こんにちは、工具屋てっちゃんことファクトリーギアの澤山です。
人にはいろいろな過去の思い出があります。 いい事も悪い事・・・。
そんな過去は変わらないと思っている人も多いかもしれませんが・・・。
過去は変えられると言います
起こった出来事は帰られませんが、それをどうとらえるか? それで、その過去の出来事の認識が変われば過去は変えられるといいます。僕にもいろいろな過去があり、特に父親との親子関係がよくありませんでした。
でも、今日それが少し変わりました。
僕は4人兄弟の長男で子供の頃、僕たち兄弟は父親にちょっとしたことでよく叱られ、手を挙げられていました。 特に長男の僕は、怒られる事が多く、よく殴られていました。 そこには、愛を感じられず、ただただ恐怖しかなかった・・・。
大人になり、さすがに手を挙げられる事は無くなりましたが、子供の頃の楽しい思い出を振り返ろうとすると、どうしても父から受けた暴力の思い出が先に来て、父との楽しい思い出もあったはずなのに思い出せませんでした。
僕は愛されていたのか?そんな不安や心配があったのでしょうか? それを確かめる勇気もなく、自分の中で嫌な思い出として父親を毛嫌いしていました。
でも、今は大丈夫です。
ゆっくりですが、楽しい思い出を思い出そうとしています。
実は、父親とじっくり話をしました。
どうして父は僕達に暴力を振るったのか?
僕達の事をどう思っているのか?
いろいろと話しました。
最初は、いい訳みたいなことを言っていましたが、僕も今回は裸になろうと思っていたので自分の気持を正直に話しました。
すると父も、覚悟を決めたのか自分の過去からいろいろと話し出しました。
そこには、ただ弱いのに強がっているだけの一人の男がいました。
なんだ、弱いくせに、ただカッコ付けて強がって、人に甘える事が出来ず、そんな自分を認められないだけじゃん、でも、何だか僕も似ている・・・。話していて僕も気付きました。
僕も父に受けた暴力で、父を悪者にして自分を正当化して、弱い、ダメな自分を隠そうとしていた気がします。いやそうだと思います。
だから、父を悪者にして来た事は謝りました。
父親も20代前半で、修行先から帰ってすぐに創業者の父を亡くし、その後そのまま社長になり、虚勢を張って強がって生きて来たんでしょう。 仕事でのストレスのはけ口が僕たちになっていた弱い人です。
僕たちが憎くて暴力を振るっていた訳ではありませんでした。
暴力は決して許されるものではありませんが、僕にはもうどうでもいいです。お陰で、僕は自分の子供には手を挙げた事がありませんし・・・。
ただ、僕たちは愛されていたのか?僕たちが憎くてやっていたのか? そこが知りたかった。
10ヶ月の僕、お正月の初荷で出発する時の写真
今日は父も、父なりに自分自身に正直にいろいろと話してくれたと思います。
最後に、長い沈黙から「悪かった、すまなかった・・・」と謝った父。
急に小ちゃく老いて見えました。
ずっと父親を避けて来た僕、今日はまず第一歩です。
これからは、たまにはランチに誘って、もっといろんな事を話そうと思います。
この世にたった一人の父親ですからね。嫌いではなく好きでいたいから。。。