ちょっと早いけど豊川稲荷へ | 三太・ケンチク・日記

ちょっと早いけど豊川稲荷へ

青山通り(国道246号線)を渋谷側から赤坂見附へ向かって車で走っていると、御所の塀が切れたところに「豊川稲荷」が見えたので、お正月にはちょっと早かったんですが、参拝してきました。境内は、もうほとんど初詣の準備は整っているように見えました。

豊川稲荷東京別院は、日本三大稲荷の一つ愛知県の三州本山豊川稲荷(圓福山妙厳寺)の直轄別院です。赤坂一ツ木の大岡越前守邸にあったご本尊を明治20年に奉遷したものといわれています。愛知県の三州本山豊川稲荷は、明治の神仏分離令の折、宇迦之御魂神を祀っているのではなく「本尊ダキニ天」を主張して、それを乗り切ったそうです。境内の配置や本殿は鳥居がないこと以外はどう見ても神社です。が、しかし、そうじゃないんですね、お寺なんです。テレビのクイズ番組で、豊川稲荷は神社かお寺かという問題が、何度か出されていたことを記憶しています。

赤坂見附の交差点を青山通り沿いに渋谷方向へ上っていくと、右側に石積みの塀の上に赤い提灯がびっしり並んでいるのが見えます。都会の真ん中での異様な光景なので、ちょっとビックリします。まず、「サントリー本社」や「鹿島建設本社」がありますが、それを通り越してどんどん上って行くわけです。住所は「元赤坂1丁目」になります。豊川稲荷の反対側は羊羹で有名な「虎屋」の本店です。赤坂警察署前交差点から四谷へ抜ける道路の反対側は「元赤坂2丁目」。「東宮御所」や「秋篠宮邸」「三笠宮邸」など皇族が住んでる敷地や、宮内庁関係の施設、そして「迎賓館」もあります。春と秋だったかな?叙勲を受けた人を天皇が招いて「園遊会」を開催するのも元赤坂です。この日は黒塗りの車がずらりと並びます。

豊川稲荷の境内は、ちょっと狭いかなというぐらい、いろいろなものが詰め込まれています。青山通りから石段を登り「山門」をくぐると「稲荷会館」があります。信者会館のようなものですね。ここは節分の際は、「年男」の芸能人やお相撲さんが来て豆まきをすることで有名です。山門は現在の境内からすると、ちょっとおかしな位置にあります。東京オリンピックの際の青山通りの道路拡張で境内が削られたので、現在の位置になったようです。山門の前の細い通りは、なぜか「九郎九坂」と言います。「本殿」は「豊川ダ枳尼眞天とよかわだきにしんてん)」という本尊を祀っています。両側にビッシリと奉納されている参道の向こうには「奥の院」があります。神社でしたら「のぼり」ではなく、これが「鳥居」になるわけですが。のぼりは願いの叶ったお礼として、また、家内安全、商売繁盛、交通安全、心願成就などと願いを込めたものです。「大岡廟」は当然のこと、「大岡越前越前守忠相」を祀ってあります。

融通稲荷」は、心をこめて信心すると金銀財宝の融通が叶えられるというものです。「叶稲荷」は、地相、家相、方位、厄などの因縁除けの守護神です。「子宝観音」は文字通り、子宝を授けてくれるという観音様です。「身がわり地蔵」は、本来は人々が受けなければならない業の苦しみを、お参りすることによって変わって受けてくれる神です。「霊狐塚」には八角の大理石の石柱が建っています。霊狐をお焚きあげ供養をして地下に納付しています。「三神殿」は、中央は商売繁盛の「宇賀神王」、右側は健康を守る「大部稲荷」、左側は円面な対人関係の「徳七郎稲荷」です。「七福神」はおわかりですね。「恵比寿天」「大黒天」「布袋」「弁財天」「寿老人」「福禄寿」「毘沙門天」です。「弁財天」は七福神の中の紅一点、インドで生まれの神です。一般には弁天様と呼ばれていますが、音楽、弁才、知恵を司る神です。このほかに「文化会館」があります。境内の西隅にあって、1階には参詣者が休憩する茶屋と千本のぼりの受付があります。お稲荷様にあげる油揚げや、お土産類もここで売っていたようです。

これだけたくさん揃っているので、僕は、僅かなお賽銭でしたが、拝めるだけ拝んできました。来年はきっと良い年になることでしょう。