俺が小説「オジチャンの回転」の中で展開したいのは、表題通り、あなたが思っているあなたは、たんにあなたではない。ってことなんだよね。あなたは、二段ベッドのようになっていて、上のあなたが下のあなたを見ているような形になっているわけ。
で、下のあなたを微調整したりして動かしているわけなんだよ。しかし、もし、あなたがこの事実に気づかなかったら、あなたは、このことを全部、下のあなたがしていることだと思ってしまう。本当は、上のあなたがしていることなんだよね。
だから、本来においてあなたは上なわけだから自由なわけ。でも、下のあなたは色んなものに縛り付けられている。(正確には縛り付けられていると勝手に思っている)これを自由にした方がいいし、上のあなたが下のあなたの面倒をもうちょっと見ないといけない。
自由と言っても無限に悪を繰り返していいわけではない。なぜなら、下のあなたは社会の中に生きていて、悪を繰り返したら懲罰されるから。あるいは、下のあなたってのは、なんだかんだ言っても、周りの人々の情けによって生かされているから。
そういう善の関係性も含めて、下のあなたは縛られている。しかし、ここだけは重要だが、本来のあなたは、上のあなたであり、自由なわけ。現実世界で上のあなたは、下のあなたをどう使うか?ということがここで問われるわけだ。
その時に、上のあなたは、どうするのか?これこそが、あなたは人生をどう生きるか?という問いになるわけで、それは無限に続く問いでもある。昔から、人々には「上のあなた」がいて、この問いに答え続けてきたのである。
しかし、多くの人は、自分の本質は「下のあなた」だと思っている。たとえば、木村拓哉でもなんでもいいが、そう言うものだと思っている。本質は無我というのは、本来は自由な上のあなたのことを指している。
もっと、明確に言うと、今、こうやって存在してものを感じて考えているあなたは、上のあなたであって、下のあなたではないのよ。こう言うことなのよ。これを混同するから、人間は、他人からの見た目、評判を必要以上に気にしたり、過去の自分に縋ったり、無駄に緊張したり、馬鹿なことをしてしまうわけ。
