秦の歴史
前897年ー前361年
秦の実力が増え続ける。西北に位置しているため、秦は西北の戎という民族との戦争が多く、軍事に強い。また文化的にも周の礼儀作法より武の精神を推奨している。貴族の権威を擁護するという伝統的な空気が薄いため、改革はほかの諸国より簡単だと思える。
前361年ー前338年ー前250年
商鞅による全面的な改革によって、全国の権力が秦の中央政府に集中し、地方の貴族は経済や政治など、あらゆる面で弱くなった。よって秦は国としての実力がさらに上がった。前259年始皇帝が誕生した。その時の秦は東に向かって進める軍事力がようやく足りるようになった。
前250年ー前221年
秦国から秦帝国に(戦争)
前221年ー前210
郡県制度
法律、文化の統一
長城、運河、道路......
始皇帝の巡遊、不老長寿術探しと死
前210年ー前206
秦二世胡亥、扶蘇の死、李斯の死、胡亥の死。
趙高は秦三世子嬰に殺される。
子嬰は劉邦に降参した。
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考え
1帝国になる実力
他国より強い軍事力+大きい中央権力+お金持ち。「礼儀が悪い野蛮人」と、最初から諸国に見下されたんだけど、しっかり実力を持っているから、迫っていくとき、どの国も匹敵する力がなく滅ぼされる。ただし、秦がそれほど強くなったのは、武器だけのおかげじゃなくて、中央に集中できる権力と財政が作り出した最強の政府のおかげもあるんだろう。
2帝国の命を延長する方法を間違えた。
ようやく全国統一になったが、戦争で苦しんでいた人々は、大規模な工事があったためまた労役や税などで苦しむことになる。長城を修築するために30万人もの人々が家を離れ、死ぬこともある。その帝国の重荷になりつつある工事は、帝国の死を宣言した。歴史上その帝国と崩壊のシナリオは、後も上演したことがある。
3始皇帝の「不死」という夢
「三皇五帝」は、神様みたい理想的な帝王たちだ。「皇帝」とは、彼らを超える存在って意味もあったかもしれない。始皇帝がどれだけ熱い夢を持ったことはその言葉だけで、ある程度感じられるだろう。だが、皇帝になっても、天下の最も上に座っていても、肉体は腐る。死を迎えるしかない。全てを失うしかない。その無力感は、老人となった始皇帝の心を食い尽くしたかもしれない。どんなに偉い人、素晴らしい人、時間の流れのなか、精神的に腐ってしまうことになったら、偉い人として扱われると危険だ。
4胡亥というあやつり人形
始皇帝は最後、長子の扶蘇を皇帝にさせようとしたが、あいにく扶蘇は彼のせいで不利の立場になり、趙高の自殺命令に従った。胡亥は間接的に兄弟を殺した。なかなか皮肉のシーンだった。胡亥はなぜか趙高に依頼しすぎている。純粋な子供っていうか、バカっていうか。肉親の兄弟が自分のせいで殺されたって知ったとき、どういう気持ちなんだろう。それほど信頼している人は、最初から彼を利用しただけで、彼の肩を持つことがなかった。皇帝となって自分の兄弟を全部殺したときは、この世に彼の肩を持つ人、全部なくなったんだろう。