成人後の自分へ

こんにちは。元気?私は十年前のあなただよっ。○○第二中学校に通っているんだ。今、ハムスターやセイロンベンケイソウなどの植物をたくさん育てているよ。一位番の友達は長崎のNちゃんで、よく手紙を書いたり電話をしたりしているよ。兄や妹とはよく格闘をしたりネタを考えたりしているんだ。
あなたは多分、早稲田大学か東京大学を卒業したばかりで、漁師か作家か何かだと思うんだ。友達はどのくらいいる?趣味や今の私の希望とかは変わってないよね。南房総半島にいい家を見つけて妹と海岸を散歩したり、貝拾いしたり、途中でタコとか見つけて持ち帰って食べたり、屋上で夕焼けや星空を眺めたり…はあ、いいなぁ。成長期はやっぱり好きな物を好きなだけ食べられないし、暗記の多い社会とかつらいよ。え?都会が恋しい?あー、わかる。あなただって都会でお母さんと楽しくショッピングしてた昔を思い出しては独り泣いている夜だってあるのかもネ。ま、あなたは今の私があなたになったものなんだし、えらやましがる必要はないんだよね。
でさ、今、辛いことがあるんだ。自分を嫌う人がクラスに何人もいるんだ。顔面がきもち悪いだとか、ひどい悪口を言ってくるんだよ。何が原因だと思う?自分が無邪気なところや話が合わない所だと思うんだけど、何とかならない?君は今の私よりずーっと真面目な面も持っているでしょ?どうしてそうなったの?はああ、自分で考えるしかないんだな。君もそうしたんだろうし。君だって悩み事はあるでしょ。雷雨が怖いとか、庭に出るミミズやムカデがきもち悪いとか、時には不漁が続くとかさ。楽しい人生の大冒険の中には、やっぱり急斜面の岩山や、深いジャングル、荒れ狂った大河が待ち受けているんだろうね。そんな中で私は、こんな人生の目標を立てたんだ。
『今を大事に、今を楽しんで生きよう!』
思い出した?この「楽しんで」っていうのは、楽しい、うれしい時だけ実践できるものじゃないんだよ。辛い、悲しい、くやしい時も、気が済むまで泣いて怒って、その感情を味わう、こういうことなんだよ。もちろん、その時は何がいけなかったかをよく考えて、次からはこうしよう、とか考えて「今」を生きていこうっていうこと。さっき、「思い出した?」って書いたけど、その目標をずっと忘れず、そのままつかっていたらいいな。
こういうことを考えるのもなんだけど、私たちはお互いに絶対に会えない存在だね。ちょっと残念。というのは会えたら、今、私が何をすべきかについて教えてもらえるから。でも人生そんなに都合のいいものじゃないし。十年後、今の私の想像通りに暮らしているのかな。精神的に何かが欠けていたり、変な人とかが周りにいたりするかもしれない。けれど、今から十年後、落ち込んでいる時とかにこの手紙を読んで、元気を出してくれたらとってもうれしいな。悩み事や日常の楽しいことは違っても自分同士。元気出していこうよ!私は植物の種とか入れ物とか、いろいろな物を集めたり、公園できまぐれな一時を過ごしたりしているよ。あなたは親から独立して(これ私の第一の夢。早くそうなれるようになりたい。)、生活の基本をおさえた上でエコロジーに過ごしているんだろうね。楽しいことはたくさんあるものだよ。それじゃ、心も体も元気でいてね!私の方では中学校生活初の夏休みで、八月に入ったところ。吹奏楽部でのコンクールに向けての練習や宿題でとっても忙しいけど、十年後に備えて何ができるかを考える第一歩を踏み出す時でもあると思うよ。さあ、いろいろ頑張らなきゃ!!
十二歳の 遠山公子


12歳の遠山公子へ

こんにちは。とっても素敵なお手紙を、どうもありがとう。
小学校6年で館山に移動教室で行ってから、南房総に住んで漁師になりたいと夢見るようになったこと、よーく覚えてるよ。館山から少し?離れたところだけど、夢は叶ってます。海や里山やおいしい食べ物、素敵な人たちに囲まれて、とっても楽しく暮らしているよ。漁師ではないけど、大好きな町のために毎日頑張って働いています。作家…そうだね。今も絵や小説を書いて、いろんなところに載せているよ。私が強く願ったことって、どんなに何があっても必ず叶うんだってことを、改めて実感させられてる(笑)
植物は今も色々育てているよ。兄や妹と遊ぶの、楽しかったよね。二人とはよくLINE(携帯のチャット)でしゃべるよ。
同級生とうまくいかなかったことも、よく覚えてるよ。一つ言うならば…それでも自分らしさを貫いてくださいということ…世間の快楽や流行に乗らないでくださいということ…後遺症が残るから…。でも、あれはまじで辛かった。だから強制はしない。生きてください。自分が思うように。今の私、何とか自分らしく元気に生きてるから。
親のことも辛かった。親との楽しい思いでなんて滅多に思い出さないよ。22歳で自立するまで両親との間には本当にひどいことがたくさんあった。同じような経験をしてきた人たちに勇気付けられて、今はブログとかで自分の経験や気持ちを積極的に発信しています。「毒親」っていう言葉があるんだけど、君がくれた手紙もずいぶん母親に余計な添削入れられて、母親の「毒親」ぶりがよく伝わってくるよ。物理的にも精神的にも親から自立するのは時間がかかるけど、辛いことは正直に辛いって言っていいし、無理に妥協することはないからね。親のことを憎んでばかりいても仕方がない。今私がしたいことは、親と争ったり仕返ししたりするのではなくて、みんなと協力して、親子や男女、牧師と信徒の不平等な関係の中に起こる暴力や差別をなくしていくことです。
ところで、非常にさりげなく早稲田大学とか東大とか書いてあるんだけど、私が出た大学はそこまでレベル高くはありません。まあでもそんなにレベルが離れてもないかな。早大や東大を出て漁師とか作家とか、相当な変わり者だね。まあ今の自分だってそんな感じだよ。
悩みね。職場で仕事してるときに雷雨が来たら耳栓できないなあとか、ミミズさえ怖くなきゃ自家菜園とかもっと色々できるのにとか。思うよ。田舎に引っ越してきたからには生きてるうちに平気になりたいけど。
「今を大事に、今を楽しんで生きよう!」
前まではただ、楽しい時は楽しんで辛いときはしょげていたけど、辛くても前向きに生きようって思い始めたのは中学一年の夏頃だったね。よく覚えてるよ。
自立して新しいところで新しい生活が始まって、私にだっていつ何が起こるか全く分からない。そんな中で、きれいな空気や水、おいしい野菜、この町で、そして東京から、私を見守ってくれる人たちに感謝しながら、今を大切に楽しく生きているよ。
12歳の君に言いたいことは、探せばいくらでもあるし、32歳の私が今の私に言いたいこともきっとたくさんあるんだ。そんなもんだよ。「私たちはお互い会えない」って言うけど、そんなことはない。12歳の公子ちゃんは確かにここにいる。君からの手紙を読んでいると、ツインテールで前髪をピンで止めてて思いきり笑っている君の顔が浮かぶし、君の元気はつらつな高い声が聞こえてくるよ。君は将来の自分のことをすごく色々考えていたね。その理由がわかったよ。故郷を離れた今、今の私が君のことを色々と思い出しているからだ。君は未来の自分からの視線を感じていたんだよ。いや、逆かな?君が私のことを盛んに考えてたから、私はそんな昔の自分にあれこれ思いを馳せてるのかもしれない。
とにかく、あんな辛い中であんなに元気に笑顔を見せて生きていた君に感服するばかりだよ。私も少しは見習います。なんだか病んでる大人みたいな手紙になってごめんね。君はそういう大人が大嫌いだよね。私は病んでなんかないし、君と何一つ変わってなんかいない。変わってないから夢が叶っていゆし、あの頃もやもやしてたことも今ははっきり形になっている。今の私の中でもやもやしているものも、これから形になっていって、私の夢や大好きなものや闘う相手になっていくんだと思う。
家では一人ぼっちで、仕事はかなりパワーを使うもので。本当は少し強がっていて、そんな私を受け止めてくれる家族との出会いが一日も早く来るようにと願っています。何より、昔の私のことも、今の私のことも、この町のことも、いつでも何があっても包み込んでくれている神様がいるから、大丈夫。
私、よくここまで生きてくれた。元気で頑張ってね。早くこの町においで。
毎日明るく一生懸命に生きている君に、神様の祝福がいっぱいいっぱいありますように。

追記
それから、「10年後の自分への手紙」に賞や順位をつけることに、私は全身全力で反対です。今だったら抗議するのにな。一人一人の気持ちや願いがこもっていて、一つ一つがかけがえのないものを、そんなふうに扱うのはおかしいよね。私が君に最高金賞をあげる!

22歳の佐藤知香


あとがき

お読みいただきありがとうごさいます。
「成人後の自分へ」は、中学1年生の夏休みの宿題で書いたものでした。10年後の自分へ手紙を書くコンクールがあったのです。私は何も受賞しませんでしたが、このようなものに賞がつけられることに納得がいかない気持ちは、あの頃にもあったことを覚えています。なお、「成人後の自分へ」は縦書きの作文で書いたものなので、漢数字を使っています。
私が遠山公子を名乗り始めたのは15歳の時なので、実際には自分の名前は実名で書かれており、掲載に当たって「公子」に直しています(12歳の私、ごめんね)。また、母親にずいぶん添削を入れられましたが、元の方がよかったなと思ったところは修正前の表現で掲載しています。
「12歳の遠山公子へ」は、それからちょうど10年後、今から9ヶ月前くらいに書いたものです。それからしばらく放置してしまいましたが、コロナで暇な時間を使ってデータに書き起こし、のせることにしました。震災もコロナも知らない無邪気な公子ちゃん。でも改めて読み返すと、そのバイタリティーには、この自粛ムードのご時世だからこそ励まされます。
同級生からのいじめ、母親の過干渉、父親のセクハラ、「優等生」「いい子」扱い。気づいていてもはっきり「嫌だ」と言えなかったり、自分の気持ちが言葉にならなかったり、問題が起きていることに気づきもしなかったり。学校の先生もスクールカウンセラーも、地域の大人たちも、十分には寄り添ってくれなかったように思います。もちろん大人たちは精一杯やってくれたけれど、正しい情報がなかったから。オレンジリボンもまだまだ普及していなかったし、性差別やセクハラを告発する「#MeToo」もなかった。あったとしても、問題を発信したり同じ目に遭っている人とたくさんつながれるSNSなんて手段はなかった。
そんな中で幼い公子ちゃんが本当にがんばって生きてくれたからこそ、今の私がある。何より今の自分が思うことは、10年前の自分への感謝と敬意です。
学校が始まって、私はバイトや友達との遊びにばかり打ち込んだ。バイト代で約束の学費半分はきちんと払えてるから、ママもパパも特に何も言ってこなかった。むしろ、バイトを通して社会経験ができるし「まともな仕事」に興味を持つきっかけにもなるだろうからって、応援してくれている。私はそんな生活を続けて、イラストの勉強は最低限しかしなかった。まして家で絵を描くことなんて、さらさらなかった。
夏休みのある日、友達と遊んだ帰りに酔っ払いのサラリーマンの集団とすれ違った。大声で笑って騒いでいて、私たちは道の脇にどいた。
「まじきもいわ~、酔っぱらいとか」
「ね。ほんとムリ…あれ、三香、どうしたの?」
「ううん、別に」
思わず立ちつくしてしまった私に奈南が声をかけてきて、私はあわてて明るい顔を見せた。
「じゃーねー!」
駅で友達と別れて、私は階段を下りた。一人になったとたん、足どりが急に重くなった。あの大阪での夜が、じわじわとよみがえってくる。
もう、どうでもいい…それにしても、何で私はイラストの専門学校なんかを選んだんだろう…
もう、絵がうまいねってほめられても何にもうれしくない。
あんなやつのために生きてた私はなんてバカなの…いや、そんなことはない。いや……そんなことある。

「もう、やなの。絵を描くのが。でも学校やめたら親にすごい怒られそうだし。でも、ほめられても、前みたいにうれしくはないし…」
カフェで頬杖をついて、私は奈南につぶやいた。
「三香…」
奈南はコーヒーをおいて、私を見つめた。
「三香ってさ、絵を描くようになったきっかけとかあるの?」
「うん…」
「よかったら、私に話してちょうだい」
私は、わけもなく周りを見渡して、奈南に洗いざらい話すことにした。
大好きな絵本を書いた人が近所に引っ越してきたこと、その絵に憧れていた私は、全く絵心がないところからその人に絵を教わっていたこと、そう経たないうちにその人が遠くに引っ越してしまったこと、だんだんその人と連絡が取れなくなっていったこと、ある日偶然見かけたとき、その人は変わり果てていたこと…
「もう、あんなやつなんか、って思うんだけど…離れないの…あのきらきらした瞳、清らかな心、やさしさ…もうないものなのに…忘れられなくて…」
変に誤解されかねない話なのに、奈南はひやかしもしないで真剣な顔で聞いている。
「私といて、あんなに幸せそうにしていたのに…あんなに私の絵で感動してくれてたのに…「ずっと忘れないよ、大好き」って言ってくれたのに…なんで…どうして…」
「…」
奈南は少し下を向いて、しばらく黙っていた。
「でも、それは、三香がこの学校にいる価値がないってことを意味するんじゃないと思うよ」
「え…?」
「入学したばっかりの頃、うちも同じようなこと思ってたんだ」
私は目を丸くした。
「うちは、付き合ってた彼氏を追ってこの学校を目指してたの。彼氏と一緒に絵を描いてお互い励まし合ってて。そしたら、私だけ受かってあいつは落ちたんだ。それでケンカになって、別れちゃって。うちはもともと絵を描くのが好きだったんだけどさ、もはやこの学校に入った意味分かんなくて。でも、勉強してるうちに、やっぱり絵描くのっておもしろいなって純粋に感じて。今まで知りもしなかったこと学んでわくわくしたりするしさ。まあ…三香ほどにはなかなかなれないけど……正直、三香のこと嫉妬してたよ。でも三香には三香なりに色々あったんだなって今分かった」
「奈南…人と比べるものじゃないと思う…」
「え?」
「奈南には、奈南らしさがあるんだから…絵のうまさを誰かと比べるんじゃなくて…」
「そんな綺麗事言っちゃ、そりゃそうなんだけどさあ」
「…あっ」
私は、思わず口をつぐんだ。自分の言ってることにびっくりしたんだ。
「ん?」
「誰かと…比べるんじゃなくて…自分らしく…」
「んん?」
奈南が身を乗り出した。
「…そうだ、私もそうあればいいんだ!」
こぶしを握りしめた勢いで、テーブルに腕がぶつかった。
「痛っ…」
「ちょっとぉ、コーヒーこぼれるじゃん」
「ごめんごめん」
腕をさすりながらも、私はこみ上げてくる希望を隠しきれない。
「どんなきっかけだったとしても、今私が持っている才能は、私自身のもの。「誰かのようにうまくなる」のでもなくて、誰とも比べるのでもなくて、私はただ私らしくやってればいいんだ!そうだよね、奈南」
「何なのいきなりっ…まあ…そうだね」
「奈南、一緒に頑張ろうよ!」
私は奈南の手を握った。
「…うん」
そう言って、奈南は微笑んだ。

それから私は、学校でも家でも、見違えるほど絵を描くようになった。
私は私。この才能は、他でもない私自身のもの。どう使うか、どう磨いていくかは、まったく私自身にかかっている。
学校で、先生や友達には「なんか急に熱意が入ったね」「なんだか、前より三香ちゃんらしさが出てきたね」ってよく言われるようになった。
でも、自分の腕が磨かれていくほど、それでうれしくなっていくほど、思い出すのはこうたんのことだった。
どんな人であろうと、私が今こうして生き生きしているきっかけを作ったのは、こうたんであることに間違いはない。
次第に、私の中にはこうたんへの感謝の気持ちが表れてきた。そして、こうたんと描いた絵を捨ててしまったことへの申し訳なさと後悔も出てきた。
申し訳なく思うのは、それだけではない。私はいつも、自分勝手な気持ちをこうたんにぶつけているだけだった。
こうたんがどれだけ傷ついてきて、どれだけ辛い思いをしてきたか、幼い私には分からなかった。こうたんから教えてもらうことばかりを求めて、自分が伝えたいことだけ好きなときに好きなだけ伝えて。
こうたん、専門学校に落ちてどんな気持ちでいたんだろう。そんなときに私は…。こうたんが忙しくなって生活環境が変わったときも、私は…。新幹線の中で描いた絵も、こうたんをどういう気持ちにさせたんだろう?あげく、こうたんが一生懸命描いてくれた絵を、何の躊躇もなく捨てて…。
こうたん、私は、どれだけこうたんのことを傷つけてしまったの?
こうたんからお返事が来なくなっていった理由が、分かったような気がする。大阪ですれ違ったときも、こちらに見向きもしなかった…あれは本当に気づかなかっただけなのかな?
「こうたん…」
なんて久しぶりにつぶやいたんだろう。私はペンを止めて、自分の部屋の窓から星空を見上げた。こうたんも今、同じおほしさまを見上げているの?

2年生の夏休み、私は友達と京都に旅行に行くことになった。私はママに、旅行から帰ってくる日を1日遅らせて伝えた。
お寺や町並みをスケッチして、八ツ橋をほおばった後、私は駅で友達と反対方面に向かった。
「三香、どうしたの?」
「ちょっと、寄りたいところがあるんだ。用事で」
「あー、そうなの。じゃ、気を付けてねー。ばいばーい!」
「ばいばーい!」
私は、大阪行きの電車に乗り込んだ。

メモしてきた住所で、乗り換え案内を検索する。鈍行にしばらく乗って、さらにバスで何駅か行ったところだ。
バスを飛び降りて、私は住宅街に入っていった。見えてきた。ごめんなさいと、ありがとうを言う準備は、すっかりできている。
玄関の扉に向かい、表札を見て私は唖然とした。
「長森…?」
その時、扉が空いておじさんが出てきた。
「なんやお前は?不法侵入か」
「あ…ごめんなさい…あの、その、ここに、星野さんていう方住んでませんでしたか…?」
「あ?そういえばぁ、このうちの前の住人確か星野って言うてたなあ」
「え…」
ここであきらめちゃダメ…
「その人たち…どこに引っ越したんですか?この辺ですか、それとも…」
「そんなん知らんで~、わしはこの周辺結構詳しいけどなあ、この辺りに星野さんは一人もおらんさかい」
「…」
「用済んだんならはよ行けや、お嬢ちゃん。わしは買い物に行くんや」
「ごめんなさい…ありがとうございます」
私は慌てて頭を下げて、そこを去った。

あの人は、また見ず知らずの人になってしまった。どこに住んでる、どんな人なのかも、分からない、あの絵本に出会った頃に戻ってしまった。
それでもはてなマークは止まらない。
どこへ行っちゃったの?もっともっと遠く?今、何をしてるの?…元気なの?
謝りたいよ。私のこと嫌いでいてほしくないよ。まだ…私のこと忘れないでいて。私の友達でいてほしい。
許してくれなくていい。こんな自分勝手で、人の気持ちなんて分かりもしない私のことなんか。それでもいいから、一度ごめんなさいだけ伝えたいんだ。
傷つけちゃったのかもしれない。私のこと嫌っているかもしれない。それでも…私は君が大好きなんだ。君と出会えて、感謝の気持ちでいっぱい。君との出会いは、永遠に宝物なんだ。
どこにいるの?こんなに広い世界、どこまでも広がる空と大地。私は何もできず、ただ当てどもなく歩き続けるだけ。
やり場のない思いは、どんどんあふれるばかり。

せかいは はてしなくひろい
おひさまがのぼっておりて おつきさまがのぼってくる
だれもかぞえきれないくらいの おほしさまがかがやいて
きょうもたくさんのひとがうまれ しんでいく
あまりにちっぽけなわたしは
どうやってひとをあいすればいいのか しらなくて
なにをすればいいのかわからなくて
ただただ どこまでもつづくみちをあるいている
あやまりたいよ
どこにいるの?
もういちどだけあわせて
ゆるしてくれなくていいから
ごめんなさいをつたえたいんだ
わすれられないよ きみのえがおが やさしさが
きらきらしたひとみが わたしのなかでいつもかがやいているよ
わたしのたいせつなともだち
こんなにじぶんかってできまぐれで きずつけてしまってごめんなさい
そして こころからありがとう
わたしとであってくれて ほんとうにありがとう


星一つなく、果てしなく広がる真っ暗なお空。でも、大地には金平糖のようなおほしさまが数えきれないくらいまたたいている。そのまっただ中に立つ私は、「ごめんなさい」「どこにいるの?」と全身を使って叫ぶかのよう。
その絵に、詩を添えてみた。あの絵本みたいには、うまくできてないかもしれない。でもこれは、他の誰にもできない私の作品。私らしく精一杯描いたもの。文化祭に出展するのは、一発でこれに決まった。

私の作品は、コンクールの絵と詩の部門で最優秀賞をとった。
「大月さん、本当におめでとうございます!個人的には、カラフルに輝くかわいらしい世界と、切ない気持ちの絶妙なマッチが何とも不思議だな~と思ってます。この作品について、一言どうぞ!」
私は、たくさんの友達や先生が見守る中、マイクを手にした。
「皆さん、この拙い私にいつも熱い応援と指導をありがとうございます。この作品は、大好きな人を思って書いたものです。絵には、短い間にその人から得たやさしさや幸せをできる限り詰めこみました。詩にも、私の気持ちが精一杯こもっています。誰かを傷つけてしまったとき、大切な人ともう会えなくなってしまったとき、もう自分なんてダメだと思っちゃうかもしれない。それでも、その人との出会いは、自分に大きな幸せをもたらしてくれたことには違いないし、今なお自分を成長させてくれているんだと思います」
目頭が熱くなって、鼻がむずむずしてきた。
「私の思う人は、今どこでどうして生きているのか、生きてるのか死んでるのかもよく分かりません…それでも私は、その人との出会いに感謝してるし…」
普通の声でしゃべろうとするのが精一杯。
「これからも、その人を通して得たことを、大事にして生きていきたいと思います。今回優勝したことで、私も自信がつきました。だからみんな、一緒にがんばろう…」
最後にありがとうございましたを言う前に、涙がぼろぼろこぼれて何もしゃべれなくなり、私はマイクを返した。それでも、すごい拍手喝采だった。
もう、こうたんに私の思いは届かないかもしれない。私のことなんて、すっかり忘れちゃってるかもしれない。
それでも私は、こうたんとの出会いをこれからも大切な宝物にしているし、決して忘れない。
私は私らしく、お絵描きだけでなく、普段の生活の一つ一つ、全てのことに精一杯を尽くして生きていくから。
そうやって私が生きる姿が、いつかこうたんにも届くから。こうたん、がんばる私を、どこかで必ず見ていて。

専門学校4年生の夏、私は前から憧れていた、保育系の大企業に受かった。面接官は私の絵を見て話を聞き、すごく期待してくれていた。今日は、その会社に向かうため、新幹線に乗るところだ。色とりどりの絵を描いて、たくさんの子どもたちを喜ばせる私の姿を思い浮かべながら歩いていると、はるか前方の駅の入り口付近の一人の後ろ姿が目に留まった。無数の人たちがいる中で、なぜなのか分からない。私は引かれるように、何となくその人を追いかけはじめた。不意に、「もしかして?」という感情がこみ上げてきた。これまで何回あったことだろうか。でも、いつもよりなんだか強く、そう感じる。私は自分の足が速まっていくのを止められなかった。人混みに揉まれて、その人の行った方向を追い続ける。中央線なんて、乗ったこともない。構わない。ホームくらいまで追いかけてみよう。
階段を上りきったとき、ちょうど扉が閉まって発車するところだった。慌てて電車の中を窓越しに見渡してみる。扉のすぐ近くに、その後ろ姿はあった。不意にその人は、ホームの方に体の向きを変えた。
私は息をのんだ。次の瞬間、私は叫んで駆けだした。
「こうたん!!!」
数メートル走ってその人に追いついて、私はまた叫んだ。
「こうたん!!」
その人は、ちらっとこちらを見て、また視線をそらした。
「お客様、電車に近寄らないでください!」
駅員に阻まれて、電車はあっという間に走り去っていった。
私はどうしても落ちつかなかった。
あの人、どこまで行くんだろう。電車の後ろの行き先表示を見て、はっとした。
『大月』
私は何の迷いもなく、大月を目指すことにした。


ホームの案内を見てみる。大月…山梨県!?一回神奈川県を通過するの?次の電車は高尾行き。一回乗り換えて、さらに8駅…。
高尾で降りて、次の電車を調べた。え、40分も待つの…。
いや、今さら引き返すもんか。絶対大月まで行ってやる!
4時間にも思える40分をひたすら耐えて、のんびりとやって来た青い電車に飛び乗った。
相模湖、藤野、上野原…気が遠くなるくらい、いろんな言葉が流れてくる。
「次は、大月。大月」
アナウンスが私の全身を締めつけた。寒さに震える人みたいに、私の呼吸が荒くなる。
電車のスピードが落ちていって、私はホームを見渡した。いない。やっぱり当てずっぽでここまで来たのはバカだっただろうな。
それでも降りたとたん、私の口から大声が出た。
「こうたん!!」
私は見回した。
「こうたん!!」
わけもなく叫び続けた。改札に向かう。
「すみません、あの…水色のシャツの若い男性見かけませんでしたか?」
ダメもとで、おじいさん駅員に聞いてみる。
「んん?ちょっと前に通過していった気がするかもなあ」
「ありがとうございます!」
私は頭を下げて、ダッシュで駅の外に出た。
セミがわんわん鳴いている中、その人は駅舎を見上げて立っていた。
「こうたん!!!」
その人は、うつろな目でこちらを見た。
「私だよ!三香だよ!!」
その人は、ぼんやりと私を見つめていた。しばらくして、その人は歩き去っていった。私は後を追った。
「こうたん!私のこと、忘れちゃったの!?忘れないって言ってたじゃん!大好きって…」
こうたんは、見向きもしない。私は、こうたんとの距離を少し縮めた。
「こうたん、お願い。こっち向いてよ!ずっと謝りたかったの!私、いつも自分勝手だった。こうたんのお母さんから色々聞いたの。こうたんがどれだけ辛い思いしてきたかなんて、考えもしなかった。いつも自分の気持ちをぶつけてばかりで。本当に、本当にごめんなさい。こうたん、私、こうたんのことどれだけ傷つけちゃったの?こうたんの辛い過去をえぐっちゃってたと思う。私のこと、ゆるしてなんかくれなくていい。でも私は、こうたんのきらきらした笑顔や、やさしさが決して忘れられないの。せめて今こうたんが、それを他の人に見せていて、幸せに生きてさえいれば私は…」
突然、こうたんがくるっと振り返った。その瞳は…私をすごく睨んでいた。こんなこうたんは見たことがない。安易に言ってはいけないことだった。のどが一気に渇いていく。
「こうたん…私は…結局自分の気持ちをぶつけることしかできない…こうたんの気持ち、私には分からないよ…これ以上…何を言っていいのか分からない…」
涙が両目からぽろぽろとこぼれた。私は声をあげて泣いた。


「三香ちゃん」
小さな、小さな声がして、私は泣くのをやめて顔をあげた。こうたんは、もうわたしを睨んでいない。
「お茶でも……お茶でもしない?」

私たちは、近くのカフェに入った。何をしゃべっていいか分からない私は、こうたんがしゃべるまで黙っていた。
しばらくして、こうたんは、ぽつぽつとこれまでのことを話し始めた。
大阪で仕事についたこと、ほどなくして両親は転勤で山梨に引っ越して、自分だけ大阪に残ったこと、仕事にうまく追いつけなくて、心身のバランスを崩して会社を辞めてしまったこと、そして、時々日雇いの仕事をしたりしながらも、先が全く見えないまま親元で暮らしていること、今日は日雇いの仕事の帰りだったこと…
「こうたん、お絵描きは、もうしてないの?」
「もう…何年も色鉛筆を手にしてないよ」
「こうたん…それでも、私はこうたんの絵が大好き…」
「すっかり描く気がなくなっちゃったんだ…専門学校に落ちてから…」
「でも、あんなに素敵な絵本を描いてたじゃない。私と楽しくお絵描きしてたし…」
「あの絵本は、受験勉強を頑張る中で自分を元気づけるために書いてたんだ…小さい頃さよならしてしまった大切な友達のことも思いながら、これまでの自分の色々な気持ちを込めながら書いたものだから、専門学校に落ちてしまった後も、僕の大切な宝物だったよ。だから、それを気に入ってくれた三香ちゃんのことは、素直にうれしかったんだ。三香ちゃんのことは、大阪に来てくれたときにお母さんから聞いたよ。僕が三香ちゃんに、ほんの少し教えたことを、三香ちゃんがこんなにも大事にしていてくれたなんて…」
私は下を向いて黙っていた。
「三香ちゃん…?」
「私…もう一つ謝りたいことがあるの」
「え?」
「こうたん…あのはんぶんこした絵は、まだとってある?」
「とってあるよ」
「私…捨てちゃったの…もう一つ、こうたんと一緒に描いた絵も…大阪で酔っぱらってるこうたんを見かけて、ショックで…」
「…そうして、当然だよ…」
こうたんは、目をそらした。
「こうたん…あのときは…私に気がついてたの?」
「ううん。同僚たち以外、何も見えてなかった」
「こうたん……私のことは、すっかり忘れちゃってたの?」
「忘れてはいないけど…思い出すことはほとんどなかったよ。手紙のやり取りがなくなっていって、僕も一人前の社会人になるために色々がんばって…大月に引っ越してきてから、三香ちゃんの苗字だから時々思い出すことはあったけれど…」
「お手紙…こうたんが返事をくれる回数が減っていったから、私もこうたんが忙しいのを察して減らしていったの…でも、なんでお返事くれなくなっちゃったの?」
「僕自身が絵を描く気になれなかったから、三香ちゃんへのお返事を書くのも気が進まなくなっちゃって…本当は、人を傷つけているのは僕の方なんだ。僕は立派な社会人になるために、一生懸命がんばってきた。でも、たとえ良いことをしようとしても、いつも人に迷惑をかけてばかりで、周りに追いつけなくて、どんどん自信がなくなってきて…人が励ましてくれたりやさしくしてくれたりするのも、素直に受け入れられなくなって…今まで好きだったことや楽しかったことも、もう僕には何でもない…」
「こうたん……もう、誰のことも信頼できないの?」
「うん…お父さんもお母さんも、一人っ子の僕のことを大切に思ってくれているけど、こんなどうしようもない僕の面倒を見てもらっていて、申し訳なくて…」
「私のことは…?」
こうたんは、うつむいていた。
「もう、誰も…」
「こうたん」
私は少し身を乗り出して、こうたんの瞳をしっかりと見つめた。こうたんは顔をあげた。
「私は、こうたんに命を与えられたようなものだよ」
こうたんは、「え?」という顔をした。
「こうたんに出会うまで、私には趣味も特技も生き甲斐も何もなかった。友達と遊んだり遊園地に行ったりして何となく楽しいことはあったけど、何だろう…すごく感動することとか、私にしかない大切な宝物とか、なんにもなかった。でも、こうたんに出会って、人生が大きく変わったの。私、こんなにたくさんの幸せや宝物をもらって、こうたんには感謝してもしきれない。一つ一つの絵、一つ一つの言葉に、心を込めて精一杯書くことも、やさしくて多様な色合いも、こうたんからしっかり受け継いで、私の中で生き続けてきた。この才能は、他の誰でもない私自身のものだし、私にしかないできない作品を、今も私は生み出し続けてる。そのきっかけを与えてくれたのは、他でもないこうたんだよ。辛いとき、絵を描くことで乗り越えてきたこともあるし、こうたんがいなかったら、私は今こうして自分らしく幸せに生きてないんだよ…」
「別に…僕は何も大したことなんて…」
「こうたん…」
私はまた声がうわずってきた。
「やさしくて純粋で清らかなこうたんを、一体何がこんなにも深く傷つけちゃったの?お金?勉強?仕事?親や先生?お酒?」
思ったことを口にするのが止められない。
「僕はやさしくもないし、すごく汚い人間だよ…」
「こうたん…」
また涙が両目からこぼれる。
「私はこうたんじゃないから、こうたんの気持ちを完全に分かることはできないよ…今だって何を言っていいのか分からない…でも、こうたんが辛い思いをしてるのを見ると、私も心がすごく痛いよ…」
こうたんは黙っている。
「私はこうたんより生きてる年数がずっと少ないし、何をどう伝えていいのか分からないし、こうたんも私の気持ちが素直に受け取れない部分があるかもしれない…でもね、でもね分かってほしいの。私もこうたんと同じ人間だって。人に対して素直になれないこともある。閉じこもっちゃいたいときだって、何もしたくなくなるときだってある。それでも人とのつながりやぬくもりを求めてて、でも自分の気持ちがうまく伝えられなくて。人を傷つけて、迷惑かけてばかりで…」
私は泣きながら、こうたんの顔も見ずに必死でしゃべった。
「こうたん、人とつながりたいんでしょう。ぬくもりを求めているんでしょう。幸せに…なりたいんでしょう」
こうたんは、少し顔を上げた。私は涙を拭いて、こうたんをまっすぐに見つめた。
「たった一人でいいから、もう一度人を信じてよ。完璧な人なんていない。幼くても自分勝手でも、それでもこうたんと同じように、こうたんと同じものを求めている人を。こうたんのことを昔も今もこれからも、まっすぐに見つめていて、片時も離さなくて、何があってもこうたんのことが大好きな人を」
「三香ちゃん…」
不意に私の足が鞄にぶつかって、内定通知と新幹線の切符が飛び出した。こうたんは、目を見開いた。
「この会社…僕知ってるよ。関西にある有名なところだよね。三香ちゃん、受かったの?」
私は無視した。
「こうたん、もう一度一緒に暮らそう。同じ町で」
「でも、三香ちゃん…」
「この会社はやめるよ。山梨県内でイラストのお仕事探し直す」
「この会社…すごくいい環境だって聞いてるよ、お給料も…」
「どうだっていい。私に命を与えてくれるのはお金?いい仕事?違うよね」
「…」
「こうたん、私、ずっとそばにいるから。絶対だよ」
「…」
突然、こうたんはうわーっと泣き出した。私の目からもどんどん涙があふれた。私は立ち上がって、こうたんのところにいった。そして、こうたんをしっかりと抱きしめた。こうたんも、私を抱きしめた。

大月から何駅か行ったところに、私は小さな会社を見つけてイラストの仕事をすることになった。大月にアパートを借りて、卒業と同時に引っ越してきた。
引っ越してきた日、私はこうたんの家を訪ねた。こうたんのお母さんが、あの頃と同じようにたくさんのお菓子を用意していてくれた。
「もうこんな田舎に住むのははじめてだから、何を買うにも大変だわ。ろくなものは用意できなかったけど、いっぱい食べてね」
「いえいえ、ありがとうございます!そのお気持ちがとってもうれしいです!」
私はあの大きな絵の左半分を、精一杯の記憶で書き直した。絵の中の私は、幼い子どもだった。でも私は何歳になろうと、決して変わることはない。私は、私自身だ。
こうたんは右半分をがんばって探し出してくれた。つき合わせて、裏側からテープでしっかりと止めた。
「三香ちゃん、本当にうまくなったね。新幹線の中で描いてくれた絵もびっくりしたけど、あの絵よりも、もっともっと素敵だよ」
「うふふ、こうたんの絵によく合ってるでしょ」
「うん、ぴったり!」
休日は、いつもこうたんと一緒に過ごした。こうたんは少しずつ色鉛筆を手にするようになって、昔のような笑顔も瞳の輝きも、少しずつ戻ってきている。こうたんのお母さんもお父さんも、そんなこうたんを見てすごく喜んでいるようだ。

「こうたん、こんな夜にどこ行くの?」
私はこうたんと一緒に、懐中電灯を手にして暗い夜道を歩いていた。
「星がすっごくきれいに見える、小高い山があるんだ。僕は今まで、そこで星を眺めて何とか気持ちを保っていたんだ…。でも、今は三香ちゃんがいるから、とっても幸せな気持ちで星を眺められると思う」
「へえ…」
満点の星空って、プラネタリウムが本物になったみたいな感じなのかな。そんなことをぼんやりと思いながら、ちょっと大変な山道を登っていった。でも、頂上に着いたとたん、声も出なくなった。
プラネタリウムなんかとは全然違う。なんていうか…果てしなく広がっていて、「うわあ、きれい!」なんてものじゃない。
こうたんもまっすぐに上を向いて、見とれている。何回来ても、その度に感動するものなんだろう。
「なんか…吸い込まれていっちゃいそう」
「僕も何回そう思ったことだろうか…」
「ひとつのおほしさまが、すーっと降りてきて、高い山の上にいる2人の人間を見つけて、すーっとさらっていっちゃうの。うふふ」
「2人で一緒なら、どこへ行っても全然怖くないね」
暗がりの中で、こうたんが私ににっこりした。
「うん!」
私も負けずに、にっこりした。
私たちは、草はらに一緒に座り込んだ。
「きらきらとまたたくほしぞらのした。きみとわたしはいっしょにすわって…なんだっけ?」
「ふたりでもかぞえきれないくらいのおほしさまたちを、いつまでもみあげていた」
私はこうたんを見つめた。そして、こうたんの手をぎゅっと握りしめた。
「もう、ぜったいにきみからはなれないよ」
こうたんも、私の手をぎゅっと握りしめた。



あとがき
こんばんは。遠山公子です。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
このお話は、私自身が大好きで忘れられない人を思って書きました。タイトルはそれをダイレクトに伝えるものにしました。イラストもいつもよりやさしめに描いています。
苦しさや切なさ、感情のすごい勢いを感じた方もいると思います。遠山史上、最も産みの苦しみの大きかったお話で、若干お腹を下しながら書き上げました。
三香ちゃんやこうたんの思いがうまく言葉にできていないところもあると思うし、カリスマのイラストレーターの二人の絵を遠山の腕では再現できません。
それでも、三香ちゃんの思い、こうたんの思い、そして、二人に込めた私の思いが、一人でも多くの人に届いて、何かが伝わればいいなと願っています。
このお話を読んでくださった一人一人が、孤独や不安から救われて、幸せとぬくもりの中を生きていくことができますように。


きらきらとまたたくほしぞらのした
きみとぼくはいっしょにすわって
ふたりでもかぞえきれないくらいのおほしさまたちを
いつまでもみあげていた
もう ぜったいにきみからはなれないよ
きみはそういって ぼくのてをしっかりとにぎった
ぼくも ぜったいにきみからはなれないよ
そういわんばかりに ぼくもきみのてをぎゅっとにぎりかえした

私は大月三香。7才の女の子。
ある日、私はとってもすてきな絵本に出会った。
ひとつひとつの言葉が、やさしく私の心にひびく。
そして何よりのお気に入りは、最後のページの絵。
文字通りきらきらとかがやくおほしさま。金髪の男の子と、茶色い髪の毛の男の子が、仲良く手をつないで座っている。
青、黄色、緑、ピンク、オレンジ…一冊の絵本を通して、いろんな色が信じられないくらいきれいに入りまじって、やさしい言葉といっしょに私の心にいつまでもひびき続けた。
この絵本は、昨日のお誕生日にママがくれたもの。言葉も絵も同じ人が書いている。その人は、「星野虹大」という名前だった。何て読むんだろう?と思って裏表紙を見たら、「ほしのこうた」ってふりがながふってあった。その横にあるその人の顔は写真じゃなくて、絵だった。もちろん、その人が描いたもの。絵本に出てくる茶色い髪の毛の男の子に似ていて、きらきらした目をしている。
「この絵本を書いたのは15歳の男の子、高校生なのよ。高校生とは思えない、すっごくきれいな絵よねえ~。どんな子なのかしら」
ママはそう言って、裏表紙のその人の顔に見入った。
高校生だとか、どんな人だろうとか、7歳の私には全然ピンと来なかった。ただ私は、この人の描く絵に夢中になっていた。私もこんなすてきな絵を描いて、誰かを幸せにしてみたいな~って思っていた。色鉛筆なんて、学校でいやいや手にするだけだったのに。

それからそう経たないうちに、近所に新しい家族が引っ越してきた。その家族が、うちにあいさつに来た。
お父さん、お母さん、そして、大きなお兄ちゃんだった。
「星野です。何かとお世話になります。こちらは長男の虹大です」
「よろしくお願いします」
お兄ちゃんはそう言って、ちょっと恥ずかしそうに頭を下げた。
私は雷に打たれたかのようだった。目と口が大きく開いたままだ。
「大月です。こちらこそよろしくお願いします。こちらは長女の三香です。ほら、三香」
「よろしくおねがいします…」
ママに背中をぽんと押されて、私はあわてて頭を下げた。
「あの、失礼ですが、虹大さんは…」
「ねえ、あの絵本をかいたお兄ちゃん?」
お母さんの言葉をさえぎって、私はたまらず身を乗り出した。
「こら、三香」
「絵本…」
ちょっとどぎまぎしている虹大お兄ちゃんに、私はくるっと背を向けて自分の部屋に走っていった。あの絵本をつかむと、一目散に玄関に戻った。
「これ!」
私は両手で虹大お兄ちゃんに絵本を見せた。
「あ…そうです」
虹大お兄ちゃんは、照れくさそうな顔をした。
「ねえ虹大おにいちゃん、私もこんなすてきな絵がかきたいの!おえかき教えて!おうちにあそびにいってもいい?」
「三香!」
ママがあきれてるみたいだったけど、私は振り向かなかった。
「ええ、もちろん。三香ちゃん、ぜひうちにあそびにいらっしゃい」
虹大お兄ちゃんのお母さんがそう答えた。
「ほんと?やったー!」
私は絵本をだきしめて飛びはねた。
「本当にすみません…」
お母さんが、虹大お兄ちゃんのお母さんに頭を下げている。
「いえいえ。そうね…まだおうちのお片付けとかあるから、今度の土曜にあそびにいらっしゃい。虹大、部活ないわよね?」
「うん」
「わーい!こんどの土曜日、とってもたのしみ!!」
私は喜びを押さえきれなくて、手を広げて飛びはねた。

「おじゃましまーす!」
私は、虹大おにいちゃんのおうちのピンポンを押して、元気いっぱいさけんだ。あの絵本を両手で抱えている。
「こんにちは、三香ちゃん」
虹大お兄ちゃんがドアを開けた。この前とは違って、とってもにこにこしている。まるで絵本に出てくる男の子そっくり。
「こんにちは!虹大おにいちゃん!」
私が靴をぬいでおうちの中に入ると、リビングに案内された。
「あれ、おとうさんとおかあさんは?」
「お父さんは今日はお仕事なんだ。お母さんは今買い物に行ってるけど、もうすぐ帰ってくると思うよ」
「ふーん」
私は椅子にすわって、テーブルの上に本をおいた。
「この絵本、気に入ってくれてとってもうれしいよ。ありがとう」
「うん!でも…なんでこの前はあんなにはずかしそうにしてたの?」
「両親の前では、ちょっと恥ずかしくて…」
「りょうしん?」
「お父さんとお母さん、ね」
虹大お兄ちゃんは、そう言ってにっこりした。
「三香ちゃんは、お絵かきは好き?」
「ううん…ぜんぜん」
「そうなんだ…」
「でもね、私も、虹大おにいちゃんみたいなすてきな絵がかいてみたいの」
「そっかあ…」
虹大お兄ちゃんは、目をそらしてちょっと照れくさそうにした。
「ねえ、虹大おにいちゃんの名前は、「虹」に「大きい」っていう字だよね」
「そうだよ、よく知ってるね!三香ちゃん、「虹」っていう字は学校で習ったの?」
「ううん、まだ。でも、「大きい」の字はかけるよ」
「そっか」
「なんで、「虹」に「大きい」っていう字なの?」
「あのね、お母さんがつけてくれた名前なんだけど、「大きい虹をかける人になりますように」っていう願いが込められているんだ。雨があがった後、お空に虹がかかっているのを見ると元気が出るでしょ。そんなふうに、辛いときでもみんなに元気と幸せを与える、そんな人になってほしいっていう意味なんだ」
「へえ…なんだか、とってもすてき!」
「えへへ」
虹大お兄ちゃんのほっぺが、ピンクに染まっている。
「でも、「大きい」っていう字は「た」じゃなくて「だい」ってよむんだよ」
「そうなんだよね…よく「こうだい」って読まれたり、「大きい」に点をつけられちゃったりするんだ」
「「大きい」に点をつけると、「た」って読むもんね」
「そう!三香ちゃん、よく勉強してるんだね~」
「えっへん。だから、絵もいっぱいかけば、虹大おにいちゃんみたいにうまくなるとおもうんだ!」
「えへへ…そうだ、僕のこと、「こうたん」って呼んでいいよ」
「こうたん?」
「うん、小さい頃にそう呼ばれてたんだ。いつのまにか呼ばれなくなっちゃったんだけど…」
「そっかあ。こうたん、よろしくね!」
「うん、よろしく!」
「そうだ!こうたんの名前の、虹をかいてみよう」
「いきなり虹?難しいよ?」
「大丈夫!こうたんと一緒なら、ぜったいにかけるよ!」
「そっか…じゃあ、やってみよう」
こうたんは、自分のお部屋から紙と色鉛筆を取ってきた。
「まず、紫の線を小さく引くよ」
「え?下からかくの?虹のさいしょの色は赤だよ!」
「あのね、大きい色から描いていくと、あとで小さい色を描くスペースがなくなっちゃうこともあるんだ。だから僕はいつも、紫から描くことにしてるの」
「へえ、そうなんだ」


私はこうたんにならって、まあるい線を引いていった。紫、青、水色、緑、黄色、オレンジ、赤…
「ほら。上手にできたね!」
「わあっ、ほんとだ!」
私は、生まれてはじめて描いた虹に見とれた。
「僕の虹も素敵だよ!」
こうたんは、誇らしげに自分が描いた虹を見せた。
「わあ、すっごくきれい!私も、こんなふうにもっときれいな虹がかけたらなあ…」
「三香ちゃんの虹、とってもきれいだよ」
その時、ピンポンがなって、「ただいまー」という声が聞こえてきた。
「あ、お母さん。おかえりなさい」
「ただいま。いらっしゃい、三香ちゃん」
「こんにちは!」
私は立ち上がって、こうたんのお母さんににっこりした。
「見て見て!私、すてきな虹がかけたよ!」
私は虹の絵を、こうたんのお母さんに見せた。
「あらっ…?」
こうたんのお母さんは、きょとんとした顔をしている。
「三香ちゃん、三香ちゃんが描いたのはこっちだよ」
振り向くと、こうたんが私が描いた虹の絵を持っていた。
「あ…ごめんごめん!こっち!」
私はこうたんの絵をテーブルにおいて、私が描いた絵をこうたんのお母さんに見せた。
「まあ、なんて素敵な虹!がんばって描いたのね~」
「うん!でも私、こうたんみたいにもっともっとうまくなりたい!」
「あら、がんばってね!がんばれば虹大よりもうまくなるわよ!「こうたん」…なつかしいわ、虹大が小さい頃、そう呼んでいたわ」
「うん!あのね、こうたんが、こうたんって呼んでほしいんだって!」
「三香ちゃん…」
こうたんは、とっても照れくさそうにしている。
「さあ、おやつにしましょう!おほしさまのビスケット買ってきたわよ。三香ちゃん、虹大、手を洗ってきて!」
「はーい!」
おやつは、おほしさまのビスケット、色とりどりのグミ、それから、私が大好きなオレンジジュース。
「いただきまーす!わあ、まるでおほしさまいっぱいのお空みたい!」
私は久しぶりにたくさんのおやつをほおばった。
「虹大がこんなにうれしそうな顔をしていて、お母さんもうれしいわ。虹大、この頃お友達と遊ぶことがとっても少なくなっちゃったから」
「おともだち、いないの?」
私は食べる手を止めて、こうたんの顔をのぞきこんだ。
「ううん、いるよ。でも…」
「高校はね、幼稚園や小学校と違って、みんないろんなところから通ってくるの。だから、近くに友達のおうちがあるっていうことが、あんまりなくなっちゃうのよ」
「どうして?」
「高校は幼稚園や小学校と比べて、数が少ないの。だから、近くから通ってくる人もいれば、遠くから電車とかで通ってくる人もいるの」
「ふーん。こうたんの高校は、おうちのちかくなの?」
「ううん。僕は、電車で1時間くらいかかるんだ」
「えーっ!学校に行くのに1時間もかかるの?」
「うん。高校になると、そういう人がいっぱいいるよ」
「どうして?もっと近くに高校ないの?」
「あるよ…」
「高校はね、幼稚園や小学校と違って、自分で行きたいところを選べるの。たとえば、こんなことを勉強したいからここの高校にしよう、とか、テニスのチームが強いからここの高校にしよう、とかね。あとは、お勉強が難しい高校もあれば、簡単な高校もあるの」
こうたんは、ちょっとうつむいている。
「そうなんだあ。私、おうちから近くて、お勉強簡単な高校がいい!」
「三香ちゃん、自分にぴったりな高校を選んでね」
こうたんのお母さんは、にっこりした。
「こうたん、私がおともだちになってあげる!また一緒におえかきしようよ!」
「ありがとう…うん、お絵描きしよう」
こうたんはそう言って、ちょっと笑顔を見せた。

それから私は週末になると、こうたんのおうちに遊びにいっては絵をたくさん描いた。お空の絵、お友達の絵、乗り物の絵…こうたんは、何でも描き方を教えてくれた。私はどんどん色々なものが描けるようになって、学校でもおうちでも「絵が上手だね」って言ってもらえた。
そうして2年くらいが経った。こうたんはお勉強が忙しくなって、私とあんまり遊べなくなってきた。春になったらまた一緒にお絵描きしようねってこうたんに言われて、私は春になるのをずっと待ち焦がれていた。

春になって、私は久しぶりにこうたんのおうちに遊びにいった。いっぱいの紙と色鉛筆を両手に抱えている。
「ようこそ三香ちゃん!ずっとあそべなくてごめんね。元気だった?」
「うん!元気いっぱい!こうたんとまたおえかきするの、ずっとずっと、ずーっと楽しみにしてたよ!」
「そっか、うれしいな!」
「ねえこうたん、これからはもうずっと、いっしょにいつもおえかきできるよね!」
「…うん」
こうたんは、ちょっと目をそらした。
「こうたん?」
「…ううん、何でもない。あのね三香ちゃん、今日は、三香ちゃんと僕で、一緒に1つの絵を描いてみない?」
「え、ほんと?かきたい、かきたい!」
私は紙と色鉛筆を抱えたまま、ぴょんぴょん飛びはねた。
「じゃあ、靴をぬいで中においで!紙と色鉛筆、預かってあげる」
「うん!」

その日、私はこれまで描いたこともないような大きい絵を、こうたんと一緒に一枚の紙に描いた。
大きな虹の下で、こうたんと私が手をつないで遊んでいる。周りにはお花がいっぱい咲いていて、いろんな動物やお友達がいる。こうたんはこうたんが描いて、私は私が描いた。きれいに形の整ったこうたんと、7才の私が描いた拙い私が手をつないでいるのは、何とも不思議だ。虹は私が全部描いた。がんばって練習してきたから、はじめて描いたときよりずっとうまくできた。
「まあ、なんて素敵な絵なの!三香ちゃんも虹大も、本当にがんばったわね!」
こうたんのお母さんが、おやつをお盆にのせてリビングにやって来た。
「うん、ほんとに、ほんとにがんばったよ!」
私ははりきった。
「三香ちゃん、この絵は三香ちゃんにあげるよ。ずっと大切に、記念に持っていてね」
「え、いいの?やったー!!」
私はうれしくて、椅子から立ち上がった。
「三香ちゃん、よかったわねえ。さあ、特製のおやつ用意したから食べて!」
「わーい!」
今日のおやつは、今までに見たことがないくらい豪華だ。こうたんのお母さん手作りのカラフルなババロアに、星や三日月の形のゼリーがちりばめられている。こうたんと私が大好きな、おほしさまのビスケットや色とりどりのグミ、オレンジジュースも、いつものようにあった。
「いただきまーす!」


私とこうたん、こうたんのお母さんは、いつもみたいにいろんなことを話して、笑って、楽しくおやつを食べていた。
しばらくして、こうたんのお母さんの顔がちょっと曇った。
「三香ちゃん、実はね…お話ししたいことがあるの」
こうたんの顔も曇った。
「なあに?」
「あのね…私たち、もうすぐ遠くに引っ越すの」
「え…?」
「お父さんのお仕事の関係でね。虹大もそっちの方の学校に行くことになったから…今みたいには一緒に遊べなくなるわ」
「…」
私はジュースのコップをおいた。
「…うそつき…こうたんのうそつき!!」
私は立ち上がって、こうたんにさけんだ。
「こうたん、さっき言ってたもん!これからもずっと一緒に遊べるって!」
「虹大?」
「…ごめん…三香ちゃんの悲しむ顔が見たくなくて…」
「うそつき!こうたんのばか!!」
私は玄関に駆けていって、こうたんの家を飛び出した。どこへ行くのでもなく、道を一目散に駆けていった。車の警笛も、「お嬢ちゃん大丈夫?」の声も、ひたすら無視して、とうとう知らないところまで来てしまった。私はもう走れなくて、疲れて道ばたに座り込んだ。そして、ひざを抱えて泣き出した。

「三香ちゃん」
どのくらい泣いていたのか分からない。こうたんの声がして、私は思わず顔を上げた。乗ってきた自転車を止めて、こうたんは私に駆け寄り、隣に腰かけた。
「三香ちゃん…ごめんね…」
「こうたん…もう…あえなくなっちゃうの…?」
「そんなことはないよ…でも、とっても遠くだから、会いに来るのは難しいと思う…」
「こうたん…おてがみかいてもいい?」
「もちろんだよ。いつでも待ってるよ」
「こうたん…こうたんのこと、ずっと忘れない。私、がんばってもっともっとうまく絵がかけるようになる。ぜったいだよ」
「がんばってね。三香ちゃん」
私はこうたんの瞳をじっと見つめた。そして、こうたんを思いっきり抱きしめた。
「こうたん…あったかい」
「三香ちゃんも、あったかい…」
こうたんも、私を抱きしめた。
「三香ちゃん、引っ越しまであと3週間あるから、今日描いたのよりもっとすごい絵を描こう。一日で完成しないくらいの」
「おっきな絵?」
私は顔を上げた。
「うん、とっても大きな絵!」
「うん!かこう!」

それから引っ越しまでの日に、こうたんは荷造りで忙しい中一生懸命時間を作ってくれて、私と一緒に大きな紙にたくさん絵を描いた。虹とおほしさま、おつきさま、虹色のお菓子、虹色の服を着たこうたんと私…
引っ越しの前日、その絵はできあがった。
こうたんのお母さんとお父さん、それに私のママとパパも、絵を見に来てくれた。
「虹大くん、三香、本当にがんばったのね!」
「まぶしいくらい虹色だらけだなあ」
「えへへ」
こうたんは、とってもうれしそうな顔をしている。
「三香ちゃん、この絵も三香ちゃんにあげるよ」
「ううん!」
私は首を大きく横にふった。
「こうたん、この絵は、はんぶんこしようよ!」
「え?」
「真ん中でチョキチョキして、また会ったときにくっつけるの!」
「切っちゃうの!?」
「うん!」
「…そうだね。そうしよう」
こうたんは、ハサミを取ってきた。
「私、きれいに切れる自信ないから、こうたん切ってよ」
「え…うん」
こうたんは少しためらっていたけど、絵にハサミを入れて、丁寧にゆっくり切っていった。
「はい。ずっと大切に持っててね」
「ありがとう!ずっとずっと、大切に持ってるよ!」

引っ越しの日の朝、私はママとパパと一緒に見送りに出た。
「三香が本当にお世話になりました。たくさんご迷惑をお掛けしました」
ママがこうたんのお母さんに、ぺこりと頭を下げた。
「いえいえ。とっても楽しかったです。何より虹大がこんなに幸せそうに過ごしていて、本当にうれしかったですよ。こちらこそお世話になりました」
こうたんのお母さんもおじぎをした。
「ありがとうございます」
ママはまた深々と頭を下げた。
「こうたん」
私はまた、こうたんに思いきり抱きついた。
「三香ちゃん…」
「こうたん…私、こうたんのこと、いつまでも、ぜったいに忘れない」
不意に、涙がぽろぽろとこぼれてきた。
「僕も…絶対に忘れないよ」
こうたんも泣いていた。
しばらく抱き合っていて、私たちはようやく手を離した。
こうたんが車に乗って、窓を開けた。
「こうたん、もう一回握手して」
私は車の窓越しに、こうたんと握手をした。
「こうたん、だいすき」
「僕も、大好きだよ。三香ちゃん」
こうたんは思いきり笑顔を見せた。私も思いきり、笑顔を見せた。
車が走り出した。こうたんは後ろにいる私に向かって、ずっと手をふり続けた。私も背伸びして、いつまでもいつまでも大きく手をふり続けていた。

それからも私は、いろんなものを描き続けた。家の近くから、ちょっと電車でいった遠くまで、いろんなところに出かけて、スケッチしたりして、新しいものにもどんどん挑戦していった。友達の顔を描いてみたり、自分が空を飛ぶ絵を描いてみたり。とっても上手な絵が描けたときは、コピーして手紙を書いて、こうたんに送った。こうたんはどの絵にもとっても感動してくれて、こうたんのお返事を見て私もとってもうれしくなった。いろんなものがうまく描けるようになって、こうたんに送る手紙はどんどん増えていった。そのうち、こうたんは何回かに一回お返事をくれるようになった。「最近忙しくて、ごめんね」って書かれることが増えていった。でも、お返事の数は減る一方だった。私もこうたんが忙しいのを察して、手紙を送る頻度をちょっとずつ減らしていった。でも、ついにはこうたんから全然お返事が来なくなってしまった。
「ママ…こうたん、元気にしてるのかな?」
学校から帰ってきて、私は制服のままリビングの椅子に座った。
「きっと大丈夫よ。誰でも大人になると、自分のことでどんどん忙しくなってくるものなの。三香ももう3年生なんだから、高校決めて、お絵描きばっかりしてないで勉強頑張りなさい」
「…うん」
私はのろのろと立ち上がって、自分の部屋に行った。

でも、どうしても勉強ばかりしているわけにはいかなくて、気が向いては絵を描き続けた。いろんな進路に迷ったあげく、絵を描かないでは生きていけない自分に気がついて、イラストの専門学校に行くことに決めた。
「電車で1時間もかけていくの!?寝坊ばかりしてる三香には無理よ」
「ママ、私は決めたの」
「イラストなんかじゃ食っていけないぞ。それとも、将来いい男を見つけて頼ればいいやみたいに思ってんのか?」
「そんなこと思ってないよ、パパ!」
「学費を自分で半分出さなきゃ、そんなところには行かせない」
「分かった。がんばってバイトする」
ママとパパの反対を押しきって、私は専門学校一本で勉強をがんばった。
こうたんが私にくれた、大切な大切な才能。こうたんが元気にしてるのかは分からない。それでも、この才能を大切に磨き続けることが、私自身のためにも、こうたんのためにも、精一杯できることだ。

「三香、おめでとう!すごいわ」
「ありがとう、ママ!」
私は誇らしげに合格通知をママとパパに見せた。
「本当によくがんばったな。そうだ、春休み、大阪にでも遊びに行くか?」
「大阪?行く行く!!」
大阪は、こうたんが住んでいるところだ。
「こうたんのおうち、行ってみてもいいかな?」
「うーん…そうね、休日にでも訪ねにいってみることくらいできるかしら?」
「行こうよ!…こうたん」
私はふと、窓の外に目をやった。うちのはす向かいに、こうたんは住んでいた。今は違う人が、新しいおうちに建て替えて暮らしている。

新幹線の中で、待ちきれない気持ちをこらえて、私はこうたんに見せるための絵を描いていた。揺れてうまく描けなかったけど、大きくなった私と、こうたんが笑い合っている絵を描いた。あんなに大きなお兄ちゃんだったのに、できあがって見てみると、ほとんど同い年だ。おかしくて、思わず笑っちゃった。

「まあ、三香ちゃん!こんなに大きくなって!お父様お母様も、はるばる来てくださったのですね~、上がってお茶でもどうぞ」
「すみません」
こうたんのお母さんが出迎えてくれた。こうたんは、中にいるのかな?
私たちはリビングに案内されて、お茶とお菓子を出してもらった。
「ごめんね三香ちゃん、突然のご訪問だったから、おほしさまのビスケットはないの」
「いえいえ。あの、こうたんと私が大好きだったお菓子ですよね。あれ、だいぶリニューアルされちゃったみたいで」
「あら、そうなの。そういえば、最近見かけなくなったわ」
「前の方がおいしかったんですけどね…それより、こうたんは?」
「虹大なんだけどね、今日は同期の人たちと飲み会に行ってるの。申し訳ないわ」
「飲み…会…ですか」
こうたん、お酒で酔っぱらうの…?
「ご旅行中に時間を割いてきていただいたのに、本当にごめんなさいね」
落ち込むのを隠しきれないのを察したのか、こうたんのお母さんがもう一度謝った。
「いえいえ」
ママが私の代わりに答えた。
短い時間の中で、私たちはお互いのことを話した。こうたんが引っ越した後も私はイラストをひたすら描き続けてきたこと、イラストの専門学校に受かったこと、こうたんは大学で社会学を学んで、去年の春からお勤めが始まったこと…。
「こうたん、今も素敵な絵をいっぱい描いているんですか?」
私は身を乗り出して、こうたんのお母さんに聞いた。
「そうね…大人になるにつれて、だんだん描かなくなっていっちゃったわ。一人前の社会人として生きていくには、やむをえず犠牲にしなきゃいけないこともあるの。…あ、三香ちゃんにお絵描きをやめてって言ってるわけじゃないわよ」
こうたんのお母さんは慌てて手を横にふった。
「そうなんですか…」
私は、窓の外に目をやった。私が住んでいるところと同じような住宅街だけど、緑が少なくて、より都会っぽい感じがする。
「三香ちゃんには、虹大の分もがんばってほしいわ。三香ちゃんは受かったんだから」
「え…?」
「実は、虹大は三香ちゃんと同じ専門学校に落ちてるの。思えば、それからかしら…自分で絵を描くことが少なくなっていったのは。三香ちゃんと一緒にいるときを除いて」
「…」
なんだか、新幹線の中で描いた絵を渡すかどうか迷ってきた。でも、せっかく描いたものだし、せっかくここまで来たもの。私が来たっていうこと、こうたんにはっきり知らせてあげたい。
最後に私は、その絵をこうたんのお母さんに手渡した。
「これ、こうたんに渡してあげてください」
「まあ、素敵な絵ね!不思議~、三香ちゃんと虹大が同じくらいの年に見えるわ!」
「うふふ、私が覚えてるこうたんの姿ですから」
「大事に取っておくわね。三香ちゃん、専門学校でのお勉強、がんばってね!」
「ありがとうございます!」
こうたん、飲み会…なんだか、いまいち結び付かなかった。

その夜、私たちは商店街でいろんなものを食べて回った。たこ焼き、お好み焼き、変わったラーメン…私もママもパパも、お腹いっぱいで車に向かって歩いていた。向こうから、べろんべろんに酔っ払った若者の集団が大声で騒ぎながら歩いてくる。
私は思わず、立ち止まった。見覚えのある顔がその中にあった。ほっぺを真っ赤にして、ちょっとふらふらしている。
「わははは、お前まじで飲み過ぎ!」
「ええやろたまには~。今夜のために2ヶ月頑張ったんやから!それよりお前は食い過ぎやな!」
一人の若者が、その見覚えのある人の肩をパシッと叩いた。
「痛いな~、そんな食ってないわ!」
聞き覚えのある声…気のせい、気のせい。
「またまた~、たこ焼き36個も食ってたやろ!俺ちゃんと数えてたで」
「うっそつけー!でたらめやろ!」
その人がまた大声を出した。あの人が、関西弁なんてしゃべるわけがない…。
「でらやめやないで、どんなに酔ってたって、俺の脳は狂わねえんだよ!ジョッキ半分でダメになる“こ・う・た”ちゃん!」
そう言って若者はその人の肩に腕を回し、みんなは大声で笑った。
頭から下に向かって、血の気がさーっと引いていった。私はその場に崩れた。
「三香、どうしたの?」
頭が真っ白で、何もしゃべれない。
「今、“こうた”って聞こえたよな。そういえばなんだか覚えのある顔と声だったぞ。虹大くんじゃないのか?」
「…」
「あら、せっかく大阪まで来たんだし、一言くらいあいさつ…」
「いや!!!」
私は立ち上がって、駆け出した。
「三香、危ないわよ!!」
背後から聞こえてくるママの声も無視して、私は走るのを止めなかった。
目の前で「ビーッ!」というものすごいクラクションが聞こえて、私はあわてて立ち止まった。赤信号だった。
「気を付けろバカ娘!」
車の主はわざわざ窓を開けて怒鳴り、通過していった。
「三香!何なんだいきなり」
「ひかれるところだったじゃないのよ!」
ママとパパが、すぐに追いついてきた。震えて、呼吸もうまくできない。
「ご…めん…なさ…い…」
「まあ、ホテルに帰ってゆっくり休もう」
「虹大くんが楽しんでるところ邪魔するのも、悪かったかもしれないわね」
私は、歩くのも精一杯だった。

ホテルに帰ってすぐ、私はシャワーを浴びる気にもなれずにベッドに倒れこんだ。でも、ママとパパがすっかり寝静まっても、私は全く眠くならなかった。
「はぁ……うっ…」
不意に、胸やけがしてきた。起き上がって胸に手を当て、深呼吸を繰り返すけど、吐き気は一向におさまらない。
私はトイレに駆け込んで、床に座り込んだ。ほどなくして、色々と食べたものを全部出しきってしまった。ふらふらするのがおさまってきてようやく立ち上がり、洗面所に向かった。苦い口を何回もすすぐ。立っていられなくて、私はすぐにベッドに戻った。服を着たままだったので、肌着だけになって布団にもぐり込んだ。

「あらまあ、戻しちゃったのね…」
「ママ…もう帰りたい…」
「何言ってるんだよ、お前が楽しみにしてたショー、3人分チケット取ってあるんだぞ」
別に…そんなに楽しみにしてたわけじゃ…
「体調、良くないの…」
「そうねえ、具合悪いのに無理して外に出るのも…じゃあ三香、今日は一日ホテルで休んでる?」
「うん…そうする…」
「なんだぁ、仕方ないなあ。じゃあ、今日はママと二人で楽しんでくるぞ。すぐに直るから心配するな。お土産買ってくるから、待っててな」
「うん…」
ママとパパは、まもなく部屋を出ていった。
なんだかすごく落ち着かないし、昨日お風呂に入っていなかったから、私はシャワーを浴びることにした。水が冷たい。熱いのもいや。ぬるま湯にしてみたけど、体には気持ちよくても気分は全然良くならない。
服を着て、私はベッドに仰向けになった。何もしたくないし、動きたくもない。
もう…いない…あの人は、いない…。

その夜、ママとパパが食いだおれのシリーズとか変わったお菓子をいっぱい買って帰ってきた。学校行かせるお金はないのにお土産買うお金はあるの。
こうたんが「楽しんでる」、「すぐに直る」…ママもパパも、私の気持ちなんて分かっちゃいない。
次の日は帰る日だったし、ママとパパと一緒に観光したり買い物したりしたけど、私は上の空だった。どんなにおもしろいものを見ても、すごく楽しそうな笑い声が聞こえてきても、おいしいものや珍しいものを食べても、私は何も感じなかった。

大阪から帰ってきて数日後、私は中学校まで使っていたいらないものを捨てるために部屋の整理をしていた。その中で、昔描いてた絵がいっぱい出てきた。ぼんやりと見返していたら、あの半分の絵が出てきた。もう半分は、捨てられてるんじゃないかな?大阪で渡してきた絵のことで、今のところあの人からの電話も手紙もない。もう、すっかり忘れられちゃってるに違いない。
私はその絵を丸めてごみ箱にほうり込んだ。そして、さらに絵の束を探った。虹の下で、二人が手をつないで遊んでいる絵。見つけるやいなや、私はびりびりにやぶいてゴミ箱に捨てた。
天井を見上げて、ふーっとため息をついた。なんだかすっきりしたような感じがするけど、なんだかそうでない気もする。
残りの山のような絵は、捨てたのが親にばれるのも良くないだろうから、仕方なく棚にしまい込んだ。

 皆様こんにちは。いつも私や家族のためにお祈りありがとうございます。
 実を言いますと、私は高校生くらいから○○の大人の方々と気持ちの上で齟齬を感じていました。理由として特に大きかったのが、高校受験が終わった頃のことでした。私が受験生だったのは2011年度でしたが、地震や人間関係で大きな不安やストレスを感じており、受験勉強はむしろ生き甲斐、そして精神安定剤になっていたほどでした。志望校に受かった瞬間は嬉しかったですが、それらの悩みは受験が終わっても全く変わらず、生き甲斐だけを失ってしまったようなものでした。自分の悩みについて家族や教会の皆様にはお話しせず、誰かが察してくれるということもなく、「みんな今の私は幸せいっぱいだと思い込んでいる。私の悩みには全く気付いてくれはしない」と思うようになりました。大人の方々との交わりになかなか馴染むことができず、私はこの教会に合わないと感じるようになりました。年上の親戚や知り合いが次々と結婚し、新たな家庭や教会など自分自身の生活環境を築いていく一方で、私はいつまでここで耐えていなければならないのだろうとずっと思ってきました。
 大学生になってクリスチャン学生団体の集まりに参加するようになり、そこで初めて○○以外でクリスチャンとの交わりの機会が与えられました。その中で、本当に様々な教会があって、様々なクリスチャンがいるということを知りました。教会の意義や「遣わされた地で生きること」について学生団体で学んでいく中で、○○もキリストの体の様々な部分の大切な一部であり、ここにしか与えられていない賜物があるということ、私がここに生まれ育ってきたのは必ず意味があって、神様によってここに遣わされているのだということに気づくようになりました。また、皆様のことを「○○の人たち」と一括りにし、お一人お一人の人格やお気持ちについてあまり考えていなかったこと、こんな罪深くわがままな私のことを皆様はいつもお祈りに覚えていてくださっているということに、はっきり気づかされました。そして、これからは○○の大人の方々お一人お一人との会話を大切にしていこうと思うようになりました。
 学生団体での学生との交わりでは、私が抱えてきた様々な気持ちについて話し、祈っていただいています。同年代の信頼できる仲間を神様がたくさん与えてくださり、本当に感謝しています。
「常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」(箴言3:6)
 何事においても常に神様を見上げ、第一とすることで、神様はどんな問題においても私を守り、問題を最善に導いてくださいます。私にしか与えられていない最善の進路を、最善の時に示してくださいます。私が高校受験の時から抱えている悩みについては、今も私が思うようには全然解決しておらず、先が見えないことには変わりありません。しかし、今一番感謝していることは、それらを通してより神様に心を向けられるよう練り清められていったということです。また、そうした逆境の中でも、私の日常の中で神様は本当に多くの祝福をくださっていると感じ、それらを通して神様は私に素晴らしい将来の計画を備えてくださっていると確信するようになりました。
 私の悩みについて詳しく、また口頭でお話しすることはまだ難しいですが、今の家庭や教会からもう少し距離をおけるようになったら、ゆっくりお話ししていくことができればと思います。
 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。皆様お一人お一人の信仰生活、体調が守られ、強められ祝福されますように、お祈りしています。

 

 

あとがき

 皆様こんにちは。(本文中の「こんにちは」は、当時いた教会の方々への「こんにちは」でした。笑)

これは以前載せた「母教会へ」の1年半ほど前、教会の文集に投稿するものとして書いたものです。「○○」は教会名です。

本稿を牧師夫人である母親に見せたところ、大幅に「校正」を受けた記憶があります。あげく、「公子は○○教会がなくなっちゃえばいいと思ってるんだよ!」と言われました。上記の文章が「校正」前か後かはよく覚えていません(後なような気がします)。

読み返してみて、この頃からかなりダイレクトに書いてるなと、我ながらびっくりしました。

 結局は、文集ごと出ませんでした。忙しくて手が及ばなかったのか、投稿者が少なかったのか、私の原稿を載せるのに気が引けたのか…

 今なおあの教会に集っている人たちが、神様に守られ元気で幸せでいることを祈っています。

 唯一完全なる神様の御手が働き、正しい執り成しがなされますように。

「ジャック、最近なかなか来ねえじゃねえか!」
「そうかもな。まあみんな不規則だろ」
「そうだけど、やっぱりヘビロテは俺たち2人だろ」
「だな」
「最近、俺一人の日がよくあって寂しいんだよ~」
そうつぶやいてファブリツィオは、たき火の脇に寝そべった。
「仕方ねえよ。そもそもここに集まるやつはみんな、明日の行方も分からないやつばっかさ。そういうお前はこの頃順調なのか?」
「なんだか最近、あんまり気合いが入らなくてよ。音楽で前より収入が入らなくなっちまって。これまで多分ここの連中の中で一番稼いでたのに。貯金をちょっとずつ崩してる生活さ」
「おんまえ、貯金が立派にできるくらい稼いでたのかよ」
私は笑ってファブリツィオをつっついた。
「まあ…な。立派ってことねえけど」
ファブリツィオはポケットから自作の葉巻を取り出した。
「これからどんどん寒くなって使う金が増えるぜ。ずっとこのままだったら貯金が尽きて楽器も売らなきゃいけなくなるのかよ…」
ファブリツィオは葉巻を吸わずに、指で弄んだ。
「お前らしくねえな…」
「そうかもしんねえけど、こればっかりはなあ…」
ファブリツィオは、葉巻を川に投げ捨てた。
「なあファブリツィオ、お前の宝物って何だ?」
「…」
ファブリツィオは、顔をしかめてこちらを見た。
「そうだな、一つ選ぶとしたら、何だ?」
「…あんまり考えたことねえな」
ファブリツィオは、横になったままぼんやりと上を眺めている。
「働いて、食って、仲間とつるんで、楽しく音楽演奏して。ただその繰り返しだな…まあそうやって、毎日を過ごせることがありがたい宝物かな」
「お前、何か1つでも大切にするものを決めて、そのために生きていれば、音楽もうまくなってくんじゃねえの」
私はスケッチを袋から取り出して、ぱらぱらと眺めた。
「俺、最近絵が前よりうまくなった気がするんだよな。俺さ…実は、この頃王子に絵を見せに行ってるんだ」
「へ!?」
ファブリツィオは飛び起きた。
「お城の裏庭で、柵越しに会っててよ。俺の絵を気に入ってくれているようでさ。あいつ…ずいぶん辛いようなんだ。そんな中で俺の絵が励みになってるらしい。あいつを元気づけられてることで、俺もこうしてやってけるのさ。だから前よりもっとがんばって絵を描くようになってるんだろうしよ、それが自然と出てきてるんだぜ」
「ふ~ん…」
ファブリツィオは、私のスケッチをのぞきこんだ。
「うわ、ほんとにうまくなってるな」
「ありがとよ」
私は笑って、スケッチをぽんと閉じた。
「お前もなんか持てよ。大切なもの」
「そうだな……俺は、仲間かな。金や食べ物のことが心配でも、ここでお前らに会って楽しく過ごせば、また明日も大丈夫だって思えるんだよな。何があっても、たとえ会えなくなったとしても、俺たちはきっとつながってるのさ」
「その通りだ。たとえ明日死んじまったとしてもな」
「おめえな…」
ファブリツィオは苦笑いして、もう一本葉巻を取り出し、指で投げて遊んだ。
「冗談だよ。死にやしねえよ俺は」
私はファブリツィオの横に行って、肩を抱いた。
「信じろ。俺らはみんな、いつかはちりぢりになっちまうかもしれない。でも、お互いのこと忘れることは絶対にないぜ。今も、これからもずっとだ」
私は、ウィンクして親指を立てた。
「おう、約束するぜ」
ファブリツィオは私の腕の中で、にっこりした。

「今日は仕事もしないで一日中絵を描いてたよ。おかげで明日食うもんがない」
私は苦笑いして、フィリップに5枚の絵を渡した。
「ずいぶん描いたんだね」
「まあな。ひらめいた時に描くのさ」
私は自慢気に人差し指で鼻をこすった。と言っても、大半はたわいのないものばかりだ。昼間に溜まり場で見つけた小さな花、持っているお金を全部使って買った果物、街角の物乞いのおっさん、誰もいない溜まり場で私の荷物を全部ぶちまけたもの…その中でも一枚は、特別に力を入れて描いた。それは、唯一実物を見ないで描いたものでもある。物じゃなくて人だけど。
「僕のこと、また描いてくれたんだね…」
お城の裏庭に腰かけて遠くを見ている自分の絵を、フィリップは微笑んで眺めた。今はどことなく物悲しい視線をしているけれど、私にとってフィリップの笑顔は一番の宝物だ。
「フィリップさ、はじめて会った時、どうして私のことを見つけられたんだい?」
「偶然だったんだ…僕、よく人目につかない裏庭の隅に来ていて。そこで別に何かしてるわけじゃないんだけど……そしたらある日、ゼルダがいて。スケッチを持って絵を描いていたから、僕の絵を描いた人に間違いないって思ったんだ」
「そっか」
「ゼルダは、どこから来たの?どうして…男として生きているの?」
「そうだな…」
私は、自分のこれまでのことを洗いざらいフィリップに話した。




私はここから海を越えて、さらにいくつかの国境を越えたところの小さな町に生まれた。貧乏人ばかりが住んでいる通りの中の一軒家だ。家と言っても、めちゃくちゃボロボロで、家族もボロボロだった。親父は大酒飲みで、キレると物は投げるわ、おふくろや私にぶち当たるわ。親父に泣かされ怯えながら暮らすしょうもない毎日だったけど、近所の教会の牧師からもらった紙と鉛筆で絵を描くことが、ほとんど唯一の楽しみだった。おふくろもその牧師から聖書をもらって、親父にばれないように読んでいた。親父にばれるから教会に行くことはできず、聖書を読むことだけが、おくふろにとって救いだったようだ。私は、せっかく描いた絵を親父に破られて捨てられることもあったけれど、生きていく楽しみはそれしかないから、めげないで描き続けた。牧師に見せに行くと、「君はお絵描きの賜物があるよ」っていつも言ってくれていたし。8歳か9歳くらいの時に、親父は病気で死んだ。それからおふくろは日曜になると教会に行くようになり、私もついていっていた。生活は前より大変になったけど、おふくろの顔は前より明るくなっていった。でも、幸せな時もつかの間だった。おふくろは働きすぎで病に倒れ、まもなく死んでしまった。
「ジェルダ…お前だけは、幸せになっておくれ」
そう言い残して、おふくろは私の手を握りながらベッドで息絶えた。
おふくろの葬儀は、牧師がやってくれた。親戚もいなくて、出席したのは私と、近所の人がたった数人だけだった。その後、牧師が私に孤児院に行くことを勧めてきた。牧師の説得に、私は猛反発した。「負け組」として生きていくのが耐えられなかったんだ。
ある日の夜中、私は町をそっと抜け出した。わずかな食料だけを持って、ひたすら遠くへ遠くへと旅し続けた。10歳にして私は男として生きていくことを決め、日雇いや絵描きで命をつないできた。
おふくろは「ゼルダ」が言えなくて、いつも私を「ジェルダ」と呼んでいた。その頭文字「J」を取って、私は「ジャック」と名乗ってきた。

「親のことなんて…過去のことなんて…誰にも話したことがない」
私はフィリップに背中を向けて、肩を震わせていた。次から次へと頬を流れ落ちるものを認めたくない。
「ゼルダ…絵に描いてある荷物の中に、聖書があるね」
「おふくろからもらったものさ」
私は袋の中から、実物の聖書を取り出した。思わず一番好きな箇所を開く。
「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。ローマ人への手紙 12章の1節」
フィリップは、黙っていた。
「これ、おふくろが私に読んでくれた箇所なんだ。「神のあわれみ」も「霊的な礼拝」も未だによく分かんねえけど、なんか自分の体を大事にしろって。神を喜ばせるために使えって。それで、なんか売春とかする気にはなれなくて。男として生きてくしかなかったのさ」
「ゼルダ、男として生きるのは、とっても大変じゃない?」
「んー、別に。自分の性格に合ってるし。男と女の違いなんて、「俺」か「私」かの違いだよ。胸つぶしてるのも慣れたし。ていうか昔からつぶしてたから、全然膨らんでなくて、脱いでも一見ばれない。チンコがないだけさ。あははは」
フィリップは、しばらく黙っていた。
「その聖書箇所…僕も父上から説かれていたところなんだ。お前は王子だから、神に喜ばれるように王子らしく歩めって。そして、聖書に書いてあるように、男は女を治めるべきだって」
「それなら、なんでお前も、国民たちも、こんなに苦しんでるんだろうな」
「…」
フィリップは、私の荷物の絵に再び目を落とした。そして、はっと目を見開いた。
「ゼルダ」
「え?」
「これ…壺のかけら?」
「は?」
「エルマルスの壺…王家に代々伝わる…」
「へ??」
「…この国には元々、僕みたいな黒髪に黒い瞳の人がたくさん暮らしていたんだ。それが、300年くらい前に外国人がたくさん攻めてきて、国はぼろぼろになってしまった。王家一族を含めて、殺されることを恐れた人たちは、方々に散っていってしまったらしい。エルマルスの壺というのは、その昔、女神のように美しい姫君が、自分の美しさを後世まで残すために国一の職人に作らせたものだそうで、王家の宝だったんだけれど、国が攻められたときにバラバラに割れてしまった。亡命する王家の人たちの中には、せめてかけらだけでもと思って、拾い集めていった人もいたとか…」
「これか?」
私は袋からそのかけらを探して取り出した。フィリップは、見たこともないくらい目を見開いた。
「…見てもいい?」
「ああ」
私はフィリップに、かけらをぽんと手渡した。フィリップは慎重に受け取って、じっと眺めた。
「…間違いないよ。姫君の顔だ…お城には、体の部分のかけらがいくつかある…」
「ふーん、そんなに貴重なものなんだ。なんか昔からおふくろが持ってて、なんか宝物だとかなんとか聞いてたから、何となく持ってたんだけどさ」
「ゼルダには、最初から何か特別なものを感じていたんだ。僕たちと同じ、黒髪に黒い瞳…」
「おい、お前は何者だ!?」
私は振り向いた。城の守衛が2人、後ろに立っていた。
「最近城の周りをほっつき歩きよって!」
「王子様、ご無事でございますか?」
「僕は大丈夫。この者には手を出さないように」
「いえ、王子様に何かあってはなりません。この者を捕らえ、王様のもとに連れて参ります」
あたふたするフィリップをよそに、守衛どもは私を縛り上げ、私の荷物を取り上げて城の中に引いていった。


突然のことにどうしていいのかも分からず、僕は守衛たちとゼルダの後をついて玉座の間に入った。
父が玉座の上から、ゼルダをにらみつけている。
アンナを含む家来たち、それから、たまたま用があったのか将軍と娘のロクサンヌもいる。
「最近、お前は城の裏庭の辺りをうろついているようだな。その汚い身なりで。名は何と言う。一体何の用だ」
「俺はジャック、絵描きだ。絵を描いてフィリップを励ましていたのさ」
「無礼者!わしや王子に向かって何と言う口をきいておるのか!!」
「父上、この者は敬語や礼儀を教わる機会が全くなかったのです。どうかお許しを…」
父の視線が、僕の方に移った。
「フィリップ。そう言うお前は、目撃者として何か分かったことはあるのか」
「父上、この者は…王家の一族かもしれないのです」
「何じゃと?」
父は、不機嫌な顔をした。
「この者は、エルマルスの壺のかけらを持っています。袋の中に入っていたのです」
僕は、持っていた壺のかけらを父に見せた。
「……」
父はかけらを様々な角度からじっくり眺めた。
「間違いないな……どうしてお前のような汚い人間が持っていたのか知らぬが、とにかくこれはわしら一族の物じゃ。わしがもらうぞ」
「俺が持ってたんだよ、ただじゃやんねえ」
「口を慎め!!」
父は激昂して立ち上がった。ゼルダと父がにらみ合う。
しばらくして、ゼルダはにらむのをやめた。
「そうだな…王がフィリップの願いを一つ叶えたら、くれてやってもいいぜ」
ゼルダは、びっくりしている僕の方に向き直った。
「フィリップ、自分の幸せのために、願うことを一つだけお前の親父に言え。何でもいい」
僕の願い…僕の幸せのために…それは、一つだけに決まっている。けど…
ためらっている僕を、ゼルダがまっすぐに見つめる。
何でもいい…それなら…僕は今、言わなければ。僕はどうなってもいい。ただ、心に決めていることを、はっきりと伝えよう。
僕はゼルダから目をそらして、まっすぐに父の方を向いた。
「父上」
「何だ?」
僕は、大きく深呼吸をした。そして、思いきり息を吸った。
「僕を、この少女と結婚させてください」
玉座の間が、しーんと静まりかえった。
気が遠くなるほど時間が経って、父が口を開いた。
「この少女とは、誰のことだ?」
「僕の後ろで縛られている、この絵描きです」
「何じゃと?男ではないのか?」
「この者は女性です。本当はゼルダという名です」
僕の心臓が、すごい速さで鳴っている。後ろを振り返る勇気は全くない。僕はただ、父だけをまっすぐに見つめていた。
「ゼルダじゃと…」
父は指をあごに当てて、少し考え込んだ。
「ブラウン、その昔「名だけでも残したい」と言って亡命した姫の名は何じゃったか」
「ゼルダでございます、王様」
家来のブラウンが、はっきりと答えた。
「なんか知らねえけど、おふくろもばあちゃんもゼルダなんだよな。名前を残したくて代々ゼルダって名付けてた名残なんじゃね?」
後ろにいるゼルダが口を開いて、思わず僕はびくっとした。
父はゆっくりと立ち上がって、歩きながら語りだした。
「300年前に、王家一族は戦でばらばらになり、どうにか残った一家が国を建て直した…しかし、今や他の者は皆死んで、もはや王家の血を引くのはわしと、妃と、フィリップだけじゃ…そして、お前もそうなのかもしれぬ…。しかしお前は今や、ただのみすぼらしい浮浪者じゃ。このような品のない者を息子と結婚させるわけにはいかぬ。釈放してやるから、城を去りたまえ」
「じゃあそのかけら返せよ!」
ゼルダが身を乗り出した。でも、二人の兵がすぐに槍で阻んだ。
「牢に入りたいのか」
「父上!!!」
僕は、今までにないくらい大きな声で叫んでいた。思わず握りしめた手が、ぶるぶる震えている。父が、少しびっくりしたような顔で僕を見た。僕は、もう一度大きく深呼吸をした。
「ゼルダは、僕を本当に励ましていたのです。僕の気持ちを誰よりも分かってくれて、話を何でも聞いてくれて。それで、僕は今日まで生きることができた。豊かな創造力があって、何でもすぐに吸収して、芯が強い…そんな彼女となら…僕は…この国を間違いなく建て直せると思うんです!」
自分でも自分が信じられない。でも、僕の口は止まらなかった。
「彼女は確かに王家一族の生き残りかもしれない。でも、彼女がそうであろうとなかろうと、僕はただ、彼女一人を愛しています。間違いありません、ここでしばらく生活していれば、彼女は立派な姫君になります。僕が将来共に国を作っていく、僕の結婚相手は、僕自身が選んで然りではありませんか!」




父は、僕をじっと見つめていた。僕も周りを見る勇気がなくて、父だけを見つめていた。
かなり長い時間が経って、父はゼルダの方を向いた。
「ゼルダ、息子の願いを叶えるかは、息子の誕生日の一ヶ月前に決める。それまでにおぬしが姫君にふさわしいかどうかを見よう。もしもふさわしくなかったら、元の通り息子をロクサンヌと結婚させるぞ。よいな」
ゼルダは少し黙っていた後、僕の方を向いた。
「フィリップ、王に敬意を表す時はどうするんだ?」
「僕の真似をして」
僕は、ゼルダの横に立った。そして、深々と頭を下げた。ゼルダは、それを真似した。少しぎこちないけど、王家の威厳を、僕は確かに感じた。


そんなわけで、この日からいきなりお城での生活が始まった。まあ、この冬いっぱい過酷な労働をすることもなく口に糊することができるわけだ。それも、これまでにないくらい豪華な食事で。
胸をつぶす必要もなくなった。ドレスが若干窮屈に感じることはあるけど、まあいずれ慣れるだろう。とにかく、性別を偽って暮らすことはなくなった。
私は毎日、王族の人間が知るべきことを次々と勉強させられた。物覚えの早い私は、教師も驚くほど何でも素早く身に付けていった。
言葉遣いや作法も、覚えはするけれどなかなか実践には移れない。何せこんなきれいな口のきき方や振る舞いで生活したことなんて、さらさらない。言葉遣いなんてどうだっていいだろ、こんなのいつまで経っても身に付きゃしないさ…そんなふうにフィリップに弱音を吐いたとき、フィリップは教えてくれた。
「王家の作法や言葉遣いは、窮屈だったり強制されているように思えるかもしれない。でも本当は、自分は国民たちのために尽くす存在であることを示す、思いやりの表れなんだよ。これだけたくさんのことをぐんぐん吸収しているゼルダなら、きっと大丈夫」
思いやり…か。強制されるものじゃなくて。私なら、大丈夫。そう言ってもらえて、私は一層あらゆることを積極的に吸収するようになった。
ロクサンヌは、王のいないところで折に触れて悪口を言ってきた。
「あなたの今の生活なんて、本物のプリンセスの足元にも及ばないわ。生まれながらの貧乏人には間違いなく無理なのよ。王子様の17歳の誕生日、あなたの屍のような顔を見るのが楽しみですわ、オホホホホ」
自分自身プリンセスになったこともないくせに何、根も葉もないこと言ってんだよ。こっちこそ、その日にお前の顔見るの楽しみにしてるぜ。私はあきれるほどしつこいロクサンヌを、根強く無視し続けた。
フィリップは積極的に勉強を手伝ってくれたり、困っているときに助けてくれたりして、慣れないお城の生活の中で誰よりも私を支えてくれた。私がお城で生活するようになって、フィリップの顔は見違えるほど明るくなっていった。何でも進んで取り組むようになって、にっこりとした笑顔まで見せるようになった。家来たちはそれを喜んだ。王はそんなフィリップを、ただ黙って見ていた。

フィリップの17歳の誕生日の一ヶ月前になった。私、フィリップ、妃、将軍とロクサンヌ、家来たち、お城のほとんどの人が、玉座の間に集まった。
「フィリップ。ゼルダ。私の前に出よ」
「はい」
私たちは、はっきりと返事をして王の前に出た。
王は立ち上がり、私の目の前まで歩いてきて、立ち止まった。
「ゼルダ」
私は、王をまっすぐに見つめていた。
「…おぬしには、何と礼を言ったらよいのか。息子の笑顔を見たのは、本当に久しぶりじゃ。いや、息子がこんなにも明るく生き生きとして、強い意思を持っているのを、わしは未だかつて見たことがない。おぬしは、プリンセスとしてはまだ未熟な点も多い。しかし、この4ヶ月、実によくがんばった。おぬしは、ちりぢりになった王家一族の末裔に間違いない。フィリップにふさわしい相手は、おぬしだけじゃ。来月、息子の誕生日に、おぬしを息子と結婚させる」
「王様…」
私は嬉しい気持ちでいっぱいになった。正直、フィリップがいきなり私と結婚すると言い出して本当の性別まで明かされた時は、腰が抜けるほどびっくりした。でも、それがフィリップのただ一つの願いなら、フィリップの一番の支えが私なのなら、私にもフィリップとの結婚以上の願いはない。
王は、フィリップの方を向いた。
「フィリップ。わしはお前にあまりにも多くのことを禁じ、また押し付け過ぎていた。しかし、お前は自分でお前に必要なものを見つけ、お前なりに王子としての自覚をしっかりと持ったのじゃ。わしの過ちによって、お前は苦しんでおり、国民たちにも争いや貧困が絶えなかったのかもしれぬ。国が栄えるには、まず今この国に住んでいる一人一人が幸せにならなければいけないのじゃ。わしも国を治める方針を少しずつ見直していこう。お前なら、間違いなくこの国を建て直せる。フィリップ。お前は、わしの誇りの、たった一人の息子じゃ」
「父上…」
フィリップは、王の首に抱きついて、頬にキスした。そして、わあっと泣き出した。
「これこれ…」
フィリップをなだめる王の目にも、涙が光っているのが見えた。
家来たちも、涙を流していたり喜びを隠せないでいたりしている。将軍とロクサンヌは、いじけたような顔をしていた。

結婚の一週間前、私はずっと気になっていた溜まり場の仲間たちに手紙を出すことにした。王には内緒で、信頼できるアンナという侍女に手紙を預け、溜まり場に置いてきてもらった。手紙には、久々に荒い言葉を使ってこのように書いた。
“溜まり場の仲間たちへ
長い間姿を見せず、本当に申し訳なかった。みんな、この冬は無事に越せたか?
さて、突然だが、俺、改め私は、王子と結婚することになった。性別を偽っていて悪かった。私は女だ。ほんとの名前はゼルダっていうんだ。
ファブリツィオには話したことがあるが、私は城の裏庭で王子に絵を見せて励ましていた。そしたらある日、家来に捕まってよ、でも私の荷物の中から王家の宝の壺のかけらが見つかって。私は王家の末裔だったらしいぜ。この冬は城で修行して、私はそれなりに立派なプリンセスになった。お前らが必死に生きてる中で、暖かい城でぬくぬくしててすまなかったな…。婚礼は今日から7日後だ。城の前で待ってるぜ。
ジャック、改めプリンセス・ゼルダ”

7日後、フィリップと私の婚礼が盛大に行われた。
私たちは、お城の前で国民たちに手を振っていた。でも、思ったより歓声がなくて、むしろざわついているような感じだ。
突然、人混みの中から見覚えのある若い男が身を乗り出した。私が最後に溜まり場でしゃべった、あいつだ。その周りにも、見慣れた顔があった。
「ジャック!お前が男だろうと女だろうと、貧乏絵描きだろうとプリンセスだろうと、お前は俺たちのかけがえない仲間だ!!」
構える守衛たちを制し、私は前に進み出た。
「親愛なるファブリツィオ、仲間たち諸君。わたくしは、いつでもあなたがたと共にあります」
そして、私は親指を立てて、思いきりウィンクした。
観衆にどよめきが起こった。くすっと笑う人たちもいた。
ファブリツィオは、目を輝かせた。そして、拳を突き上げて声を張り上げた。
「プリンセス、万歳!!プリンス、万歳!!!」
周りの仲間たちも負けずに声を張り上げ、その波が瞬く間に広がっていった。
私たちは、きらきらと顔を輝かせる国民たちに、負けない笑顔でいつまでも手を振っていた。




フィリップと私は、新婚旅行という表向きで、数人の家来を従えて私の生まれ故郷を探し当てに行った。この国まで旅してきた記憶をたどり、それほど難なく私たちはその町にたどりついた。あの頃と変わらない貧しい街並みだ。お忍び姿の私たちは、真っ先に教会に向かった。礼拝堂の中には、あの牧師がいた。私は、ゼルダであること、遠くの国の姫君になったことを牧師に話した。
「ゼルダ…立派になったのう…孤児院などに入れようとして、申し訳なかった…」
「先生、もう私のような孤独な子どもが出ないように、この町の子どもたちが、のびのびと幸せに成長できるように、どうぞお使いください」
私はそう言って、手に持っている限りの宝を牧師に渡した。私と牧師は、抱き合って涙を流した。
結婚してそう経たないうちに、意地悪だったロクサンヌが豹変した。話によると、兵の一人と恋に落ちているということだ。どうしてもロクサンヌをどこかの国の王子と結婚させたい父は、あまり好ましく思っていないらしい。私たちは、ロクサンヌの恋が実る手助けを考えることにした。
王はフィリップに寛容になり、フィリップは堂々と趣味に打ち込んだ。新しいうさぎのぬいぐるみを自分で作り、私よりもぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて寝る夜もある。まあ、いいけど。私も立派な絵の具やキャンパスを与えられて、国一の美術家に本格的に絵を習っている。自分の作風も大事にしながら、私は絵の腕をぐんぐんあげていった。ある程度うまくなってきた頃、窓辺に腰かけてうさぎのぬいぐるみを抱くフィリップを描いて、立派な額縁に入れて寝室に飾った。同じく額縁に入れて飾られている、私がこれまでに描いた2枚のフィリップの絵の隣に。
もはや王子を不細工だとうわさする人はいなくなって、国民たちも前より幸せそうになった。国の人口も、少しずつ増えていった。

***

それから10年以上が経って、フィリップは王様に、ゼルダは女王様になりました。
まもなくゼルダは、国の中からファブリツィオとダニーを探し出しました。ファブリツィオは立派なストリートミュージシャンになって、妻と3人の子どもがいました。ファブリツィオは自由気ままに様々なところで演奏する一方、お城のパーティーで演奏したり、王子や王女たちに音楽を教えたりしました。ダニーも国一と呼ばれるほどの手品師になり、お城でもよく自作の手品を披露しました。ダニーは侍女たちにモテモテのようですが、どうやら城で働く一人の若い男性のことが気になっているようです。
ゼルダは、かつて訪れたことのある村に赴き、新婚夫婦が血のついたシーツを掲げる風習をやめさせました。苦しんでいた若い女性たちは抱き合って泣き、男性たちもまた、古いしきたりによって自分の妻や自分自身が抱える苦しみに気づいていきました。
それを始めに、フィリップとゼルダは男女差別をなくすための政策を次々と切り出していきました。徴兵制をなくし、志願兵の制度にして女性の募集も始めたところ、兵は減るどころか、その数が倍近くも増えました。さらに二人は、兵の役割を、外国を侵略するのではなく、国や城を外からの攻撃から守ることだけに限りました。兵を率いる将軍は、ロクサンヌと恋に落ちたあの男でした。その妻として、ロクサンヌは将軍や兵たちを懸命に支えていました。
二人の政策を通して差別や苦しみに気づき始めた国民たちの間で、男女差別をなくそうという動きが広まっていきました。「男女平等は勅命」というスローガンをかかげ、人々は国中を行進しました。国では、様々な人が互いに仲良く暮らすようになりました。ダニーからの申し出もあり、フィリップとゼルダは同性婚の導入も考えています。
国の人口はますます増えていき、エルマルスの壺のかけらが、さらにいくつか見つかりました。フィリップとゼルダは、いつか全てのかけらが見つかる日を夢見ています。
フィリップとゼルダは、どんな時も何事においても、協力し合って国を治めました。フィリップは側女を置くことは決してせず、ただ一人ゼルダだけを愛し続けました。二人は前の王様よりもたくさんの子どもに恵まれました。
フィリップとゼルダは、いつまでも幸せに暮らし続けました。そして、国はいつまでも栄え、いつまでも幸せであり続けました。




あとがき
こんにちは、遠山公子です。「男性解放」をテーマに、今のイギリスや北欧辺りにいた王子様のお話を書いてみました。女性である私が、フィリップの気持ちをどのくらい的確に描写できたかは分かりません。それに、「男性解放がテーマなのに女性差別の問題が大きくフォーカスされてるじゃないか」と思った方もいるかもしれません。でも、男性差別があるところには必ず女性差別もある、そして、女性が虐げられて苦しんでいる時は男性もまた苦しんでいるのだということが伝わればいいなと思います。
「男女平等」「性差別撤廃」と言うと、多くの人が、たくましく戦う女性たちを思い浮かべるでしょう。女性に対する押し付けや軽蔑、束縛をなくすための運動が盛んに行われてきましたが、男性に対するそれらについては、どの程度の人が気づいているでしょうか。「男は力強くなきゃいけない」「泣くもんじゃない」「男なんて人の気持ちが分からない」「かわいいものなんて身に付けるな」…
女性解放と言うと、女性は弱いものと見なされていたので、力強く戦うことでそれを変えていくことができます。「弱い、従順→力強い、自立」という動きは、必然的に強くて大きな動きへとなっていきます。もちろんそれは簡単なプロセスではなく、これまでも莫大な時間を要してきたものですが。一方、男性解放は「強さ」「リーダー」「権威」からの解放であり、ある意味、女性解放のようにシンプルには行けない部分があるのではないでしょうか。これが、女性解放と男性解放について私の思うところです。
しかし、いずれも目的は「性別の固定観念にとらわれず一人一人が自由に自分らしく生きていくこと」であると考えられます。男性解放においても、フィリップのように「自分のやることは自分で決める」という信念が大切なのではないでしょうか。「男だから」と遠慮してしまったり、「男の自分には無理だ」と諦めてしまったり、周りの目を気にしたり…そうして固定観念で自分を縛ったり卑下したりするのは、結局男尊女卑にとどまって無意識のうちに性差別発言をすることや、女性を弱い者扱いすることで自分の立場を守ろうとすることにもつながるだろうと考えられます。もはやそうした振る舞いは、その人を強く見せるどころか、愚かで情けないと思われてしまうだけです。
差別や固定観念の押し付けで傷つき苦しむのは、女性も男性も同じです。本当に性差別の問題をなくすには、これまで女性が助けられてきたのと同じくらい、男性もまた助けられなければいけません。男性解放は女性解放にもつながるし、女性が自由で幸せな時、男性もまた自由で幸せでなければいけません。
フィリップとゼルダのお話を通して、このような視点を少しでも多くの人と共有できたら幸いです。




「王様、また人口が減っております…」
「なんじゃと!?」
王様は、怒りのあまり立ち上がりました。
「わしの努力はいつまで経っても報われん!もう兵隊どもを雇う財源もままならなくなってきておるのだ!どうしても国は豊かにならない、それどころか衰えていく一方だ!おまけに、遅くになってようやく生まれたわしの跡継ぎといったらこの、勉学の知識を何にも生かそうとしない、16にして女と通じたこともない、情けない…」
そう言って王様は、一人息子のフィリップをにらみつけました。王子は、少しうつむきました。
「お前はわしの話が分かっておるのか!来年には結婚を控えているというのに、何事につけても気を引きしめている気配が微塵も見られない!自らの将来と、国の将来を、まともに考えようともしておらぬのか?こんな災い尽くしでは、わしの命も何年続くか分からんわい!」




王様と女王様、フィリップの他に王家の血を引く者はなく、フィリップは17歳の誕生日に将軍の娘、ロクサンヌと結婚することになっていました。
会議は、いつもと同じように良い結論を見ないまま終わりました。フィリップは自分の部屋に戻り、バルコニーに出て遠くを眺めていました。下から、将軍とその娘が話している声が聞こえてきます。
「まったく、勉学もままならなくて女との通じ方も知らない、あんなに情けない王子様と結婚なんて、嫌になってしまいますわ。おまけに見た目もかなり醜い…」
「ロクサンヌ、口を慎みなさい!…しかし、困った王子様であることは確かだ」
フィリップは、彼らの方には見向きもせず、ぼんやりと遠くを眺めていました。

お城のそばの草むらに、貧乏画家の少女が寝そべっていました。
彼女は幼いときに両親を亡くし、絵描きや日雇い労働をしながら、国境を越えて放浪生活をしています。売春には手を出さず、ジャックと名乗って少年として生きていました。
ジャックは起き上がって辺りを見回しました。そして、お城のバルコニーにフィリップを見つけました。
ジャックは、この国の王族を見るのははじめてです。お城の庭の柵のところまで歩いていき、柵越しにフィリップを眺めました。
国民たちのうわさによれば、フィリップ王子の顔立ちは決して美しいものではありませんでした。しかしジャックは、物憂げなフィリップの瞳の中に、不思議な美しさを見出していました。
「きれいな王子だな…」
そうつぶやくや否や、ジャックは持ち物からスケッチと鉛筆を取り出しました。
ジャックはその場に座り込み、夢中で何か描き始めました。書き終わると、紙をささっと飛行機のように折りました。
風のタイミングを見計らって、ジャックは紙飛行機をフィリップのもとに向けて飛ばしました。紙飛行機はくねくねと舞いながらも、見事に王子様の足元に着地しました。それを見届けると、ジャックはその場をそそくさと去りました。
フィリップは紙飛行機に気づくと、それを拾い上げました。紙の端に「フィリップ王子へ」と書いてありました。開いてみると、そこにはフィリップのスケッチがあり、右下に「ジャック」と描いてありました。フィリップは少し目を見開くと、すぐに辺りを見回しました。でも、夕方近いお城の周りには、人影一つ見えません。フィリップは再び視線を落とし、その絵をしばらく眺めていました。

***

あれから何日かして、私はまたお城のところまで来てみた。
それにしても、なんだか不思議な雰囲気の王子だった。遠くから見ただけだったけど。
あの日、王子がいたバルコニーを見上げてみたけど、王子は見当たらない。
私は庭の柵越しに、改めてお城全体を眺めてみた。こっちから見ると裏側なわけだけど、派手すぎずなかなかきれいなお城だ。
私はいくつかの国を旅してきたけど、こんな間近でお城を見たことはない。
眺めていたら、なんだかお城を描いてみたくなってきた。私はこの前みたいにしゃがみこんで、スケッチを開いた。
そういえば、こんなに大きなものを描くのは、はじめてかもしれない。大きなものの全体を見ながら描くのは、なかなか難しいものだ。まず、ざっくりした形を描いて、少しずつデッサンをきれいに入れていく。私は改めてお城の大きさに圧倒されながら、夢中で鉛筆を動かし続けた。

どのくらい時がたっただろうか。不意に、人の気配を感じた。思わず見上げると、柵の向こうに王子が立っていた。
「あ…どうも…あ、別に、怪しいものじゃないぜ」
私はそう言って手を振った。
「……あなたがジャックですか?」
「へ…?あ!」
なんで名前を知ってるのかと思ったら、そういえば王子のスケッチの右下に名前を書いていた。
「あ…まあ、そうだな」
王子はそこに立ったまま、私を見つめていた。
うわあ、こんな近くで王族の人を見るなんて…。私も王子の顔を見つめた。王家らしい凛々しい顔では決してないけれど、瞳がすごくきれいだ。
「あの絵、なかなかお上手ですね」
「あ、いやあ、どうも」
私は思わず頭をかいた。
「今度は何を書いているのですか?」
「え、お城」
ちょっとまだ見せる自信がなくて、私は膝にかかえてるスケッチを若干隠した。
「城ですか…そう簡単に描けるものではありませんよ」




「む、難しいからチャレンジしてんだよ」
「ついでに言うと、僕の姿だって簡単に描けるものではありませんけれど」
「何だっ、ずいぶん高飛車な口をきく王子だなぁ」
「あなたこそ、王子に口をきいているとは思えませんね」
王子はそう言って、微笑を浮かべた。
「私…俺に、そんなきれいな言葉を教えてくれる人なんていなかったのさ。言葉の荒いやつらのもとで日雇いの仕事にありつく生活さ」
私はあぐらをかいた。
「それか、こうして絵を描いて売るか…」
そう言って私はスケッチを見下ろした。
王子はしゃがんで、柵越しにお城のスケッチをのぞきこんだ。でも、それには何もコメントをしなかった。多分、思いのほかうまいから何も言えないんだろう。
「住むところがないのですか?」
「ああ、家なんてないさ。いろんな国を放浪してたけど、最近は日雇い労働仲間ができたから、今は一応この国に落ち着いてるかな」
「放浪仲間ですか」
「そ、の、と、お、り!」
私はでかい声で叫んで、片膝を立てた。
「あまり大きな声を出さない方が良いですよ。お城の者に見つかってしまいます」
王子はそう言って立ち上がった。
「そろそろ夕食の時間なので、僕は行かなければなりません。では…」
「王子、名前は何て言うんだ?」
私は、すくっと立ち上がった。
「僕はフィリップです。この国の“住人”として、覚えておいてくださいね」
王子はまた微笑を浮かべた。そして、くるりと背中を向けて去っていった。
「フィリップ…」
私は、わけもなくつぶやいて、空を見上げた。
夕暮れの空に、茶色の落ち葉が舞う。まだ秋になったばかりだというのに、この頃寒くなってきたな。私は少し身震いした。
 私は、あの日にフィリップがいたバルコニーに目をやった。当然、誰もいない。みんなごはんを食べているんだろう。暖かい大きな部屋で、立派な料理を…。
 王家の暮らし。何にも不自由なく、全てに恵まれている。寒さに震えることもなく、パンを得るために必死で働くこともない。でも、それならどうしてフィリップは、あんな物憂げな顔をしているんだろう。

 私は、片手をポケットに突っ込んで町を歩いていた。昨日の仕事で結構稼いだから、それで2,3日は生きていけそうだ。
 まったくこの国はひどいもんだ。女をまるで性奴隷のように扱う。男は体力があって勇敢で、女とたくさん交わっているほどかっこいい。どいつもこいつも、何人の処女を頂戴したかが自慢話さ。こないだ仕事で行った村なんて、新婚夫婦は結婚した翌日に、嫁が処女であったことを示すために血のついたシーツを家の前に掲げる風習があった。
「俺の嫁もちゃ~んと処女だったぜ。俺は結婚までに15人とやったけどな!」
そう言って、通りがかりの家の前にいた男は高らかに笑った。
「おう」
そう言いながら、私は夫の脇でうつむいている乙女を見ていた。
フィリップだったら、こんなばかげた風習に何て言うだろうな…なぜだか私はフィリップの顔を思い出して、街中の狭い空を見上げていた。


「フィリップ、結婚前に一人ぐらいやっておきなさい。わしの側女の中から選んでもよいぞ」
父の脇には、たくさんの若くて華やかな女性たちがいて、みんな媚いるような目でこちらを見ていた。
「さすが王様、愛するご子息のため、器が大きいですなあ」
年配の家来がそう言って、僕の方を向いてにっこりした。僕は父の座っている玉座を前にして、ただ黙っていた。
「フィリップ、女に興味はないのか?」
父は立ち上がって、こちらの方に歩いてきた。
「この国の跡継ぎが生まれぬぞ。まさか同性愛者などではあるまいな?」
「違います、僕は…」
「んん?」
父は、僕の顔をのぞきこんだ。
「僕は…男にも女にも興味がありません…」
「馬鹿者!いい年をしよって」
父は、右手で僕のあごをぐいと引き上げた。
「お前が女に興味がないのは、この国に未来がないも同然だ。女を制し子を作り、国を治め栄えさせていく、それこそが王位を継ぐ者の使命じゃ。それをしようとしないのなら、お前は生きていて意味がないも同然だ!いいか、お前の好き勝手な気持ちですむものではない。王子として、来年の春には結婚を控えている身として、よくよく考えなさい」
「…」
「分かったか!?」
「…はい」
僕は、父の顔を見て仕方なく返事をした。
側女たちのすぐ横には、将軍とその娘ロクサンヌがいた。ロクサンヌは扇子を片手に、少しあきれたように笑みを浮かべてこちらを見ていた。


畜生、畜生。ふん、気にするもんか。
今日はいつもより肉体労働だった。ひたすら思い荷物を運ぶ仕事だ。みんなで士気をあげているうちに、筋肉の自慢し合いが始まった。
「俺の体力なめんなよ!ほら見ろ!何もないように見えてこんなに鍛えてんだよ!」
前から仕事仲間のファブリツィオはそういうや否や、荷物を置いてシャツを脱いだ。
「本当に何もないな!俺の体を見りゃ分かる!」
赤い髪のそばかす男も続いて服を脱ぎ、腕を曲げて見せた。
「はぁ、そんなんで自慢なんかできるかよ?見ろよ!」
黒髪の日焼けした男も服を脱ぎ、胸を張って腕を曲げた。二の腕が隆々と盛り上がる。
「なんだ?俺の方がすごいじゃねえかよ」
「俺の方がすごいだろ!」
そばかす男と日焼け男がにらみ合った。今にも取っ組み合いが始まりそうで、周りにいる男たちも盛り上がっている。私は思わず3人の筋肉を眺めていた。
「ジャックもぼけっとしてねえで筋肉見せろ!」
…。
「ぼけっとなんかしてねえよ!」
ためらってはいられず、私はすかさずシャツを脱いだ。
胸をつぶすために布を撒いているけど、私だってそれなりに引き締まっている。
「なんだ、お前。胸に怪我でもしてんのか?」
日焼け男が、間の抜けたような顔をした。
「お前…まさか女なのか?」
そばかす男がそう言うと、周りの男たちはヒューヒューと口笛を吹いた。
「男だよ!」
「嘘つけ!女だ女!」
「男たちの癒しにもう一枚脱いでみろ!」
「強がって隠してるオッパイ見せろ!」
周りの男たちは、ますます激しく口笛を吹いた。ファブリツィオだけが黙っている。
「うるっせえ!!俺が男だと言ったら男なんだよ!怪我してようが何だろうが、荷物運べりゃ構わねえよ!くだらねえ話にうつつ抜かして、お前らの給料全部俺によこす気か?なら喜んでいただきだぜ!!」
私はそばかす男が持っていた麻袋と、日焼け男が持っていた木箱を持ち上げた。




「売春して大金稼いでろ貧乏女!」
2人の男は、すかさず私から荷物を奪い返した。
「男だっつってんだろ!!」
「おいお前ら何やってんだ!さっさと運べ!」
雇い主が鞭を持ってやって来て、男たちは途端に静かになり、そそくさと荷物を運んでいった。

「どぅあー!!」
私はため息をついて、お城のそばの草むらに寝そべった。
別にお城が好きなわけではない。たまたまここの草むらが気持ちいいだけだ。
お城の庭の方から、女たちのキャピキャピした声が聞こえてきた。私は寝そべったまま、そちらの方に目を向けた。
「ロクサンヌ様、将軍のお嬢様とだけあって、武術を身につけておられるのですか?」
「また、とんでもないお冗談を!」
ロクサンヌと呼ばれた、ひときわ立派なドレスを着た女がそう言って、女たちは高らかに笑った。
「王様と言ったら、一年くらい前に私のところにお入りになっただけで、それ以来全くいらっしゃらないの」
「あらぁ、わたくしなんて先月お城に召されたのに昨日でもう9回目よ、オホホホ」
「私なんて、数えておりませんわ」
「まあ、お年を召しても、盛んな王様でございますわね」
ロクサンヌがそう言って、女たちはさらに高らかにオホホと笑った。
「それに対して、私が嫁ぐ王子様と言ったら…」
ロクサンヌが、あきれた顔をした。
「全く情けないわよねえ。王様の深いご慈悲にも関わらず、こんなに美しいわたくしにも目をくれないなんて」
側女の一人が言った。
「あら、まずお目をかけられるとしたら私よ」
「私ですわよ。嫡子でなくていいから、王族の子どもが産んでみたいですわあ」
「まあ、あの醜いお顔はちょっと嫌ですけれどねえ。でも、姫君に、そしていずれは女王になれるというのなら、父がますます豊かな将軍になれるというのなら、あのような男に抱かれるのも、私は一向に構いませんわよ~オホホホホ」
「ロクサンヌ様、うらやましいですわ~」
大体の話は分かった。ロクサンヌというのは将軍の娘で、フィリップの婚約者だ。そして、他の女たちは王の側女で、フィリップと床を共にすることまで考えている。フィリップもまた、王や周りの人たちに、たくさんの女と寝ることを勧められているのだろうか。
私は、不意に起き上がった。その物音で女たちが私に気づいたんじゃないかと思って振り返ったけど、女たちは少し離れたところに行っていた。
私は下を向いた。はじめて見た王子の顔が思い浮かんできた。あの物憂げな目。その理由が、何となく分かるような気がした。そして、あの憎らしい女どもが思い浮かんだ。
私は、ただの貧乏絵描きに過ぎない。王家のことに思いを馳せる資格などない。
「うわあぁ…」
思わず私は泣き出した。うずくまって草をむしり、わけもなくいつまでも泣き続けた。

「ジャック、今日の稼ぎはどうだ?」
「今日は3枚売れたよ。お前は?」
「なんだ、絵描いてたのか。俺は全然だよ。あんだけ頑張って働いたのにこれっぽちだ」
ファブリツィオはそう言ってパンが3つほど入った袋を掲げた。
「まだましじゃねえか。俺なんて雇い主に騙されて給料が予想の半分より少なかったぜ」
ダニーはそう言って、手に持っている小さなパンをかじった。
 私たちはこの橋の下を溜まり場にして、好きなときに集まって食ったり寝たりしている。日によって来る人はまちまちだけど、大体全部で7人にも満たないだろうか。今日は少なくて、一番仲良しの3人組だけだ。
 ファブリツィオは日雇いの他に音楽で生計を立てている。一つの体でたくさんの楽器を操る様はなかなか人気らしい。本人が言うには。
 ダニーは主に手品で生計を立てている。本人談ではそこそこうまいらしいけど、収入は結構不安定で、上達するために熱心に手品の研究をしている。
「お前、半分食えよ」
ファブリツィオはパンを1つ取り出してちぎり、ダニーに渡した。
「ありがとう」
「そういう日もあるさ。ジャックも食えよ」
ファブリツィオは残りの半分をこちらに差し出した。
「俺はいいよ。一日遊んでたようなもんさ」
「そう言ってねえで。腹減ってんだろ」
「…ありがとう」
私はパンを受け取ってかじった。
「日雇いで生きてくのも大変だよな。たとえ食うためといっても、どうしても働く気がしねえ日だってあるさ」
私はパンをほおばりながらそう言った。
「だよな。暗くなってきたから火たこうぜ、ジャック」
「おう、任しとけ」
私は、ウィンクして親指を立てた。近くから枝を拾ってきて、火をつける。
「お前、火起こすのうまくなってきたな」
寝そべっているファブリツィオが葉巻を吹かしながら言った。
「お前の葉巻ぶちこめば一瞬で火がつくのによ」
「何を。葉巻は吸うもんだ」
そう言ってファブリツィオはもう一服したけど、結局たき火の中に葉巻を放り込んだ。
「寒くなってきたよなあ。火が恋しくなってきたぜ」
ダニーは身震いして、火の前で手を擦り合わせた。
「なあダニー、この国の王子は不細工なのか?」
私はさりげなく聞いてみた。ダニーはこの国の生まれ育ちだ。
「知らねえ。まだ顔見たことねえんだよな」
「俺は見たことあるぜ。王子の顔も、王と女王の顔も」
「まじかよ?」
私は自慢げな顔をしているファブリツィオの方を振り向いた。ファブリツィオも私と同じく他の国から来てるけど、大分長くいるらしい。私は王と女王の顔はまだ見たことがなかった。
「目がちっちゃいけど、くりっとした瞳の王と、目が大きくてそこそこ美人だけど、うつろぎみな顔の女王。王子はその悪いとこ取りなのさ。自分でも顔を気にしてんのか、なかなか姿を見せねえけど」
「ふーん」
「それに、噂によるとずいぶん高飛車な口をきくらしい。まったくこの国の将来が楽しみだぜ」
ダニーがサイコロを手の中で転がしながらつぶやいた。
「国がどうなろうが、俺たちは俺たちだ。こうやって楽しく生きてくのさ」
ファブリツィオがそう言って、もう一本の葉巻に火をつけた。
「葉巻吸うなんてお前、ずいぶん金持ちだな」
「金持ちじゃねえよ、自分で作ってんだ。それも“なんちゃって”だよ。ジャックもやるか」
「いらねえ。どうせまずいだろ」
私は笑って、寝っ転がった。
「ちっ」
ファブリツィオは、焦げた葉っぱの香りの煙をふーっと吹いた。
「ジャック、王子のこと、なんか気になってたのか」
ファブリツィオが葉巻をたき火に放り込んで、こちらを向いた。
「や、みんな不細工だって話してるからさ」
「お前、王子と自分どっちがかっこいいか比べたいってか?」
ダニーが、にやにやして私の肩を抱いた。
「そりゃ…俺の方がかっこいいに決まってんだろ」
私はそう言って前髪を撫でた。
「おらおら自惚れやがって~」
ファブリツィオとダニーが私をつっついた。




スケッチを見返していて、私はお城を描き途中だったことに気づいた。
今日は朝だけ仕事をして、軽い昼ごはんを済ませるとお城に向かった。
いつもの場所に来てしゃがみこみ、私はスケッチブックを開いた。

「続きを描いているのですか?」
不意に声がして、私は手を止めて顔を上げた。
フィリップが私を見下ろして、笑みを浮かべていた。
「なあフィリップ、みんなお前のことが不細工だって言うんだよ」
途端に、フィリップの顔が曇った。
私は、フィリップの顔をのぞきこんだ。
「…そんなに…じっくり見ないでください」
「だって…」
私はちょっと目をそらしたけど、またフィリップに向き直った。
「私はそう思わない!」
フィリップが「え?」という顔でこちらを見た。
「フィリップは、すごくきれいな目をしてる…私には最初から見えて…あっ」
私は、両手で口をふさいだ。自分のことを「私」と言っていたのだ。
「お前の言う通り、お前を描くのは本当に難しいよ。その瞳の美しさは、この腕にも敵わない…」
私は立ち上がって、フィリップの瞳を見つめた。
「…醜いから描くのが難しいだろうという意味だったんです。僕は見た目も良くないし、口も悪い…」
「悪い人間だったら、そんなきれいな瞳をしてないさ」
私は思わず身を乗り出した。
「僕などは…」
「フィリップ、この絵今すぐ完成させるからさ、ちょっと待っててよ」
私は、さっとしゃがんで、全速力で鉛筆を動かした。フィリップはその間、待ってくれていた。
「おまたせ!」
私は柵の隙間から、スケッチを差し入れた。フィリップは受け取って、私のスケッチをじっと見つめた。フィリップの目が、少し見開いた。
お城のバルコニーから、フィリップが両手を広げて白い鳩をいっぱい飛ばしている。それを優しく包み込むかのように、天から太陽の光が注ぎ、虹がかかっている。一色の鉛筆で、私は精一杯それを描いた。そのまましばらく眺めていた後、フィリップはスケッチを私に返した。
「ありがとう」
フィリップは微笑んだ。これまでの、なんだか蔑むような笑みとは違う。自然に、心から微笑んでくれている。
「フィリップ…」
私は改めてフィリップの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「私は…女だ。襲われるのや身売りをするのが嫌で、男として生きてるんだ。ジャックじゃない…本当の名前は…ゼルダ」
「ゼルダ…」
フィリップも私に負けないくらい、私をじっと見つめた。
「ゼルダ…ありがとう」
「私こそ…ありがとう」
何がありがとうなのか、自分でもよく分からない。
「ゼルダ、またあなたの絵が見たい。また…ここに来てください」
「もちろんさ」
私は柵をつかんで、フィリップに微笑んだ。

私は、仕事がない午後には、お城に出かけていった。私が行くと、大体の時はフィリップがいた。私はひたすら明るい絵を描いて、フィリップに見せ続けた。
フィリップは私の絵についてはほとんど何も語らなかった。ただ絵をじっと眺めて、「ありがとう」と言って私に返した。
私は、その「ありがとう」の微笑みだけで十分に元気をもらえた。そして、私の絵もまたフィリップに少しでも励ましになっていてほしかった。
こうして、働いて食べて、溜まり場で仲間とふざけ合って、絵を描いてお城に行く日々が続いた。
私にとってこれまでにない寒さにちょっと不安を覚えてきたし、お腹が満たされることなんて滅多にないけど、男としてバリバリ働いて、仲間とじゃれ合って生きていくのはなかなか愉快だった。あの筋肉自慢し合いの日のことで、ファブリツィオは何も言ってこなかった。


一日が終わって、僕は自分の部屋に戻った。着替えて、すぐにベッドにもぐりこむ。布団の中に隠していたうさぎのぬいぐるみを出して、久しぶりに抱きしめてみた。
僕が10歳になった頃、もうぬいぐるみは捨てろと父に言われた。小さい頃から大事にしているものを、そんなに簡単に捨てることはできない。他の動物のぬいぐるみは召し使いたちが捨ててしまって、その時たまたま他のところにあったこのうさぎのぬいぐるみだけが残っている。でも、僕は昔から人形遊びが大好きだったから、1つのぬいぐるみだけだと正直ちょっとさみしい。さすがに16年も持っていると、ところどころほつれたり、穴が開いたりしてくる。その度に自分で縫い直して、大切にしてきた。僕は裁縫も好きだ。僕の趣味に唯一理解を示してくれる侍女のアンナから裁縫道具をもらって、洋服や小物を縫い直したり、こっそり飾りをつけたりしている。
今日も食事中、父にお前は本当にだめだと言われ続けた。せっかく得た勉学の知識を何にも使おうとしない、なんとか馬には乗れるくらいで武術もろくに身に付かない、顔も父とは違って不細工…お前はでき損ないだとまで言われた。おかげで食事が半分も食べられなくて、もうお腹が空いてきた。
 僕はぬいぐるみをもう一度ぎゅっと抱きしめて、天井を見上げた。なんで男だからと行って、強かったり、かっこよかったり、色好みだったりしなきゃいけないんだろう。なんで裁縫や人形遊びが好きではいけないの?やりたいことをやって、やりたくないことはやらなくて、何がいけないんだろう?僕が変なのかな。本当に僕は、でき損ないなの?神様は、どうしてこんな僕を王子なんかに生まれさせたの…?
このお城の中には、僕に優しくしてくれる人たちも何人かいる。アンナのように、僕の気持ちを理解しようとしたり、話を聞いたりしてくれる人はいる。だから、何とか毎日を過ごせている。でも、僕は、本当に言いたいことを、心の底に眠っている気持ちを、お城の中の誰にも話せないでいる。
だからといって、僕がお城を逃げ出して生きていくなんて、想像できない。ゼルダみたいに、放浪しながら生きていくんだろうか?そんなの、できっこない。
明日の行方も分からないのに、ゼルダはすごく生き生きとしていて、彼女の描く絵はとても明るい。彼女の絵を見ると、なぜだか元気がわいてくる。
ゼルダ…彼女なら、僕の本当の気持ちを聞いてくれるのかな…?
ゼルダに出会ってから、自分の生活に対する疑問や、なんだか納得がいかない気持ちが、僕の心の中に増してきていた。


私はわけもなく、お城の柵に寄りかかって腰を下ろしていた。
なんだか今日は絵を描く気がしない。そもそも木枯らしがいつもより強くて、紙が飛んでいってしまいそうだ。
空を見上げて腕をこすっていると、サクッサクッと足音が聞こえてきた。
私は振り向いた。フィリップがこちらの方にやって来る。
「フィリップ?」
フィリップは、いつもより格段に暗い顔をしていた。
「捨てられた…ぬいぐるみを」
「ほ?」
「大切にしていた、最後の一個を…」
フィリップは、私の前で崩れ落ちた。
「小さい頃から、ずっと大事にしていた…」
フィリップは、両手で柵をつかんだ。両目に涙があふれている。なんだか、心の中に焦りのようなものが出てきた。フィリップは、嗚咽をもらして泣き出した。何を言っていいのか、何をすべきなのか、全く分からない。
「どうして…ぬいぐるみを大切にしていちゃいけないの…なんで…王子だからって…男だからって…こんなにたくさんのことを押し付けられなきゃいけないの…どうして僕は…王子なんかに生まれたの…」
私はただ、口をあんぐり開けてフィリップを見つめていた。
「みんな僕を“国の将来を担う立派な人”としか見ていない…立派なことばかりするように仕向けられて…女たちには、“この人の寵愛を受ければ王族の子どもが産める”としか思われてない…それでも自分は、いざ人と話すとなると“権威”にしがみついて…」
柵をつかんで泣いているフィリップが、まるで牢屋に閉じ込められている人のように見えてきた。
「フィリップ、私も聞きたい。なんでフィリップは、こんな中身も外身も汚い貧乏人に、そんなに素直な気持ちを話してくれるのさ」
フィリップは、涙をこぼしながら私の顔をまっすぐに見つめた。
「ゼルダ…あなたは、はじめて僕を一人の人間として見てくれた…“王子”としてではなく…“男”としてでもなく…」
一瞬、フィリップの言うことの意味が分からなかったけど、はっとした。王子だって、一人の人間だ。何となく頭では分かっていたのかもしれないけど、何となくフィリップを“王子”という枠に当てはめて見ていたのかもしれない。フィリップの私に真剣に語りかける瞳は、私ら貧乏人と全く同じだ。ファブリツィオが音楽を奏でる時の表情、ダニーが試行錯誤しながら手品の研究をする真剣な眼差し、そして…私が懸命に絵を描いている時も、同じような瞳をしているのだろう。
私は柵から手を伸ばしてフィリップの背中に触れた。そして、もう一方の手も伸ばして、フィリップの肩を抱いた。見たこともないような立派な服を着ているけれど、私がいつもつるんでいる仲間たちと同じように、温かい。
「フィリップ、今ほんとに分かったよ。貧乏人も王子も、同じ人間だ。同じように、泣いて、笑って、食べて、悩んで、一生懸命生きている」
「もう、生きているのが嫌だ…」
今にも消えそうな、か細い声だ。フィリップは顔をぐしゃぐしゃにして、涙をぼろぼろこぼした。
「フィリップ…私には、こうして柵の向こうから話したり、絵を見せたりすることしかできない。それも、働きながらだから毎日ではないし。それに、こんな寒いところで暮らすのははじめてだから、この冬で死んじまうかもしれないぜ」
半分冗談だったけれど、フィリップは、はっと顔を上げた。
「ゼルダ…」
フィリップは、柵の向こうからそっと手を伸ばした。そして、私の頬に触れた。
「でもさ、こうやって、少しでもフィリップの生きる希望になってるんなら、それだけで私は嬉しいさ」
私がフィリップを温かいと感じたように、フィリップも今私のぬくもりを感じているはずだ。
「大丈夫。死にやしねえよ。少なくともあんたの心から消えたりはしない。私の心の中にも、いつもあんたがいるよ」
私は、頬に触れているフィリップの手を取り、両手で包みこんだ。
「そして、決して手離さない。今も、これからも、ずっと」
「僕も…絶対に離さない…」
私はフィリップの手にキスした。そして、いつまでも握り続けていた。



この教会で感謝すること、よかったこと…考えようとすると、頭が硬直するばかりです。

私は両親に虐待を受けて育ちました。教会も居づらくて悩んでいました。「牧師の子どもはやっぱり大変よねー」そんな言葉では済まされないくらい、当事者の傷は深いのです。

体罰、心理的虐待…しかし最も許せないのは、父からのセクハラでした。皆さんにとって最も聞きたくないことだと思いますが、本当にあったことで、最も許せないことです。
父には9歳の時、胸がふくらんできたことをからかわれました。その後も嫌らしく感じられる言動がたくさんあり、元々体罰を受けていた恐怖もあって「嫌だ」と言えなかった私は無言で父を避けるようになりました。そのことでまた叱られ続け、母も私の気持ちを全く理解しませんでした。私の態度のことで両親に嫌がらせを受け続け、父は教会で笑いの種にもしました。皆さんは何も考えずに笑っていらっしゃいました。今に至るまで父は私にアイコンタクトや「普通に」しゃべることや、笑顔を見せることまで執拗に求め続けています。父の視線にも支配欲や威圧感などを感じ、ものすごく気持ち悪いです。セクハラを受けてきたので、視線やむやみに話しかけられるのも、私にとっては体を触られるのと同じです。

私が家や教会で地味な服ばかり着ておとなしくしていたのは、父のセクハラが大きな理由です。私の振る舞いを不可解に思っていらした方もいらっしゃると思います。でもそれには全うな理由があったんです。

父も母も、セクハラだとは全く思っていません。親としての愛情だと思い込んでおり、私の認識がおかしいと言うばかりです。「悪霊がいる」「正しい信仰を持て」などと何度も言われてきました。自分の気持ちを圧し殺しふしだらになることが「正しい信仰」なのでしょうかね。

両親は口では男女平等を唱えつつ、男尊女卑がとても根強く残っています。家でも教会でも事実上父が頂点に立ち、父の上に立って父を諭したりする人がいません。父が神様になってしまっているのです。

父にはそのような扱いを受け、母にも冷淡な言葉を浴びせられたり卑怯な扱いをされ、私は家の中で、教会で、ぼろぼろに傷つけられていました。一方で教会に来る人たちが次々と結婚し自分の家庭を築き、幸せそうにしてみんなにちやほやされていて。私はいつまで耐えてなきゃいけないのか。私だって早くここを出て自分の世界で生きていきたい、自分の家庭を持ちたい…。私の心境になんて誰も見向きもしませんでしたね。皆さんは悪くありません。私が話さないのだから。話したところで親に抑圧されるし、そんな親が牧師の教会に通っている人たちの中で分かってくれる人がいるのか分からなかったから。

教会が居づらいと思うきっかけになったことは、他にもいくつかあります。子どもの頃、私の話し方や振る舞いをおもしろがって真似して、みんなに笑われるということが何度かありました。いつかいとこも同じことをされて泣いていました。母にそれが嫌だったと話しても、「会話の中で普通にあることでしょ」「つんけんしてるんじゃない」と門前払いされました。その頃私に対してそのようなことをした大人の人たちは今はだいぶ他の教会に移られましたが、こうして子どもの気持ちを軽んじる大人の人たちがいることは絶対に許せません。

また、中学3年の終わりに皆さんと気持ちのすれ違いができたように感じたことも、居づらいとはっきり感じる大きなきっかけになりました。高校に受かった頃、私は他の悩みで幸せに浸っているどころではありませんでした。その年度は震災や放射能に怯え続け、東京に大地震がいつ来てもおかしくないと言われ続け、受験の大事な時期に望まぬ片想いをしてその気持ちがあやふやになって…これも、正直な自分の気持ちを皆さんに伝えなかった私のせいです。「大変な」受験が終わって志望校に受かった人は、幸せいっぱいで毎日を過ごしていると思い込むのが、自然なことなのだろうと思います。でも幼い私は、そこから大人の方々との気持ちのすれ違いをはっきりと感じるようになっていきました。

その後、大人の交わりには嫌気がさしていましたが、子どもの面倒を見るのは元から好きで、教師をしていることもあって子どもたちとの交わりはずっと楽しませてもらっていました。「誰々にあいさつしなさい」「ちゃんと○○するんです」と母に言われ続け、「大人の交わり」には嫌気がさす一方でした。

しかし、皆さまは私のためにずっと祈り続け応援してくださっているということ、教会の大人の方々=親ではないということに気づき始め、「教会」と一括りにしないで、教会にいらしている大人の方々お一人お一人との会話を大切にしようと思うようになりました。また、大学生になってクリスチャン学生の集まりに参加するようになり、様々な教会の存在を知って、この教会もキリストの体の一部なのであり、私に対して絶対権力を振るうものではないと気づきました。

それらのことで、かなり気持ちが楽になりました。相変わらず親のことで屈辱や居づらさを感じ、早くここを出たいとは思い続けていましたが…

この教会で皆さんにしていただいたこと、感謝することは、数限りなくあります。親からは食べ物やお金は十分に与えられてきたし、お出かけに連れていってもらったり、おもちゃを買ってもらったりしてきました。そのことを振りかざされてきましたが…

だから、親や皆さんにどう振る舞えばいいかや、距離感がよく分かりません。ただ、虐待など悪いことが隠されたり肯定されたりしてしまうような行動は、絶対にとりたくありません。私は既にSNS上など様々な場で、匿名で自分の経験を告発しています。

子どもには体罰が必要だと唱え、「小6までげんこつ」なんて恥ずかしいことを週報に書く教会。家庭の中で理不尽に権力を振るい、「妻の方が年上」「酒を飲む」など周りの人たちを次々と裁き、何もかも「両親ともいる」自分の家庭を正当化する根拠にしようとする父親。妻に当たり散らし息子に強くなることを強要し娘にセクハラして何とも思わない父親。そんな凶悪な人間が牧師をしている教会に、それでも通い続けるのか。私に言わせれば、そのような感じです。あまりにもひどいので、名指しでの告発も考えました。でも、みんなが加害者の糾弾や非難ばかりに走ってほしくはないと思っています。問題をなくし、社会をより良く変えていくのが私のビジョンであるから。

この手紙は教会の皆さんに当てているものですが、皆さんには直接お見せしません。辛いですが、私が出席した最後の礼拝での証でも、これら一切のことを話しませんでした。隠していて、綺麗事しか話さないことが、嘘をついているようで本当に苦しいです。でも、この皆さんに混乱をもたらしたくありません。皆さんのショックを受けたり悲しんだりしている顔を見たくありません。しかし、この教会を離れていった人たちの中には、何かがおかしいと感づいて離れた人もいるのではないかと思います。私と同じく傷つけられて去っていった人たちもいるかもしれません。父はそのような都合の悪い人たちに関して「サタンがついている」などと言っていますが。

親は、教会を訪れる人たちが「お宅のお子さんたちは素晴らしいですね、ご両親が立派な教育をされているのですね、たくさん愛情を注いだおかげです」と言っていたとしょっちゅう話してきます。最後の礼拝の後、私に「ご両親に心配かけないようにね」とおっしゃった方もいらっしゃいましたね。そばで母が笑っていました。そのような発言が、子どもにとってどれだけの暴力になるかなど、考えも寄りませんよね。

もう、この地で二度と誰も傷つかないでほしい。願わくば、私が最後であり、最も傷ついた人間であってほしい。いや、誰一人微塵も傷ついてほしくない。自傷や自殺もさんざん考えました。歌舞伎町なんてご近所です。いっそ性的尊厳なんか放り出して家出して売春しながら生きていくことなんて、すごく簡単なことでした。私を好いてくれる人たちがいたり、小説を書いて自分の世界観を持っていたりしたことなど、たくさん歯止めになることがあり、それらを実践しようとするまでには至らなかったのですが、やはり最も支えになったのは、神様を知っていることでした。「信仰を持てたのは親のおかげだよね」ですって?クリスチャンの学生団体に出会っていなかったら、ほぼ間違いなく信仰を捨てていたと思います。性差別や暴力やセクハラを正当化する宗教なんて、絶対に信じたくありません。

クリスチャンの学生団体のおかげで、相談機関以外のところでも、SNSでも親のことを詳しく話せるようになりました。たくさん祈ってもらってきました。今もたくさんの仲間が祈り、支えてくれています。そうして闇の世界には手を染めず、光の道を歩み続けていたら、引っ越したい町や就職先など次々と道が開け、友達とご飯に行ったり泊まり込みのアルバイトに出会えたりと、親元から離れる道が健全な形で少しずつ与えられていきました。

ここまで生きてきた私は本当に偉いと思うし、両親にはぼろぼろにされてきけど、ここまで守り導いてくださった神様に本当に感謝します。

新しい地で、私にぴったりで、私の気持ちを理解してくださる教会や友達、夫に出会えると確信しています。今まで圧し殺されてぼろぼろにされてきた分、いやその何倍も、この教会の方々で結婚して幸せそうにしていた人たちの誰よりも、幸せになります。男女関係や親子関係などを利用して性差別や虐待やセクハラを正当化する社会を、必ず変えてみせます。本当に幸せな家庭を築きます。結婚式には親も親戚も皆さんもお呼びせず、嫌な気持ちをみんなでシャボン玉で「バブルオフ」します。

この地から、この教会から、完全に離れさせてください。皆さんのことを嫌っているわけでは決してありません。傷を癒す時間を、たくさんください。

何十年かしたら、またこの地を訪れたいと思います。ありとあらゆる暴力や差別がなくなり、一人残らず神様にあって本当に満ち足りて幸せにしている様子を見たいです。キリストの体であるこの教会に、主の御手が働かれますように。正しい執り成しが、一日も早くなされますように。私は、その時を心から待ち望んでいます。

22年間、お世話になりました。皆さんにはいつも祈っていただき、声をかけてくださったりおいしいものをいただいたり、たくさん励ましをいただいてきました。本当に、ありがとうございました。
皆さんお一人お一人の歩みに神様のお守りがあり、祝福が豊かにありますように。

天国での再会を、楽しみにしています。

遠山公子
昨夜、こっぴどいセカンドレイプならぬ「セカンドセクハラ」を受けました。やった本人から。それもセカンドどころではなくて何十、何百回目だろう。

リビングに父と母がいて、父が私を呼び出し、挨拶以外でももっと父と話すように言ってきました。私はすかさず、私が父を避ける理由である過去の出来事を話せば良いのかと言いました。聞いてくれるとのことなので、私もリビングのテーブルに座り、9歳の時からこれまであったことを具体的に話し始めました。父が父の胸に手を当てて高い声で「私おっぱいが膨らんできたの~」と言ったこと、写真をやたら撮られること、髪を結んでもらっているときに少々嫌な口調で「かわいい~」と言われたこと、家族で百人一首をやるため輪になった時「やったー公子の向かいだ」と言われたこと、そういったことがあったから、やたら見られるのや必要以上に話しかけられるのもやましい意味に感じるということを話しました。

父は謝りましたが、その中のいくつかは普通だ、(私の感覚が)異常だ、肉親は普通は子どものことをそんな目で(女として)見るものではないと言いました。家庭内の痴漢やレイプなどの性的虐待の話をすると、私が異常なケースばかり見ていると言ってきました。私は心理学が主専攻ですが、私にとって心理学が神様になっていると言われました。意味がわからない。

そういった出来事は別としてこれからどうするのか、一生そのままでいるのか、と言ってきました。挨拶もちゃんとしているし話しかけられたことには答えていると私が言うと、父も母も、強制されて従うのではなく、許せ、もっと感謝しろ、笑顔を見せて話すとかもっと愛想よくしなさいということを言ってきます。母は、私が母に暴力を振るうのや、父に「つんけん」するのをやめろと言いました。苛つくと手が出るのは体罰を受けて育ってきたせいじゃないかというと、父が、子どもはある程度の体罰を受けないといけない、(体罰に厳しい)今の時代は異常だと言いました。
父は、兄や妹に比べて私にとくにひどいことをした覚えはないと言いました。

ところで2年ほど前、混んでいる車道を私が自転車で走っていた時、おっさんが追っかけてきて、私の自転車がその人の車にかすったので警察呼ぶからと、腕を掴まれたり自転車を取り上げられたりしたトラブルがありました。警察沙汰になったので帰宅してすぐ親に報告しました。昨夜父がその話を出してきて、おっさんに絡まれている時に私が「助けて」と叫んだのが異常だと言ってきました。一般的な常識として「男の人」が「女の子」にそういうことをするのは誘拐か強姦か殺人かが考えられうると思います。母が言うには、昼間に人通りの多いところでそんなこと起こるわけないでしょう、と。
その人はその人で父は父だというと、今は公子の話をしてるんだよと言ってきました。
一時期お世話になった家庭支援センターの人たちも、私の思い込みが過ぎていると言っていたと言ってきました。

セクハラかどうか決めるのは被害者自身だ。それは犯罪だ。私は自分の経験を用いて同じ悩みを抱えている人たちを助けます。そういったことまではっきりと伝えました。前者の二つについて父はひたすら「なんで?」と聞いてきます。3つ目について母は「それはご自由にどうぞ」

私の気持ちは理解してもらえないと分かったので、父の言う通りにしますと言ったら、その「自分の思いを押し殺して服従する姿勢がおかしい」と言ってきました。
私は、過去に嫌だったことをその時に嫌だと言わなかったのはごめんなさいと言い、話し合いが終わりになってきたとき、ありがとうございますと言いました。
最後に、親とこのままじゃ絶対幸せになれないからな、と言ってきました。

自分の考えを伝えても感覚があまりに違い過ぎて全く伝わらない。相手の立場に立ってみようとしたところで到底できない。
セクハラ発言したいだけして写真撮りたいだけとって私の部屋入りたいだけ入って、持ち物に触ってきて、見たいだけ見て話したいだけ話しかけてくる。からかいたいだけからかう。全部私が嫌がっていると分かってしていることです。
それを全部加害者側の方で帳消しにし、「普通にしろ」「全部忘れて何事もなかったかのように振る舞え」何回こう言われてきたことか。
こんなこと問うのも馬鹿らしいけど、人って「愛想よくしろ」って圧力かけられて愛想よくなるもの?
暴力を振るい罵声や冷たい言葉を浴びせ、セクハラをする。それを長年続けてきた人となんで毎日顔を合わせなきゃいけなくて、仲良く話さなきゃいけないの。誰にそんな権限があるの。

父も母も体罰や言葉の暴力を受けて育っています。(私は祖父母のことを憎んではいません。子どもを虐待する道を選んだのは両親自身なので)
まだ子どもを支援する機関なんてありません。情報もないし声を上げられる場もない。傷みを感じる感覚を麻痺させられ、はけ口は自分より「弱い」立場にある者のみ。
自分の抱える傷みが分からないから、自分が人を傷めていることに気づかない。手や足や口で暴力を振るっていること、セクハラをしていること、恐怖や圧力を与えていることに、まったく気がつかない。
いやらしい行動を果てしなく繰り返し、「親子」の肩書きのみによってそれを隠蔽し、平気で忘れている父親。母親もまた「親子」の肩書、家父長制によって無条件に父に従い、私に対して父に味方します。
虐待やセクハラを指摘しても、「人間は誰でも不完全」「お互い悔い改めていきましょうね」と口先で片付け、全く変わろうとしない人たち。
甘えもストレスも、自分の子どもに向けて「可哀想な人」ぶる。フェミニズムも男性解放運動も虐待撲滅運動も、親世代の頃には出てきていたはず。まして現代なんか勇気を出して自分の傷をありのままに言い表せば、支えてくれる人は必ずいる。
情けない、しょうもないガキだなと思いました。
父には姉2人、2対1でやられてきたようです。まだまだはびこる家父長制、女性蔑視の風潮は、父が鬱憤を晴らすのにうってつけ。最初に生まれてくる娘は格好の餌食です。
自分を守るため何が何でも女性を自分の下に置こうとする。女性の従順さや素直さ、かわいらしさ、小ささを強調し、「女性」の身体的特徴を持つ全ての人をその枠に押し込めて眼差しを注ぐ。こうした眼差しを四六時中向けられたらどうでしょうか。
話し合いの間中も、その父の目線がずっと私に向けられています。
終わった後も父はなかなかリビングを去らず、母と話している私を見ながら口を挟んできます。

こんなに汚されて純潔を守れなくて、まだ見ぬ夫に対してごめんなさいと思った。
でも本当は私には汚れひとつついていないし、それはこれから父に何をされようが関係ない。話し合いの間も、そのあとも、私は確かに聖霊に守られているように感じていました。
話し合いの間自分でも平静を保てたのは、これまでにクリスチャン学生の集まりで祈ってもらったり親との関わりについてたくさん学んだりしてきたこと、虐待やセクハラ、性差別と戦う私としての地位が既に社会の中で確立されつつあること、父が私に何をしたところで私が傷物になるわけでは決してないという確信を培ってきたことがありました。
話し合いが終わって自分の部屋に戻って椅子に座り、涙が出てきた時、「よくがんばったね」と神様が抱いてくださるような感じがしました。いっそ過去にあったことを話し、同じように父からの虐待に声を上げている人たちの記事をシェアしようかとずっと思っていたので、これで言うだけのことは本当に言い尽くしたと思いました。(話し合いの時、私の気持ちを代弁している記事があるのでシェアすると言いました)
YouVersionという聖書アプリで、虐待についての学びをしていたのを思い出し、今日の分の聖書箇所を開いたところ、すごくダイレクトな言葉が書かれていました。
「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。」(詩篇46編1節 口語訳)
ものすごく嬉しかった。このために生まれてきたのだとさえ思った。
本当に神様だけが頼れるのであり、神様が私の父であり母であるのだと感じた。
父のセクハラで私が自己憐憫にとらわれている時、一人で抱え込んでしまっている時、私の罪のため十字架で死んでくださったイエス様は、私が神様に近づき依り頼むのを、ずっと待っていてくださった。私が9歳の時からずっと。
布団の中でもひたすらそれを考えていました。神様の御前で、どんなに泣いても怒っても何を考えても祈っても、何もかもが許されている。その中で私は神様によって整えられていくのだから。
父と母はまだ起きていて、布団に入った私のところにドアをノックして少し開けてきたり、妹を叱ったりしています。この人たちには、神様における平安がないんだな。そう思った。
人のことはどうでもいい。自分の力で何かできるわけでは決してないし、父と母に何が起こるべきなのか、私には分からないし、それはまったく神様が取り扱うことである。私はただ、神様が私に注いてくださる大きな大きな愛と恵み、神様が必ず守り導いてくださるというしっかりした確信を、ひしひしと感じていました。こんなに神様、イエス様を感じたのは、夏のクリスチャン学生のキャンプ以来でした。いや、その時以上だった。
逆境の時こそ神様の愛を強く感じられる。力は弱さの中でこそ発揮されると聖書に書いてある。
その日はなかなか眠れませんでしたが、翌朝までには意外とよく眠れました。
朝目覚めた瞬間、憂鬱な気持ちも不安もありませんでした。
食卓の日めくり聖句カレンダーの今日の言葉は、
「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」(コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章9節 新共同訳・以下同)
さすが神様です。
今の私は「社会的弱者」の側面を持つ。でも私はもう弱者なんかじゃない。人の痛みに気づき、誤りを誤りだとはっきり言い、社会を変えていく力となる。そんな誇りを持って、生きていきたい。

父は私のシェアした記事について、父が私にしたことがそれほどひどくないことに感謝しなさいと言ってきました。そして、何でも感謝することから始めましょう、と大きめの声で言いました。
そのあと父が出かけるときに私のところに来て、これを機会にもっと愛想よくするようにとまた言ってきました。

今日の聖書アプリの学びの箇所は
「御前にわたしの悩みを注ぎ出し、御前に苦しみを訴えよう。わたしの霊がなえ果てている、わたしがどのような道に行こうとするか、あなたはご存じです。その道を行けば、そこには罠が仕掛けられています。目を注いで御覧ください。右に立ってくれる友もなく、逃れ場は失われ、命を助けようとしてくれる人もありません。主よ、あなたに向かって叫び、申します「あなたはわたしの避けどころ、命あるものの地で、わたしの分となってくださる方」と。」(詩篇142編3~6節)
大学生になって家庭支援センターの目を離れた途端、父は急にしつこくなりだした。母も毎日のように父のことを言ってくる。自分の体をズタズタに切り裂いてやりたいとも思った。家から自転車で十数分のところには歌舞伎町。父などにレイプされ続け家出して風俗嬢の道に走った少女のフィクションを読んだこともあった。
それらを実行することに歯止めをかけ続けた大きな事柄の一つは、自分の体は神様が大切に精巧に作って与えてくださったものであり、自らの意思で傷つけたり汚したりしてはならないという信念でした。
大学2年生の終わりには、社会人になったら移り住みたい田舎町に出会い、週1で泊まり込みのバイトも始めました(父には「お泊まりしたいんじゃないの?」と言われました)。今はその町で就活など、移り住む準備も着々と始まりつつあります。悪魔の誘惑をはねのけ最善の道に留まろうとした結果、神様が健全な形で親から離れる道を与えていてくださっていると感じます。
「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ 10章13節)
地震、病気、家庭環境、どんな時にも、私を最も励ます聖句の一つです。

主イエスがわたしに語りかける 「あなたの苦しみはわたしが一番知っている 恐れることはない 覚えておきなさい わたしはあなたを愛してる」 「あなたが受けてきたその苦しみ ゆるすことで暴力が肯定されるなら ゆるしてはならない 覚えておきなさい わたしはあなたを愛してる」 大切なことはほかにひとつもない イエスがわたしと共に生きている (平良愛香『わたしはおやを』)

私は許しません。あらゆる暴力や差別がなくならないことを。それらを肯定し辛さを忘れ去ることを。それらのことをしている人たちが、何の罰を与えられることもなく勝手気ままに生きていることを。
私が許すことで忘れ去られ、隠される傷があるのなら、私は許しません。
私は忘れない。私は黙らない。既にこれだけのことがあったから、もう恐れはない。
私は諦めない。
伊藤詩織さんと、サクマにな子さんと共に、共感してくださる全ての人々と共に、私は戦い続けます。

私の中の悪霊どもをイエス様がバタバタと倒し、正しい知恵を授けてくださいますように。

ただ「いかなるセクハラにも遭わない」とか「ポルノなど性に関するゆがんだ情報に影響されない」とかではなく、神様の愛のみからくる、キリストのあがないによる、自分の心の中に自らの意思で保ち続ける、「真の純潔」を守っていくことができますように。

私の子ども、孫、ひ孫、玄孫…には、いかなるセクハラもされない、ゆがんだ情報にも影響されない純潔が与えられますように。

傷を抱える全ての人に、この世界を造られ私たち一人ひとりをお造りになった神様による癒しと、平安と、希望がありますように。


家族にシェアした2つの記事。2つ目の方が簡潔で分かりやすいです。1つ目も本当に共感しています。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/08/08/watashiga_a_23492756/
https://papayaru.com/chichioya-kirai-riyuu/
「japan's secret shame」(日本語字幕付き) 伊藤詩織さんの証言、日本の性に関する現状。私の経験に通じるところがあります。
https://www.dailymotion.com/video/x6pradb
平良愛香『わたしはおやを』 平良先生がこの賛美歌を書かれた背景も載っています。
http://kore3net.com/SongBook09/pg293.html
https://sp.uta-net.com/movie/251449/

Re: 息子よ、娘よ、わが妻よ

お父さん、あなたに 叩かれたのは
雪降る 二月の 街角で
寒い寒いと 泣きついて
男らしくないと 罵倒された

お父さん あなたに 蔑まれたのは
霜月 小高い 山の上で
冒険家になると 誓ったとき
女の体では無理だ さっさと家庭に入れと せせら笑われた

夫よ あなたに 呆れたのは
自己中 鈍感 横暴に
子育ても ろくに 手伝わず
暴力で 家族を 支配して来た事

息子も 娘も あなたの妻も
生きる辛さも 喜びも
あなたとは 分かち合えない
あ~あ 限りある人生 このままか

お父さん わが夫よ
くだらない 家父長制とやらを
性別分業とやらを
あ~あ 捨て去って 真の幸せを知ってくれたなら


https://sp.uta-net.com/song/4427/

Re: 娘よ

こんな父親が いなけりゃいいと
女の子なら 誰でも思う
呆れたもんだね 二十才を過ぎても
距離感に全く 気遣わない
娘の結婚を 考えておいて
虐待セクハラ 繰り返すとは

「いちいち思い込みが過ぎている
俺が毎日食わせてやってるんだぞ
いい加減父や夫に従うことを覚えろ
なあ母さん」

私の婚約者は そんなこと言ってない
むしろ男にも 甘える自由や
導いてもらう 幸せがほしいと
その人の役割に 性別は関係ないと
私の身の上を 聞きながら
涙ぐんでは 共感してくれた

笑い話で すませるけれど
あなたのしてきたことは 立派な差別 虐待
自立したら 同じく苦しむ人のために
闘う人間で あり続けよう
いつも希望を 忘れずに
共に行くんだ 信じた人と
こちらの方が見やすいかも…
https://dokusho-ojikan.jp/viewer/?story_id=11409


「あたしの誕生日パーティー、レトロファッションでやろう!!」
「は~い☆」

翌日 待ち合わせ場所―
「おはよー♪レトロカラーの服だけど、どうかな?」
「白黒だから色分かんないよ」
「え?」
「いや…何でもない」

「おはよー!おじかわだよ☆」
「お~」
(これってレトロか?)
(かっこつけすぎw)

「レトロな服ないから昨日渋谷で買っちゃった!」
「お疲れさま…」
「ぜいたくだなあ」

「下着以外全部お兄ちゃんの(笑)」
「おお!」
「お兄ちゃんかっこいいんだろーな…♡」

「貴婦人ざます」
「……」

その頃―
「ヤバい!!寝坊した!!」

「おじゃましま~す」

「平安貴族!!」(布団を羽織って)
「ちゃんと服選べー!!!!」

~あとがき~
こんにちは!遠山公子です!!私は普段このような短いマンガを描いています。小学校5、6年の頃もよくこういうの描いてました。何時間かかけて描いてみましたが、お楽しみいただけたら嬉しく思います。それではまたお会いできる日まで(^o^)/

(終わり#)


<本当のあとがき>
 ちょっと見づらかったと思います…元のサイズが結構小さいので(+_+)
 これを描いたのは、たしか高校1年の秋か冬だったと思います。やっぱり雰囲気が小学校の頃描いてたマンガによく似ています。まあ同一人物が描いているので無理もありませんがw
 小学校低学年の頃は自由帳を1ヶ月に1冊、高学年の頃は数ヶ月に1冊くらいつぶしていました。いずれその一部を参考程度に、こちらに載せるのもいいかもしれません(^^)