【読書】杉村宰

『隣人を愛するということ

 日系アメリカ人と日本を助けたフレンド派の人々の記録』三月社、2024年2月刊

 

 

大虐殺がやまない。

武器を売って儲けたい人間と、欲望のためにじゃまな者を皆殺しにしたい人間が手を組んでのやりたい放題。なすすべのない私たち。

へたりそうな心に、200ページに満たないこの本は、くっきりと明るい光をくれる。

 

 第二次世界大戦中、日系人排斥の嵐の中、神の意志(自由・平等・隣人愛)を軸に、日系人を果敢に助けた人たちがいた。プロテスタントのクエーカー教徒(正式名はフレンド派)の信者たちだ。

 

 両手にもてるだけの荷物しか許されず、土地も財産も仕事も生活も奪われ、不毛の収容所へ移された日系アメリカ人たち。

 フレンド派の人々は、彼らにコーヒー・パンを差し入れ、ときに付き添い、物資を支援し、収容所の学校で子供たちを教え、収容所が廃止されると各地にホステルを開設して生活再建を支えた。さらには終戦後、食糧難に苦しむ日本へ物資支援の活動を担った(有名な「ララ物資」など)。

 そればかりか戦後何十年も日系人を見守り、名誉回復や、鷹派のレーガン大統領を動かしての補償法成立に働いた。

 ときには、教団のリーダー層が政府要人との人脈を使い、アメリカ社会が人道的な行いをするように促すなど、いろいろな方法を使いながら、彼らは粛々と隣人愛を遂行し続けた。

 

 杉村宰先生は、津軽生まれ在米50年(カリフォルニア在住)の牧師さん。はじめに所属した教団の母胎がフレンド派だったことから、けっして「ラッパを吹かない」彼らの勇敢な善行が、世界で忘れ去られそうになっていることを危惧し、書籍やメディア史料を渉猟して、このまぶしくも静かな人権活動を記録した。

 

 日本の「普連土学園」に戦前から奉職し「ララ」(アメリカ合衆国連邦政府によるアジア向け救済統制委員会)で精力的に働いたエスター・ローズ、日本へミルク用のヤギを送って親しまれたハーバート・ニコルソン牧師をはじめ、たくさんの人々が紹介される。

 

 それらがあまりに鮮やかに尊く、多くの表現は必要ない。

 簡潔な文から放たれる輝きが、暗く淀んだ私たちの心を照らしてくれる。

 

 良書をとつとつと出される、先輩ひとり版元の三月社さん、今回もまた、希望の灯りを掲げる出版を、ありがとうございます!

 

 

 嫉妬深く、欲によってのみ動き、臆病でなまけ者、強者には媚び弱者は虐げる。それが人間だと、マキャベリは言う。

 

 また、「人間は集団になると暴走し、ふだんはいい人がひどいことをやってしまえる」と数々の事件からいわれるのも、溜息をもって私たちはうなずかざるを得ない。

 

 そう。社会から逸脱する行動も、自分が所属する集団で「是」とされていれば、人はさしたる勇気を持たずに実行できる。

 悪童グループに所属する不良少年が、誇らかに悪事をはたらくのも、人民がどうなろうと知ったこっちゃない今のカルト自民党政権も同じかもしれない。

 

 すると、フレンド派の人々は、信仰を一つにする集団の力で、徹底的に善行へ暴走した……と、いえるのだろうか。

 

 だが、それは少し違う気がする。

 

 卑劣であればあるほど悪事は働くのが簡単だが、善行は難易度が高い。克己心がいる。

 

「平和とか正義は人それぞれ、いちがいにいえないよね」

「何の得もしないのに善行を働くなんて、いい人にみられたいから。売名行為でしょ」

そんな私たちの薄暗いナマ悟りを、この本で紹介されるフレンド派の行いは、かろやかにひっくり返してくれる。

 

「人権と自由と平等と人命の尊重、隣人を愛すること」。

 これは人間の理想として真実ではないだろうか。

 たとえどんな宗教・民族に属していたとしても。

 

「善をなすことを軸とした共同体」というテーマが、私のなかにきらきらとたち浮かんだ。

 日本国もそうであってくれないだろうかと、願いながら。

 

 世界中から「あの人たちは憲法九条を信仰してて、戦争しないし武器は持たないし、ちょっとお花畑だけど、世界中で災害があると人命救助に駆けつけてくれるし、文化や芸術をだいじにするし、みんな本をよく読むし、親切だし、ああいう人たちに悪さはとてもできないよ。憧れるねえ」と尊敬される共同体。 

 

 それと、歴史上に、ほかにこのような信仰共同体はあっただろうか、ということに興味がわいた。

 

 ちょっと思い浮かべてみると、戦国前期の、時宗の願阿弥という僧とたぶん仲間たちが、お金を集め(時に、本当なら自ら人民救済を担当すべき将軍足利義政からもカンパをもらい)飢饉の貧民を助けたことなど……がこれに近いだろうか。

 もっと事例を探しに世界史の旅に出たい。

 

 

 また、この本には、フレンド派に属さない人で、やはり人道的なふるまいをした人々をも紹介している。

 とくに心に残った人を挙げると、

 

・非日系アメリカ人でただ一人、日系人収容所に(自ら望んで日系の友人と共に)入った高校生、ラルフ・ラゾー

 

・戦勝国兵として眼ギラギラと日本へ乗り込むアメリカ兵に向かって、ラジオで「息子たちよ」と自制を呼びかけ、「大和撫子の恩人」と呼ばれたカトリック司祭、パトリック・バーン

 この人は後、南北戦争渦中の朝鮮半島に派遣され、捕らわれ、北に徒歩で連行されるさなか、食糧を同行者にわけ、天に召されたという。

 

・教区の人々の日本人迫害に心を痛め、日本人の権利を守るように働きかけたオレゴン・メソジスト教会のシャーマン・バーゴイン牧師。この人は地元で買い物も散髪もできないほど迫害を受けたが、戦後、「人道の勇者」としてトマス・ジェファーソン賞」を受けたという。

 

 

 当然ながら、どんな集団にも光と陰はあるとは思う。

 

 例えば、集団行動が苦手な人がフレンド派の家庭に生まれたら「毎週日曜は募金に行きなさい」と言われていやになり、「勝手な奴」といわれたりしちゃうのだろうか。

 また、善をなす場合、自分の喜びを大切にすること、限界設定をもうけること、自己犠牲はだめだ、ということは共有しておかないとパンクしてしまう人がたくさん出てしまうだろう。

 そこら辺はなにか、やり方のシステムがあるのだろうか……。

 

 だが、こうした疑問から「どんな理想的な集団にもウラがあるんだよね」などと、鬼の首を取ったように言うのは違うと思う。

 

 この光り輝くハンディな本を出発点に、謙虚で真摯で哲学を持った、綿密な取材のできる書き手によるルポが出たらいいなあと思う。

 

フレンド派のことをいろいろ知りたいと思った。

もちろん、敬意と輝く希望をこめて。

(了)