うおおおお。

 トンネルズアンドトロールズのソロシナリオ。ケンセントアンドレとかマイケルスタックポールなどの殺す気マンマンシナリオをやってみて。それと日本人のグループSNE的、デッドエンドのないシナリオを比べてみて、あっこれは、パンクとロックの違いだと思った。

 いや、日本とアメリカの違いであり、日本人は、冷徹になりきれない。どこかで、「手打ち」とか「馴れ合い」がある。これ、だから、アメリカ人の純粋な狂気に適合しきれない。

 これは、俺が実際に昔TRPGをやってみて、思ったことなんだけど、とにかくそうなのだ。俺のTRPGでさえ、登場人物を殺すことができなかった。殺しても、ドラゴンボールの悟空のように、復活しないといけない。

 モンティパイソンの映画そのままの狂気のシナリオを作って、ウサギにNPCが殺されても、仲間のプレイヤーが最後に王様をぶん殴って、カッコつける(笑)。そして、人間の命の重さを何と思っていると啖呵をきる。

 そーゆーのが嫌で嫌で、俺は早々にTRPGから足を洗った。結局、日本人は、TRPGをやっていても、時代劇の繰り返しなのだ。日本人のファンタジーの本質は、時代劇なのだ。山本七平いうところの「日本教」なのだ。ってことがわかった。

 しかし、日本人にも、眠狂四郎みたいな、ダークシナリオの系譜はある。大菩薩峠なんかも、そうなのだろう。あと、杉良太郎の時代劇とか、共通項として考えると、アメリカの西部劇、クリントイーストウッドの映画も世界が渇いている。狂戦士コナンや、それを手本にしたマイケルムアコック。ラヴクラフトもそうだ。奴らは人を殺しても割と何とも思ってない(笑)そして、それと同じテイストなのは、日本では諸星大二郎か。でも、手塚治虫も、ダークシナリオを書いてはいた。

 その世界観を見事に日本に移しえたのが、北野武の映画だったわけだ。日本にも、「ダーク鬱シナリオ」の系譜はちゃんとある。そこを掴んで、シナリオを作らないといけない。ゆめ、馴れ合うな。矢沢永吉のロックではなくて、髑髏の落ち窪んだ眼窩から、血を吐き出させるパンクなシナリオを作れ。でも、まあ、今考えると、グループSNE的なスィーツ感が懐かしい。石巨人の迷宮でも買って、脳内でソロプレイでもしてみるか。あっ、そうか。初期のファイナルファンタジーが仲間の死をバネにして、シナリオを進めるのは、そこらへんの折り合い何だろうなあ。そこが、日本人ウケするギリの線何だろう。

 仁義なき戦い。ゴッドファーザーのような、容赦ない世界観が良いんだろうなあ。そこを考えないとなあ。この二作品、共に最後は、新人が生まれてくる。そこに引き継いで、引退ってところで終わりにするのだった。比べると、北野武のHANABIでは、そんな甘えは許されない(笑)いや、行きすぎだろ、という。よしなさいという。やっぱり、北野武はすごい。