このブログを見ていてくださる方には

私の勝手な生き方のせいで

誰が悪くなってしまってもおかしくない様な

説明不足な点も多々あり

全て私が正しい訳でもないのは

御承知おき頂いての心の綴りである事を

御理解の上で 私の叫びやポジティブになろうと

足掻いている今を書き連ねています…🙏


4月1日の午前3時40分

両親が入所している介護付き施設より電話があり

夜勤担当のスタッフさんが心肺停止の状態での父を発見して下さり連絡がありました


同室の母も何があったのか分からぬ程

静かな時間での事だったそうです


午前9時30分お医者様より

死亡確認をされました


私が父の元へ行けたのは検査入院している

病院の会計後の正午過ぎ


兄と施設との連絡をしながら対面した父は

優しい穏やかな顔でした

癌を患っていたので年末のレントゲンで

腎臓の癌が肥大した事実を知って

処方箋の内容が緩和療法の最終段階に近づいた事は覚悟していました


ただ、施設に入所した段階で

父の毎日のルーティンは剥奪され

母とは同居しながらも

自分の出来る事が出来なくなってしまった

喪失感と虚脱感は察するに余りありました


申し訳ないけど、もう2人だけで暮らすには

心配と不安と周りの状況を説得して納得してもらうが難しいの


入所しても母はリハビリの成果もあり

歩けるようになったけど…


お父さんは癌にかかった人によくある

一度は良くなってガクッとくると

言われた通りになってしまったね…


入所して見守ってくれる人が見つかったと勝手に私は安心して…その間に私が手術入院をせずに

お父さんのやり残した事を早く手続きしていたら

突然ってならなかったかもしれないよね

 

ごめんね🙏

頼りにしてくれていたのに…


お父さんの死期を早めたのは

私だったのかもしれないよね


でもきちんと見送れるように

しっかりとします


7日がお別れの日だけど

しっかりとお父さんの築いてきた事は

守り、恥じない様にお母さんと御見送りします


その日に煙と共に空へ上がって行くお父さんを

しっかりと御見送りします


兄の家に行くのは生前なかったでしょ?

毎日御線香をあげてくださいとお願いしたよ


最初は実家の誰もいない仏壇に

お父さんのお骨を置こうとしようとしたけど

四十九日まで 誰が実家で御線香を絶やさずに

いられるの?

ご先祖様にも不義理をしているのに

お兄ちゃんそれはないよ!と言葉にしてしまった


その事にもごめんなさい🙇‍♀️


ただ…お母さんを見送るのは辛かったから

先に逝って待っててくれるんだよね


お父さんと私

お父さんとお兄ちゃん

色々あったけど、

怖がりで寂しがり屋のお父さんが

見送るのが嫌でお母さんを空の上で

支えてくれるんでしょ😊

貴方の娘だからその意味分かるのよ


見送るのが怖かったのね😊

それも分かっているから😊


ゆっくり疲れた身体、心を御住職のお経で

穏やかにしてくださいね🙏


反旗を振り翳した日もありました

私に何があっても理解なしで

私が心を閉ざした時期もありました


思い返せば腹立たしく怒鳴りたくなったから

だよね


でもね、今私には誰にも何も遺してやれる人が

いないの

お父さん…いっぱい可愛いがってくれたでしょうに期待の孫の顔も見せられずごめんね🙏

50歳過ぎてお母さんから貰った血と細胞で

備えてあった子宮と卵巣、卵管を失う時に

怒られたのは…キツかった…

お母さんの方が私が手術で全摘するって

告げられた時の方がキツかったと思うのよ


だってその時お父さんはまだ癌とは無関係

お母さんは口腔癌で1人で抗がん剤と

闘ってても夕食はキッチリ作ってくれた


お父さんは癌って言うものには罹らないって

思っていたよね


ウチは癌家系だよ


でも最期の顔が子供の頃に見た

お父さんだった


私が今、この世に生を受けて

存在していられるのは

お父さんのお陰です

一生懸命に働いて

嫌なこともあったのに

お仕事を頑張ってくれました


いろんな所へ連れて行ってくれました


ああしてれば良かったとか

素直にごめんなさいが言えなかった



ありがとうございました

お父さんの子に生まれなければ

私はここに存在しません



また逢おうね

ゆっくりお休みしてね