昨日は、3.11。
あれから1年が経過したのかと、よくよく考えさせられた一日でした。
昨日ばかりは、テレビも追悼特別番組がほとんどでしたね。
私も日々子育てに追われて、ついついあの日のこと、そして今も
苦しんでおられる方が居るという現実を見失いがちで、本当に
いけないなと思うのですが、昨日ばかりはもうテレビから離れ
られず、被災地の今を見ては涙の止まらない一日でした。
1年前のあの日。。。
私は港区内で通常通り勤務中でした。
築30年以上の古いビルの1階に居た私ですが、
「ドドドドー」と地面の奥底から響く音に、咄嗟に机の下へもぐりこみ
2度目の揺れの時は、なぜか荷物まとめて全員外へ逃げ出して
いたことを今でも鮮明に記憶しています。
しかし、
外へ出てみたものの、まったく安全な場所などなく、停車中の車は
激しく横揺れし、自社ビルの壁面タイルはボロボロと上から剥がれ
落ちてきて慌てて逃げ回る始末。
結局、社長の
「中へ戻りなさい!!」
の一言で再び社内へ戻ったのでした。
この時、妊娠4か月。
どうなっちゃうんだろう・・・。
反射的にお腹を必死に撫でていました。
「大丈夫!大丈夫!」と話しかけながら・・・・。
その日は帰宅できず、役員室のソファーに横になり朝を迎えました。
そして夫の迎えで翌朝ようやく帰宅。
そのあとが大変でした。
節電の影響で、通勤電車の本数が一気に減らされ、超満員電車へ
無理矢理体を押し込み、押しくらまんじゅう状態の通勤の日々。
もはや、こんな非常事態の中では、マタニティーマークなど
意味を持たない。
私は、とにかくお腹をトートバッグとダウンで覆いまくった。
自分の身は自分で守らねば。
そんなことがあっても、なんとか、無事に産まれてきてくれた我が子。
生命力の強さを感じています。
震災の中、電気の通わない状況の中、出産された方も多く居られたと
やっていましたね。
真っ暗の中、懐中電灯の灯りのみを頼りに院長先生、助産婦さんが
必死にお産に取り組まれたと。
産後の赤ちゃんを温めてあげるために、サランラップでケースを覆うなど
工夫されたと。
涙の止まらない私の頬を、娘は両手で何度も撫でてくれていました。
わかっているのか、わからないけれど、
なおさら涙が溢れてきたのでした。
父が亡くなった時も、生かされた命、父の分まで全うしよう、
そう強く思ったはずなのに、いつしかそのことも忘れつつある私。
人間って、とことん怠け者になれる生き物だなと。
これじゃダメだなと本当思いました。
一日一日、どんな些細なことも丁寧に、全力で取り組もう。
これが私の今後の課題です。
被災地の方の苦しみを忘れてはなりませんね。
できることはなんでもしようと思いました。