我々は長い間、あたかも映画「マトリックス」のような時代がやってくるのだと思っていた。VR装置に身をを任せて、現実を捨てて、仮想現実の世界に生きるというような……。
ただし、思いもよらない進歩というのが我々を急激に支配、洗脳することも考えられる。今、電車に乗っていてほとんどの人たちが携帯画面を見ているが、何を見ているのだろうか。
ひょっとしたら、ズラーっと、「携帯画面を見ろ。携帯画面を見ろ。携帯画面を見ろ。携帯画面を見ろ。」という文章列がびっしり真っ黒に並んでいるのかもしれない……。
しかし、現実はそうではなくて、VR装置は、販売停止になってしまった。均一的ではなくもっと混沌とした、ウィリアム・ギブソンの「ニューロマンサー」みたいな時代が来るのかもしれない。
任天堂の3DSなんかもそうなのであるが、3Dになったら、みんな注目するだろうと思ったら、辛うじて、ソフトの力で押し切ったが、機能としてはPSPの方が圧倒的に皆に好かれていたのであった。私も「3Dいらねえよ!疲れるだけだろ」という意見である。結局、PSPよりも大きな画面で遊べるswitchで、何とか王座を保っているが、この先、ちょっとした読み違いで、転げ落ちる可能性もある。
つまるところ、人間というのは天邪鬼な生き物なのだ。3Dだったら何でも良いということではないのである。我々は娯楽をするときにそんなに疲れたくはないのだ。ということもあるだろう。最近のゲームは何をするにしても、前置きが異様に長い。そして、長時間楽しんでくれ、とばかりに、バーンと情報を噴出させる……単に娯楽を楽しみたい一般市民にはかなりの負荷だろう。
SFが好かれないのもそういうところにある。何だか機械の説明書のようなものを延々と読まされて、これが人類の未来だとか嘯いているが、我々にとって興味があるのは、人間の未来である。言い換えるなら、生活がどう変わってゆくのかだ。どんなに、高度な技術でも誰も使わなかったら、生活は変わらない。
そして、現実は少なくとも、「マトリックス」が陳腐な映画だということがわかるくらいの「歪んだ、イレギュラーな進歩」をしているのである。「ああ。そういう考え方もあるよね。そうは全く世の中はならんかったけど」ということである。
こんな感じで、我々のシンギュラリティへの不安も、一枚、一枚、化けの皮が剥がれて、解消されてゆくのかなあと思う。
ただし、思いもよらない進歩というのが我々を急激に支配、洗脳することも考えられる。今、電車に乗っていてほとんどの人たちが携帯画面を見ているが、何を見ているのだろうか。
ひょっとしたら、ズラーっと、「携帯画面を見ろ。携帯画面を見ろ。携帯画面を見ろ。携帯画面を見ろ。」という文章列がびっしり真っ黒に並んでいるのかもしれない……。