妻が癌になりました。

妻が癌になりました。

これからどうしよう・・・

Amebaでブログを始めよう!

2013年1月に鼻の奥に腫瘍が見つかって以来、抗がん剤、放射線治療、手術を経て、気付いたら2019年ももう少しで終わる。

あれからまる7年が経とうとしてます。

妻は生きてます。

 

 
 
 
 
 
 
・・・・が、手術から3年後、脳幹に転移が見つかってしまいました。
手術の出来ないところです。
その他にも小さい腫瘍が脳のいたるところに見つかりました。
それでも、できることはやってみるということで、抗がん剤、放射線治療、そして新しい治療法の免疫療法。
すべてやってみました。
まだ腫瘍はなくなってません。
 
このブログが妻に見つかるのが怖くて書けないでいたけど、また思い出したときに書いていきたい。
 
長らく放置しておりましたが、妻が本日朝から手術することになりました。
8時間以上のとても難しい手術らしいですが、頑張ってもらいたいです。
過去のブログの続きもおいおい自分のために書いてていこうと思ってます。



覚え書きとして

初めての入院
初めての抗がん剤
髪が抜ける
カツラを付けてみる
2回目の抗がん剤
学生達からの手紙
旅行
絵の仕事
リフォーム





2月6日朝。
妻はいつものように学校へ出勤。
だが、今日は入院する報告も兼ねていた。
学校に着くちょっと前くらいの時間に彼女からの電話が来て、
「今日、午後は空いてるので、午後はお父さんの家に行く。面倒なことはまとめて済ましたい。」
という事だった。
午後になり、彼女が帰って来て、二人で納豆ご飯を食べた。
ここ最近、まともな料理を作ってないことに気づく。

義父宅には2時頃に到着した。
事前に電話へ簡単に説明していたらしく、
「なんとも大変な事になってるって?」
と、ドアを開けるのと同時だった。
妻は一人娘で、大事に育てられてきたのは本人も解っているから、父親を心配させまいと一生懸命言葉を選びつつも詳しく丁寧になるべく感情を居れずに淡々と説明していった。
感情を入れるとこみ上げるものが抑えられないから、なるべく平静を装っているように見えた。
義父も口数少なく黙って聞いていた。
お茶を飲み、夜にもう一度学校へ行く用事があったため、その日はこれで失礼した。

その日は、僕も学校へ同行した。
そしてまた、夜の担当の先生に報告と今後の話することに。
「心配ないから、頑張って」
と励ましてくれたり、応援してくれたりされた。
妻の気がかりは、途中で授業を預けてしまうことを言い出せなかったようで、学生宛の手紙を用意して後の授業で読んでもらうことにしたみたいだった。

帰りの車の中、僕は考えながら運転していた。
一人で考えていると、どうしても悪い方向に考えがちになる。
人に話すことで、気持ちが少し楽になってることに気づいた。
励ましの言葉というのが、こんなにもありがたいものだったと、今更ながら感じた。

精算を終え、帰りの道すがら
「お父さんにも言わないとね」
妻は昨年4月、母親を肺がんで亡くしている。
乳がんから肺に転移して、高齢な事と本人の希望で、終末期医療を選択した。
それでも介護が必要になったのはほんの数日で、前の日まで歩いてトイレに行けたほど元気だったが、咳と痛みが続いた場合は、夫である義父が全て面倒を看ていた。
そして、伴侶を亡くした義父は今、定年を迎え一人暮らしをしている。
最近やっと趣味のカラオケとダンスを始めて楽しんでいる様子だった。
そんな義父に、妻が逝きまだ一周忌も終えてないのに、、まさか今度は娘が同じ境遇になるかもしれないと報告しないといけない妻の心境を考えると、何も言えずただうなずくしか出来ない自分が情けないと感じた。

その日の晩御飯は、さすがに料理を作る気にもなれず、外で食べることにした。
美味しい地酒をリーズナブルに提供してくれる、いきつけの蕎麦屋にした。
妻はいつもの天ざる蕎麦と日本酒、僕は温かい蕎麦を頼んだ。
まだ時間が早かったせいか客もまばら。
料理が来る間、普段なら他愛のない会話をするものだが、今日はお互いどうしていいのか分からず顔を見合わせるくらいしか出来ないでいた。
料理が来たら、酒や蕎麦の話になりいつもどおりにの雰囲気になっていた。
でも僕の心の中では、去年の義母での事が気になっていた。
義母は、趣味人でガーデニングやアンティーク雑貨などこだわりの強い人で、自分の葬式もやりたい事がハッキリしていた。
しかし、遺影の写真だけ用意しなかったため、いざ用意するのにデジカメの悪い画質の写真しか用意できなかったのが、どこかで心残りになっていたんだと思う。
我々夫婦も写真にそれほど興味なく、旅行へ行っても楽しむのが先で、写真はほとんど撮ることがなかった。
お互いの写真が無くて、よく「私達、遺影写真無いね」と冗談で言ってたものだった。
僕はなんとなく、
「写真、撮ろうか」
とポツリと言ってしまった。
すると、今まで抑えていた気持ちが噴出したのか妻の目から涙が流れた。
そこでやっと自分が酷い事を言ってしまったことに気づいた。
今まで「死」ということを意識しないように気丈に振舞ってきたのに、僕の一言でリアルな物になっってしまったのかも知れない。
後悔と同時に僕も涙がこみ上げてきた。
僕は彼女の顔が見えず、泣き顔を見られるのも辛かったので、椀にかぶさる様に蕎麦をすすった。
鼻水が蕎麦に入っても気にせず、息を殺して涙を出しながら蕎麦をすすった。
彼女が僕にポケットティッシュを差し出しながら
「私達、蕎麦屋で何やってるんだろうね」
と、鼻を赤くして笑いかけてくれる。
それからは、しばらく無限ループのようにティッシュとテーブルの紙ナプキンを消費した。

家に帰ると、何も知らないペットのチンチラがケージごしに出迎えてくる。
十分落ち着いてから蕎麦屋を出たので、お互いいつものテンションでこれからの事を話し合うことになった。
といっても、とりあえずこれから1週間程度の事だが。
まず、学校に報告するにあたり、休職は可能なのかどうか、残った仕事の引継ぎなど。
次に絵の仕事は今手をつけている仕事は入院前までに上げる。
そして、義父への報告は近いうちに説明しにいくことにした。
他に金銭面の話もした。
現在我が家は、ほぼ妻の収入で生計をたてている。
なので、彼女の入院にあたり収入がゼロになるということになる。
入院費や治療費は、生命保険や貯蓄でなんとかなるとして、先の見えない支出にいつまでも持ちこたえられるはずもなく、なんとか捻出しなければいけない事がこれから心配のだった。
僕自身が、働けば問題ないのは重々解っているのだが、前の会社を辞めてから大分経つ上、内向的な性格に陰湿な仕打ちのための離職だったので、人間不信で軽い鬱を持つ僕には受け入れてくれる会社は皆無で、もし就職できたとしても続けるられるか不安なのが就職に消極的な理由だ。
端的に言えば「甘え」なんだろうと思う。
そんな僕に困りながらも、今まで好き放題させてくれた妻には感謝という言葉ではすまない。
3ヶ月間については、不要な支出をしないとだけ約束した。

そんな話をしている間に夜10時過ぎ。
いつもならまだ起きているのだが、今日一日がまるで数日間に起きたように感じられるくらい二人ともくたくたになっていた。
結婚当初から普段はお互い別のベットで寝ていたのだが、その日は僕が彼女のベッドに潜り込んで行った。
妻はいつも一緒に寝たいと熱望していたが、僕の勝手のわがままで別々のベッドにしてもらってた。
たまに彼女が潜り込んできた事もあった。
腕枕をして僕の肩に顔をうずめて、妻は震えるように泣いていた。
僕はなるべく密着して震えをおさえて上げるくらいしか出来ず、涙で歪む天井を見ていた。
しばらくすると、お互いの熱で蒸し風呂になった布団に耐え切れずに、元にベットに戻ったのもいつもの事。

そんな長い一日で、僕の無神経な言葉は、一生悔やんで忘れられないものだったと反省している。
次に放射線治療科で診療を受けてくださいと言われ、向かう。
そこでまた診察前アンケートを書く。
『・飲酒はしますか?』
「・・・やっぱり、正直に書かないとダメだよね?」
「そりゃぁね」
記入欄には「はい(1日日本酒2合)」と書いて出した。

しばらくして、診察室へ呼ばれる。
やはり先生は若い。
開業医の個人病院は、おじいちゃん先生しか知らなかったので、若い先生は新鮮だった。
まず、先生は問診から始まり、一通り診察が終わる。
途中、アンケートとモニターを交互に見比べて、マウスのポインターがある項目をグルグルを囲む
「飲酒」
どうやらカルテは、他の科と共有しているようで、前回耳鼻咽喉科で質問されて答えた「付き合い程度」
と、今回出した「毎日日本酒2合」が気になったらしい。
でも、先生は特に突っ込みもせず、淡々と診療を続けてくれた。
後から妻に聞いたところ、心の中で「察しろよ!!」と、思ってたらしい。

ここまでで午前11時。来てから診察だけで2時間かかった。
でも、午後2時にカンファレンスがあり、その時にまた来なければいけないが、3時間もあるので一度家に帰ることにした。
そういえばこの時も妻は、本の挿絵の仕事があり、家で仕事をしたいと言ったのだった。
インスタント麺「まるちゃん正麺しょうゆ味」をすすり
「正麺ってそんなに美味しいか?僕は普通のが好きだな」
「麺の腰が違うよ。味わかんなくても食感はわかるし」
などと、普段どおりの会話。
小休止しつつ、絵の仕事をして、また病院へ向かった。
車中でも「大変なことになったね。」くらいしか言えず、口数少なく到着。

ちょっと早く着いたので、休憩所でドリンクを飲みながら二人無言で過ごした。
カンファレンスは地下の一室で行われた。
妻だけ呼ばれ、しばし待つ。
テレビでは宍戸錠の家が火事になったと報道されてた。
帰ってきた妻に「どうだった?」と聞いてみら
「いっぱい先生がいて、カメラを鼻にグリグリ突っ込まれてイデデデってなった。あと、みんなに入り口の密林(鼻毛)見られてすごく恥ずかしかった。」
そして、また移動。耳鼻咽喉科へ
広い施設で移動も大変です。
恒例の待ち時間の後、診察室へ
「今後の治療の方向性が決まりました。」
更に詳しく調べるためにまた1週間かかるらしい。
入院は最低3ヶ月かかり、決まり次第すぐ入院と言われた。
「仕事が・・・」と言いかけたが「自分の体のことなんだから、ほかの事は考えない方がいい」と先生。
確かにそのとおりだし、正論だと思う。
だけど、社会ってそう割り切れるものじゃないわけで、全てを投げだす訳にもいかず、入院までにやれることはやろうと2人で考えていた。
挿絵の仕事は、なんとか来週までに描き上げて、秘密で通す事に。
治療による副作用は、色々考えられるらしく、どちらにしろ楽ではないようだ。
他にも色々説明してくれたが、動揺で忘れてしまったので、思い出したら書こうと思う。