シバくなや、ほしたら、われもシバかれまあが。
Judge not, and ye shall not be judged:


責めなや、ほしたら、われも責められまあが。
condemn not, and ye shall not be condemned:


許したれえや、ほしたら、われも許してもらえるじゃろうが。
forgive, and ye shall be forgiven:


分けてやれえや、ほしたら、われも分けてもらえるじゃろうが。
Give, and it shall be given unto you;


ええ量りに、ようけ入れてもらえるど、
good measure, pressed down,


ゆっさゆっさ揺れるほどに、
and shaken together,


かやれるほどに、
and running over,


みながわれの懐に入れてくれるんじゃ。
shall men give into your bosom.


われが他人を量る秤で、われも量られるんじゃ。
For with the same measure that ye mete withal it shall be measured to you again.



ルカによる福音書 6 37-38
St.Luke 6 37-38 (King James Version.)










翻訳についての注意:

ここで「シバく」と訳した英単語"Judge"は「裁く」、「判定する」っちゅう意味じゃ。
(なお、本当の原語はギリシャ語じゃが。)
じゃけん、一般的な聖書の日本語訳では「裁く」て訳されたりするよのう。


ところで、「シバく」ちゅうのは本来「棒でたたく」、「ひっぱたく」とかいう意味の言葉じゃのう。

広島とか、西日本の男性は、通俗的な会話の中でよう「シバくど!」って言うんじゃ。
例えば、広島の人じゃと、相手の人がふざけたことを言いよると、「かばちたれな、シバくど!」っちゅうて言うんじゃ。


で、この「シバく」は「裁く」とは、本来的には意味がちょっと違うんじゃけど、音が似とるけん、面白いかのうと思ったんじゃ。まあ「シバく」っちゅう言葉自体、「制裁を加える」っちゅう意味合いで使われるけん、似たようなもんかもしれんしのう。


あと、"running over"は本来「あふれる」っちゅう意味で訳すべきなんじゃろうけど、これも広島弁に適当な訳がないけん、「かやれる」にしといたわ。これは「ひっくり返る」っちゅうような意味じゃ。やかんのお湯があふれて、ひっくり返るぐらいのイメージじゃ。


ところで、この翻訳の最初の2行と次の2行は言い回しがあってないような気がするわ。
本来は次のどっちかの方がええんじゃろうがのう。
じゃが、まあ、このへんは気分の問題じゃ。



「シバくなや、ほしたら、われもシバかれまあが。

責めなや、ほしたら、われも責められまあが。

許したれえや、ほしたら、われも許してもらえようが。

分けてやれえや、ほしたら、われも分けてもらえようが。」



「シバくなや、ほしたら、われもシバかんじゃろうが。

責めなや、ほしたら、われも責められんじゃろうが。

許したれえや、ほしたら、われも許してもらえるじゃろうが。

分けてやれえや、ほしたら、われも分けてもらえるじゃろうが。」