寓話いうてあるのう。あれって人の役に立つんじゃろうか。
例えば、「ありときりぎりす」いうのがあるのう。
きりぎりすが遊んで暮らしておるうちに、ありさんたちはせっせと働いておったんじゃけど、冬が来たら食べるもんがなあなってから、たくわえのないきりぎりすが飢え死にしたっちゅう話じゃけど。
このお話の趣旨は、幼稚園の先生に言わせると、きりぎりすタイプの人に対して、怠けた生き方を戒めておるっちゅうことになるんじゃろうけど、実際はどうなんじゃろうのう。
わしゃ、どうも、この寓話は、ありんこタイプの人が自分たちの生き方を自己肯定するのに利用するばっかりで、ありんこタイプの人のためにも、きりぎりすタイプの人のためにもなっておらんのじゃなかろうかって思ったりするんじゃが。
まあ、このお話は、ありんこタイプの人にとっては、痛快なお話なんじゃろうけれども、作者の人(イソップ)は必ずしもそういう意図で書いたわけではないんじゃないかのうっちゅうて思うんじゃ。
結論を言うてしまうと、きりぎりすタイプの人がこの寓話を読んで、”喜んで”悔い改めるっちゅうことがあるんじゃろうか。わしゃ、必ずしもそうではないような気がするんじゃがのう。
まあ、読む人自身がちゃんと読んどれば、そがあなうこともないんじゃろうけれどものう。(´・ω・`)
上のようなことを踏まえて、わしゃ、例えば、こういうお話を考えるわけじゃ。
まあ、聞いてみんさい。
あるところにのう、小学校があってからのう、その中のあるクラスに二人の男の子がおったんじゃのう。
ひとりはそそっかしい鈴木君で、もうひとりはおっとりした佐藤君じゃったんじゃ。
その二人が、ある放課後、掃除をしておったんじゃのう。
で、鈴木君がてきぱきとしておるのに対して、佐藤君はもたもたしておったんじゃのう。
それで、先生が言うたんじゃ。
「みんな、さっさと掃除せえよ。もたもたしとったらいけんど。」
このとき、先生は佐藤君に言うておったんじゃのう。
ほいじゃが、これを横で聞いた鈴木君はこう思うたんじゃ。
「ほうじゃあ。先生の言うとおりじゃなあか。人間、のろのろしておっちゃいけんのじゃ。」
鈴木君はそう考えて、もっとせかせかし始めたんじゃと。
ところが、そうしたら、今度は鈴木君が失敗をしてしもうたんじゃ。
あわてて棚を拭きよって、花瓶を落として割ってしもうたんじゃのう。
ほいで、先生が言うたそうなんじゃ。
「そがあにせかせかしとったらいけんど。ゆっくりしんさいや。」
ほいじゃが、今度はそれを聞いた佐藤君がこう思うたんじゃと。
「ほうじゃあ。先生の言うとおりじゃなあか。人間、せかせかしておっちゃいけんのじゃ。」
ほいで、佐藤君はよけいにのろのろするようになってしもうたんじゃと。
まあ、そのように、人間っちゅうのは、他人のアドバイスを自分に都合のええように聞いてしまうことがあるんじゃのう。
なんで、こんなことを言うんかっちゅうとのう、昨日、わしは前向きっちゅうことについて書いたんじゃのう。
【思索】何に対して前向きに取り組んだらええんじゃろうか
http://ameblo.jp/toraji-com/entry-10040707735.html
ほいじゃが、あとでちょっと心配になってしもうたんじゃ。
もしかしたら、わしは一方的なことを話してしもうたんじゃないかのうって。
わしゃ、思うんじゃが、人間ちゅうもんは、大体一長一短あるけんのう。
それぞれ、ええところ、悪いところがあるもんなんじゃ。
ほいじゃけん、バランスをとって、逆の話もしておいたほうがええんじゃないかっちゅうて思うたわけなんじゃ。
で、その話をしようかっちゅうて思うたんじゃけど、前置きが長くなってしもうたけん、続きを書く時間がなあなってしもうたわ。
失敗じゃ。(`ω′)!
ほいじゃけん、続きはまた今度じゃ。
ほいじゃあ、またの。(`ω′)!
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