ヒルティは以下のように述べていますね。


「人生を強く耐え抜くには次の二つの道がある。その一つは、世の狼どもと一緒に咆え、目の前にありながら万人に行きわたらない生の享楽の分け前を得ようと猛然と噛み合う生き方である。これは一般に行われている生活であり、唯物主義のいわゆる「生存競争」である。もう一つは、神との本当の、誠実な、しかも喜びにみちた交わりにまで精神を高めることによって生きる道である。神との交わりを持つ者には、生存競争は不用になり、また憂愁や無気力は心に生じえない。」


ここに出てくる「万人に行きわたらない生の享楽」という言葉が私には気になります。

この言葉を少し拡張して、「万人に行きわたらない幸福」と言ったら言い過ぎでしょうか。

「万人に行きわたらない幸福」。つまり、幸運のことですが。


「万人に行きわたらない幸福」ってあります。

月並みな例をあげれば、たまたま美人に生まれたとか、たまたま金持ちに生まれたとか、家柄がよいとか、一億円の宝くじが当たったとか、そんなものですが。

そういった幸運って、それぞれ悪いものではないのですが、一つだけ残念な点があって、結局「万人には行きわたらない」ということなんですよね。


ところで、世の中には、争いごとが耐えないですね。

私が思うに、世の争いごとって、実は全部パイ争いなんじゃないでしょうか。

では、この世から争いごとをなくすにはどうすればよいのでしょうか。


方法は以下の4つ。

1.供給を需要より増やす。
2.需要を供給より少なくする。
3.複製可能なものを求める。
4.自分で価値を創造する。


3.の複製可能なものというのは、要するに知的財産ですね。古い言い方をすれば、「生活の知恵」です。

1.や2.は個人の力だけで実現するのは容易なことではありませんが、3.は必ずしも不可能なことではありませんね。

しかし、それ以上に素晴らしいのは、4.ではないでしょうか。

私は常々思うのですが、自分で価値を作り出せる人って素晴らしいですね。

私もまた常にそうありたいと思っています。


例えば、ある美しい女性に心を引かれて、その女性が自分と交際してくれたらどんなに素晴らしいだろうかと夢見たところで、かなうものではないですよね。

その女性が素晴らしい人であればあるほど、手には入らないものです。

恋愛って、誰でもすることが出来るけれども、その至上のものに限れば、結局、万人には行きわたらないものなのではないでしょうか。


それならば、私はかわりに美しい女性を描いた詩でも書いてみたい。

それは、所詮、あなたのクローンに過ぎないのかもしれません。

しかし、私はそれをせめてものの自らの慰めにしたいのですよ。

彼女はあなたほど美しくはならないかもしれません。

けれども、彼女は私を愛してくれるでしょう。

そして、それは永遠の命を持つことになるでしょう。

何故なら、今まで、万人には行きわたらなかったあなたの美しさが複製され、
万人に行きわたる幸福となるのですから。

もし私がその難事を成し遂げることが出来たならば、
あなたには自分がこの世に一つしかない彼女たちのオリジナルであることを誇りにしてもらいたいのですよ。


 「きみは私の書く詩を何より誇りにして欲しい。
 その力はきみのもの、きみから生まれたものだから。」(シェイクスピア)

(別のブログからの再掲)