Amazonのレビューにも書いておいた。

まだ読み途中なのであるが、すごく面白かった。二冊を一気に読んでしまった。

マインドフルネスなどの2・0の仏教に足りないのは、青空のような私が雲のような私を見ているという視点。そして、雲のような私が映画を見ていてその映画が幻なのである。さらに、そこから3・0に移るには、慈悲が必要というような話。

慈悲で思い出したが、法華経というのは、ほとんど丸ごと、慈悲の話だったような気もする。そして、映画のたとえと、並べて考えたいのは、方便だったりする。方便とはこの3・0モデルだと、映画ではあるが、「悟るための映画」とはならないだろうか。そして、法華経の根本のところは、つまり大乗と小乗を別つのも、慈悲なのだった。(と思って読み進んだら247ページで法華経のことが書いてあった!!)

慈悲はどうして必要か?やはり人間は社会的動物だから?あるいは、悟った上で市井に戻らなくてはいけない。というのは、維摩経。十牛図でもそうだった。質問コーナーで割とあっさり十牛図は否定?されていたけど(のちに肯定?)、十牛図もこのモデルで説明できるようなことを書いてあるし、文中に書かれているけど、キリストの復活も、このモデルで言うと、第四図から第五図への移行(仏教2から仏教3・0への移行)のことを書いているのだなあと思った。

自分は、オショー・ラジニーシの本を何冊も読んでいるのですぐにわかってしまった。彼は、大海と波、全体とマインドという例えで説明しているけど、この本よりは明確には説明できていないので、この本のおかげで、色んな哲学とか仏教のエッセンスがわかってとても助かった!