「あの子は優しくて良い子だ」
誰かの性格や評判を表すとき、そんな言葉をよく耳にする。
かくいう私も、周りから「優しい」と言われる側の人間だ。しかし、私は自分のことを良い子だと思ったことは一度たりともない。世間で呼ばれる「優しさ」というものには実は3つのタイプがあるのではと思っている。他人からではその優しさのタイプが判断できないから「優しくて良い子」という巨大で粗末なレッテルをべったり貼りつけてしまうのではないだろうか。
3つのタイプの呼び名を、わたしはそれぞれ
「自己中型」「献身型」「抑制型」と呼んでいる。
まず、
「自己中型」について話す。私もこのタイプに当てはまる。
このタイプの人達は、誰かのためにという気持ちで優しくしているのではない。ただ、自分が良く見られたいから周囲に対して気を配っているだけだ。
良く見られたいより嫌われたくないという気持ちの方が的確かもしれない。
所詮他人のことなど見ていない。彼らの優しさの矛先は実は自分自身に向かっているのである。また、彼らには自分の中で理想像というかポリシー的な物がある。それから外れた行動や言動は避けたいという気持ちも優しさの原動力になる。何れにせよこのタイプは自己肯定感が低めの人が多く、ただ周囲の目が気になるから優しくするだけだ。ある意味、自己肯定感の低さ故の副産物とも言えるだろう。
2つめ、「献身型」のタイプは根っからの献身者。過去に一度このタイプに会り、あまりにも他人優先なので気になってなぜそこまでするのか聞いたことがある。その時の返答がこうだ。
「他人が幸せになる方が自分が幸せになるよりも嬉しい。」当時の私は驚愕した。このタイプに周りが優しすぎると心配しても、それは無駄な取越苦労にすぎない。
彼らにとっては、他者に献身することは最大の自己幸福であるから。ただ自分が最も幸せになる方法を追求しているだけなのだ。
優しい子大好き連盟の方々はこのタイプと一緒にいた方がお互いに幸せになれると思う。
そして最も厄介なタイプが「抑制型」である。長女や長男に多い気がする。親や周りからの「下の子に譲れ」、「年長らしく振る舞え」という圧力から、人に譲ることが当たり前だと思って生きている。しかしその行動が自分の気づかぬ内に大きなストレスとなっている。ストレスをため込み爆発しやすいのもこのタイプ。
気苦労が絶えず、それを周りに話すこともできない。私的には一番幸せになって欲しい。
抑制型の人達は、自分と他人を人間A.Bと一括りにして考えるようにすると良いと思う。
自分の気持ちを押し殺して、他人を優先することは、自分を不幸にして他の人間を幸せにすることとほぼ同義である。これを人間A.Bで置き換えると、結局はA.Bどちらを幸せにしたいか判断しているだけに過ぎない。
いつもBばかり選んでるのだったら、たまにはAも選んであげて良いんじゃないだろうか。平等という観点では1対1が一番良い。 

私は優しさは必要なことだと思う。それがどんな動機であれ、他人の心を守る行為だから。他人を思いやる優しい世界ならば、どれだけ素晴らしく、美しい世界なのだろうと妄想もする。
けれど、優しくすることに自分が苦しんでいるなら、休んでもいいんじゃないだろうか。優しさは他人に向けることに限定されているわけではないのだから。