昨夜、母と話をする機会がありました。

私が小学生の頃、壮絶ないじめを受けながらも
決して逃げず、一度も休まなかったこと

偉かったね。
よく、頑張ったね。

突然の暖かい一言に、ぼろぼろ泣いてしまいそうでした((T_T))

その後、不思議と素直に
あの頃の気持ちや、今改めて思うことを
話すことが出来ました。


とにかく、両親に心配かけたくなかった。
そして、「これは私と同級生の問題で、親は関係ない。
私が売られた喧嘩なのだから、私が責任をとるべきだ」という
正義感、というか責任感です。

(そもそも、一人対十数人な時点で喧嘩とはいえないんだけど)

我慢し続けたことが、本当に良かったのか。

不登校が問題視されてるけど、「登校しない」と行動するのも
ある意味、勇気ある行動なのではないだろうか?

優しすぎる子が、かろうじて唯一、抗議行動として選択したのではないか?


私には、何が正解なのか分かりません。

だけど、確実に言えることは

いじめた側は、あっさり忘れてしまえるけど
いじめられた側は、
自己を正しく評価する術を失って
未来までも押し潰される可能性があるということ。

人の価値を潰す。未来を潰す。
なんて恐ろしいことでしょう。

あってはならないのです。
久し振りの、ブログです。

相変わらず、日々生活しながら
毎日、信仰について考えさせられています。

昨日の夕方、食事を作りながら
ふと思い出したことがありました。


それは、私が高校生だった頃。
両親が離婚して、父を残して家を出て
しばらくたった頃でした。


母が何度か、夜中にこっそりと
男性を部屋へ呼んでいたようです。
田舎だから、すぐに噂は広まった。
その相手は、誰だったのか知りません。
一人ではありませんでした。

いつも私の誕生日に、腕によりをかけてごちそうを作ってくれていた
母が、男性の隣で
男性は「ほれっ」と、誕生日だからおこづかいにと、
お札を投げて渡してきました。

どんな誕生日より、惨めな誕生日でした。


スクールバスには、同級生の男子からからかわれたので
それからは、ろくに除雪されてない歩道を
1時間くらい歩いて帰っていました。

あの凍てつく寒さ、ズブズブとブーツが埋まりながら歩く道。
顔は痛くて、時に風が強くて
前を向いて歩こうとしたら、息をするのも苦しくて。
あの感覚は、ずっと忘れられなくて。


居場所がなくて、
誰にも本当のことを話せなくて、
音楽だけが、私の想いを何もかも受け止めて昇華してくれたあの頃。

私は被害者だったけど、ある人達からみれば
加害者だった。
母は、お金をもらってはいなかったけど
誰かの家庭関係にヒビが入ることを、母は確かにしてしまった。

私は、住む場所まで失うのが怖かった。
身を守るので精一杯だった。
打ち明けても、受け止められる人はいなかっただろう。


積木くずしだろうとなんだろうと、
私は、母を止めるべきだった。

あの頃の皆様、ごめんなさい。
私には、それが出来る気力も勇気もなかった。

私には、女性らしくなることでまわりの皆が幸せにならない気がして、


私は、幸福の王子という物語が、嫌い。
心から人の幸せを願って尽くして、何もかも失って
挙げ句に、尽くした人から
なんて惨めな姿とののしられる。



私も今は、惨めな姿。

それでも頑張ってみます。

大丈夫。得意なんだ。
何事もなかったって顔するのと、から元気は。
あげまん女って何ですか?
新年早々こんな話でナンですが、先日、喫茶店で隣の席に座っていた30代前半と見えるサラ..........≪続きを読む≫

今回、最も多かった意見は「男を精神的に満たしてくれる自立した女性」であったが、他にもこんな意見があった。

○ 男を束縛しすぎず、おおらか、でも締めるところは締める女性
○ 勘が良く、教養のある女性
○ 褒め上手な女性、男を立てる女性
○ 励まし上手、アドバイスがうまい女性
○ 社会性のある女性、コミュニケーション能力が高い女性
○ 家庭料理で友人や上司を快くもてなすことができる女性
○ 明るく、やわらかいオーラがある女性
○ もちろん、夜の生活が上手な女性

さぁ、アナタのあげまん力はどのくらい? これはあくまでも男性陣の単なるイメージだが、悲しいかな“あげまん”というより“人間力”として心がけたい点も多く、今年は自分のあげまん力を見直したいところ。しかし、“あげまん”とは男あっての“あげまん”であるからして、男の力量にもかかっていることを男性陣はお忘れなく~。(オフィスエムツー/堂ナツコ)



すっかりお正月気分も抜けた頃に、明けました。おめでとうございます!


クリスマスイブには教会で歌わせていただくことが出来ました。

聖歌隊に加入してみて、気付かされたことがいくつか。

中学校の頃は、まるで劣等性だった私が

気付けばなんとなく所見である程度音をとれるようになっていたり

結構周りの音を聴きながら歌えるようになっていたり。


無我夢中で習ってたことが、知らず知らずのうちに

私のスキルを上げてくれていたようです。


環境が変わって、はじめて気付きました。

変化は悪いことじゃない。


でも、聖歌隊メンバーとして歌ってみて思ったことがもう一つ。


一段高いところに立って歌う。

視界に入るのは、大勢の教会員。


この場所には、ある種の「罠」がある。

そのように強く感じてしまうのは、やはり神に捧げる曲を歌うという

清い行動に伴うものなのかもしれない。


一段高いところというのは、「自分が皆をリードしている」と

錯覚をおこさせる。

それが増徴すると、「私はこの中でも特別に神様から愛されているのだ」という

傲慢へつながる可能性がある。


多くの讃美奉仕者が倒れてしまうのは、こういった罠があるからだと思う。


皆それぞれに、神様から才能が与えられていて

皆それぞれ、神様が考えて作られた人。


人から賞賛されることだけが、全てではない。


神様が考える才能って、

花を美しいと思える心

だったりする。


それを知ってから、私は

『自分は何の取り柄もない人間だ』なんて

思わなくなりました(=⌒▽⌒=)



実家では完全に「日本のお正月」を満喫してました。

これはこれで幸せな時間です。



何故このニュース記事を引っ張ってきたかというと、

私はどっちなのか

不明だからです(爆)


というか、

エンターテイメントなお仕事の方に限って


私がお会いしてお友達になった方々には

『何か起こる』みたいですヾ(@^▽^@)ノ


自慢じゃないです、というか自慢にもなりませんが


見返り求めず親切だった方、優しい言葉を下さった方には

不思議に何か良いことが起こるみたい。


何故なのかはさっぱり不明なのですσ(^_^;)


確かめようもないのですが、普通に飲食店で働いてて

話しかけられる事もあるので

何かあるのかな~?謎です。


あ、親切そうでいて内心腹黒い人には

このパワーは働かないようです(爆)




この謎なパワー、何か名づけようかしら(;^_^A