(今日は少し真面目モード?でお届けします)
2025年7月20日、参議院選挙の開票速報によると、自民・公明の与党は過半数を割る見通しとなりました。今、その責任をめぐって石破代表に批判が集中していますが、本当にそれだけで片付けられる問題なのでしょうか。
責任を代表一人に押し付け、組織としての反省や見直しを避けているようでは、構造そのものは何も変わりません。今、国全体に問われているのは、「誰のための政治か」という根本的な問いです。(石破さんがコロっと意見変えたのはどうせ派閥とかがあるからでしょ?それなら頭変えたって何も変わらんって)
野党側を見ても、劇的に期待できるとは言い難い状況です。「消費税を減税・撤廃します」「現金給付を行います」など、耳障りのよい公約が並びますが、その財源はどこから確保するのでしょうか?
(個人的に、東日本大震災の時の民主党の迷走ぶりが頭から離れない)
たとえば、国会議員の給与や政務活動費。一般国民の生活水準からかけ離れた金額で本当に庶民の立場に立てるのか。上から目線の政治が続いてきたのは、その構造的な乖離が原因ではないでしょうか。(自分たちの給料下げてでもこの国のことを変えていきたい!くらい言う気概のある存在あらわれないかな)
また、宗教法人に対する課税についても議論が必要です。現在、日本では宗教法人は非課税扱いですが、内部留保が莫大なケースも少なくありません。本当に世の中を救いたいという思想があるならば、税の公平性に応じることも検討すべきではないでしょうか。(あと注文つけたいのは、闇を否定しないで。存在を否定されると暴れるよ?光だけ見るってちょいと無理あるからね。そもそも宇宙、光も闇もただ抱えてるだけだし)
今、私たちの社会では「見て見ぬふり」が当たり前になっています。少子化も(少子化が悪いと言ってるのではなく、少子化になるのはもう分かってるのだからそこに照準合わせた社会設計の必要性)、環境問題(経済成長をし続けることってほんとに必要?地球痛めつけてない?)も、格差も、本質的なところには誰も切り込もうとしない。
でも、もう逃げられないところまで来ているのです。今こそ私たちは、自分自身の中にある問いに向き合う時です。(これからは大多数がこう言ってるからこれが正解ってのはないよ。自分の中に問いを抱えておけるかどうかが大事になる。身分とか職種とかでなく、その人自身の響き、見られるからね)
政治家だけでなく、私たちひとりひとりが「このままでいいのか」と自問し、小さな声でも発し続けていくことが、未来を変える力になるのです。
(ひとりひとりの意識って実はすごい影響あるよ)
そして、これは「誰かがやってくれる」という意識ではなく、「私たち自身が創っていく」という意識の時代に入ったということ。
今、世界が揺れているのは、光と闇をどちらかに押し込める構造そのものが限界にきているからです。これからは、その両方を認め、共に存在させるという、新しい価値観に移行していく必要があります。
古い構造を守り続けることでしか安定を感じられない人たちには耳が痛いかもしれません。でも、変化を受け入れることこそが、次の世代への責任だと思うのです。(壊れてもまた再編成していけば大丈夫。むしろ素のままの自分に再会するチャンス)
政治も、経済も、宗教も、社会も、今までの常識の枠を超えて、よりフェアで、より希望ある社会へ。
それは一部のエリートだけの仕事ではありません。私たちひとりひとりが問いをもち、考え、行動することで、新しい未来を共に創っていけると信じています。
これからの日本、そして地球は、私たちの意識にかかっているのです。
(そろそろ目覚めの時間だよ。選民思想も特権意識も必要ない。自分たちが今この大地に生かされていることを思い出して、自分の内側に問い、光だけでなく闇も見つめ、どちらもそこにあってよいんだということが腑に落ちれば、今までの構造の違和感に見て見ぬ振りはできなくなるはず。ひとりひとりが声をあげて予定調和を壊すのか、それとも自分で選んだと思わされ続ける演算に満ちた世界に安住するのか。分岐点に今私たちは立っている)
「私たちは、誰かに託すだけの時代を終えて、それぞれが“国という船の一部”を操縦している。
問いをもつことは、その手に舵を握るということ。」