また、うちが貧しかったっちゅうのもあるんかもしれんけど、わしゃ当時の娯楽には乗り切れんかった。


当時、流行っとるもんに対して、何の関心もなかった。


そして、今日に至るまで、わしは娯楽の類にまるで関心がない。



そういった状況の中で、わしは2つのことに気がついた。


ひとつは、世の中には娯楽依存症の人が多いこと。


もうひとつは、わし自身は極端な娯楽不感症じゃっちゅうこと。


前者はわりと簡単に気がついたが、後者はなかなか気がつかんかった。


それが自分のことじゃったから。



娯楽に対して不感症っちゅうことは、悪いことなんじゃろうか。


単純に考えれば、金がかからんし、悪の誘惑にさらされることも少ないから、これはこれでええんじゃないかっちゅう気がする。


ほいじゃが、これにもひとつの大きな問題がある。


それは何かっちゅうと、まず、娯楽は、極めて強力なコミュニケーション・ツールじゃっちゅうことじゃ。


ほいで、娯楽不感症の人はその娯楽にまるで関心がないんじゃから、他人とのコミュニケーションにおいて、圧倒的に不利な立場に立たされざるを得んっちゅうことじゃ。



娯楽不感症の人は、どんな社会においても、枕する所もない。


「イエスは言うた。『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。ほいじゃが、人の子には枕する所もない。』」

And Jesus said unto him, Foxes have holes, and birds of the air have nests; but the Son of man hath not where to lay his head.


(ルカによる福音書 9 58)



20代の頃、わしは、枕する所を探して、いつもあることで悩んどった。


それは、いかにしたら、周りの人たちと興味を合わせることが出来るじゃろうか、っちゅうことじゃった。


そうせんと、誰とも、話が合わんじゃろ。


ほいじゃが、十数年がんばっても、それは上手くいかんかった。



30代に入ってしばらくして、わしは、ようやく悟った。


わしが興味のあることに、周りの人たちは興味がなく、


周りの人たちが興味のあることに、わしは興味がない。


その状況は、今も変わらんし、今後も変えられん。


娯楽の下に人は集まる。


その中で、娯楽不感症のわしは、日々、暮らしとる。


哲学書を読み、考えごとをし、海辺を歩いて暮らすのが、わしは好きじゃ。


ほいじゃが、そのわしにも、最近、新しい楽しみが増えた。


それは、このブログを書いて、読んでくれる人とコミュニケーションを図ることじゃ。


毎日、楽しいのう。(^ω^)



以上じゃ。(`ω′)!



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