あれは、敵がみんな愛に飢えているんだよね。トキとケンシロウを除いて、みんなが愛に飢えている。本当に愛してほしいって思っている。特にサウザーラオウシンあたり。
テーマソングの「愛を取り戻せ」というのは、この3者が偽りの歪んだ愛にこだわってしまっている。それに、ごく普通に人を愛しているケンシロウを対比させているわけだ。「愛を取り戻せ」というのは、「正しい愛に立ち返ろう」「普通に人を愛そう」という裏の意味がある。
ケンシロウには、ブルース・リーというモデルがいるけど、段々と、高倉健的な感じも出てきている。寡黙でいつも仏頂面であり、ポツリポツリとものを話す。そんなに名言は残さない。仏頂面ということでは、柳葉敏郎を思い出すが(笑)いや、あれは原口あきまさのモノマネか。うん。全然関係ないけど、空気的には合っているけど、やっぱり関係ない(笑)
ケンシロウは、そんな愛に飢えて歪んだ愛を求める兄たちをみながら、彼には自分から愛を奪うという気持ちがないんだよね。無駄な自己主張をしない、静かな男だった。でも、そこがユリアの好きなところなのであって、唯一、ユリアが本当に好きな男だった。だから、周りから嫉妬される。
トキという男がいる。これはもう、まんまキリストなわけ。っていうか、顔がキリストだからね(笑)。愛ってのは求めてはいけない。与えるものだ。キリストの命題はここで最大化される。キリストとは、愛の代名詞だからね。トキは、ケンシロウに自分の背中を見せる。それは、師匠のリュウケンもまた。ケンシロウが相応しいとみている。ケンはただ静かで、愛を求めないから。
味方の南斗五車星の男たちが一人残らず美しいのは、ユリアに無償の愛を与えるところなんだよね。俺がジュウザに涙したのは、彼は浮気者だった。女たちと遊んでいた。でも、満たされていなかった。ある日、命を投げ出すかもしれないピンチを、本当に好きだった女性に打ち明けられた。この戦いには万が一でも生きて帰れない。どうする?「やってやろう」というのがジュウザの答えだった。彼は、必死になって好きな女性のために死んでいった。しかし、本当の愛のギリギリの究極というのはそういうところじゃないだろうか。
テーマソングの「愛を取り戻せ」というのは、この3者が偽りの歪んだ愛にこだわってしまっている。それに、ごく普通に人を愛しているケンシロウを対比させているわけだ。「愛を取り戻せ」というのは、「正しい愛に立ち返ろう」「普通に人を愛そう」という裏の意味がある。
ケンシロウには、ブルース・リーというモデルがいるけど、段々と、高倉健的な感じも出てきている。寡黙でいつも仏頂面であり、ポツリポツリとものを話す。そんなに名言は残さない。仏頂面ということでは、柳葉敏郎を思い出すが(笑)いや、あれは原口あきまさのモノマネか。うん。全然関係ないけど、空気的には合っているけど、やっぱり関係ない(笑)
ケンシロウは、そんな愛に飢えて歪んだ愛を求める兄たちをみながら、彼には自分から愛を奪うという気持ちがないんだよね。無駄な自己主張をしない、静かな男だった。でも、そこがユリアの好きなところなのであって、唯一、ユリアが本当に好きな男だった。だから、周りから嫉妬される。
トキという男がいる。これはもう、まんまキリストなわけ。っていうか、顔がキリストだからね(笑)。愛ってのは求めてはいけない。与えるものだ。キリストの命題はここで最大化される。キリストとは、愛の代名詞だからね。トキは、ケンシロウに自分の背中を見せる。それは、師匠のリュウケンもまた。ケンシロウが相応しいとみている。ケンはただ静かで、愛を求めないから。
味方の南斗五車星の男たちが一人残らず美しいのは、ユリアに無償の愛を与えるところなんだよね。俺がジュウザに涙したのは、彼は浮気者だった。女たちと遊んでいた。でも、満たされていなかった。ある日、命を投げ出すかもしれないピンチを、本当に好きだった女性に打ち明けられた。この戦いには万が一でも生きて帰れない。どうする?「やってやろう」というのがジュウザの答えだった。彼は、必死になって好きな女性のために死んでいった。しかし、本当の愛のギリギリの究極というのはそういうところじゃないだろうか。
おそらくであるが、ケンシロウはそこまでユリアのことに執着していない。そこが良かったんだろう。絶世の美女がいるとしてね。平常運転で愛し続けた。そこなんだろうなあ。今、ふと、「ローマの休日」という映画を思い出した。女性にとって、一番いいのは、そんなに愛を自己主張してこない男なんだろう。だって、しんどいし暑苦しいし。確かに愛をひたすらに求めようとするとどんな恋愛もグチャグチャになる。ま、それは男にとってもそうか。ま、落ち着けよ、って話になる。
ケンシロウは、歪んだ愛を持った男たちと、戦い続ける。いろんなアイノカタチがある。北斗の拳が最後、つまらなくなってしまったのは、愛と全然関係ないカイオウが出てくるあたりだろう。カイオウは、愛を飢えているというよりも単なる悪になってしまった。そうなると話が陳腐化する。しかし、まあ、書き尽くしている感もある。あの漫画は、バトルに形骸化してしまった、他のジャンプ作品とは全く別な深い魅力があるのはテーマが愛だからだよね。それは、「花の慶次」にも通底している。慶次は歌舞伎者であり大人だった。他の戦国大名たちは欲に塗れた大きな子供たちであった。それを慶次がしばき倒しの旅に出る……。ま、慶次については、また、別のところで……。


