「金谷ホテル歴史館(金谷侍屋敷)」を観た! | とんとん・にっき

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「日光東照宮と英国・イタリア大使館別荘見学」ツアー2日目に、「金谷ホテル歴史館(金谷侍屋敷)」を観てきました。

 

実は、いただいたリーフレットなどを紛失してしまいました。

ホームページを見ながら、この記事を書いています。

 

日光・金谷ホテルの前身、「金谷カッテジイン」発祥の地、自宅を改造して外国人も安心して泊まれる宿泊施設をつくったのが始まりだとか。増築を重ねて、さながら忍者屋敷の様相を呈しています。

 

僕はこの建築のことはまったく知りませんでしたが、行ってみればなかなか趣のある木造の建築でした。平成26年(2014年)国の登録有形文化財に指定されました。

 

 

 

 

「金谷ホテル歴史館」のホームページより

 

代々東照宮の雅楽師を勤める金谷家に生まれ、自らも笙を担当する楽人であった善一郎は、ヘボン博士の進言により自宅を改造して「金谷ホテル」の前身となる「金谷カテッジイン」を21歳という若さで開業、日光を訪れる外国人が安心して泊まれる宿として評判を高めていきました。金谷家の家屋は江戸時代には武家屋敷であったことから、外国人客は「金谷カテッジイン」を Samurai House (侍屋敷) と呼んでいました。滞在したイザベラ・バードは著書の中で”こんなにも美しい部屋でなければよいのにと思うことしきりである。” (完訳 日本奥地紀行Ⅰ金坂清則訳)と書いています。善一郎と彼の家族が屋敷を隅々まで磨き上げ、清潔に保っていたことがわかります。

 

140年以上の間、同じ場所に保存されてきた「金谷侍屋敷」および「土蔵」は、平成26年(2014年)国の登録有形文化財となり、平成27年(2015年)3月より「金谷ホテル歴史館」として一般公開が始まりました。

日本が急速に西洋文化を受け入れはじめた明治の初期、日光に住むひとりの青年が開いた外国人のための宿泊施設がどのようなものであったのかを現代に伝える貴重な歴史文化財です。

「金谷侍屋敷」は日本最古の西洋式リゾートホテル「金谷ホテル」発祥の地というだけでなく、江戸時代の武家屋敷の建築様式をそのまま残す建築遺産でもあります。

「金谷ホテル歴史館」ホームページ

 

以下、日光・金谷ホテル

「1階受付カウンター」と「2階食堂前階段室」

 

「2階食堂」と、昼食に食べた「ビーフシチュー」

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/日光金谷ホテル

 

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「日光東照宮と英国・イタリア大使館別荘見学」に行ってきました。

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