その1 からの続き)



小学校が終わると、僕たちは一旦家に帰り、制服を私服に着替えてから、彼のうちに集合するのが決まりだった。


というのは、その頃から、僕たちは自転車で市街地に遠出することを覚えており、彼のマンションの方がその市街地に近いため、集合場所になっていたからである。逆に彼が僕の家に来ることはあまりなかった。また、いちいち着替えていたのは、制服を着たまま学区外に出るのが都合が悪かったからでもある。彼の部屋に入ると、リビングでごろごろしながら、彼が出発できるのを待っていた。


彼の準備が終わると、マンションを出て、自転車に乗って、市街地に向かった。まず、二つ隣の町にあるC模型という小さな模型屋に立ち寄った。そこでプラモデルをあれこれ見て、気に入ったものがなければ、天満川を越えて、土橋に入り、Mという模型屋で欲しいものを探した。それでも必要なものがなければ、平和公園を通り抜けて、サンモールの横にあったNに行った。Nというのは当時の広島の繁華街の大きなおもちゃ屋で、趣味の鉄道模型などにも力を入れていた。また、舟入の外れにラジコンのサーキット場を持っており、子供たちにとっては有名なおもちゃ屋だったのである。Nでプラモデルを見て、終わると、本通りにあるS善館やK星堂などの本屋を転々と立ち読みして歩いた。そうして、することがなくなると、また自転車を漕いで帰っていくのである。

もちろん、小学生が学区外に出て、ましてや繁華街をうろうろしているなど、ご法度である。しかし、その違法性がまたスリリングで楽しく、毎日遠出を繰り返していた。その一方で、雨の日には、彼のうちでなんとなくごろごろして過ごしたりした。


ある日曜日の午後、藤本と二人で彼の家の居間で安いプラモデルを作って遊んでいると、ミッキーマウスの電話機が鳴った。


藤本がミッキーが担いでいる受話器を取ったあと、相手と話している様子が断片的に聞こえてきた。


「はい、もしもし。」


「あん、われ、誰なら。」


「知るか。声だけで分かるか。」


「おお、われか。なんなら。何の用なら。」


「あほか、行くかあや。何でわしがわれの家に行かないけんのなら。」


そういうと、彼は受話器をミッキーの肩の上にガチャンと置いた。



その3 に続く)