悪ければその後の人生にそれなりの影響を与える大きな要因。
HSPならなおさら強く出る。
ほかのきょうだいより不適応を起こしやすくて自分を責めてきた。

親のせいだけにできないことも知っている。
でも、他者に『親がそうなった原因も親のせいだけではないと思って』と言われても、そんなこととうに知ってますと。
それが頭で分かってても、
幼少期の頃に受けたトラウマがある状態でまた親に怒鳴られたりすれば、なかなか
「ああ、こうなったのもこの人のせいだけではないんだよなあ、、」と実際思えるかよと。
自分に守るものがあればあるほど、そう思えなくなると思う。自分だけではなくて周りの人にも背負わせることになる。
虐待されて死にゆく子どもも、親が色々あるから仕方ないのと思えと?
そういう理論になってしまう。子どもは親を選べないけど、親はエゴで子どもに接しても許されるんですかと。
背景から社会的な親の支援は必要であっても子どものケアが抜けてる。
もちろん恨んでばかりじゃ自分にも良くないから切り離して建設的に考えているけれども、実際のトラブル時はやはり厳しい。

形相や怒号を聞くと、子どもの頃に植え付けられた恐怖心なのか、怖くないはずなのに動悸がしてくるし、抑え込んでいた許せない気持ちが沸沸と湧いてきて相手を消したくなる感情に支配される。
以前は自分を消したかったけど変わってきた。
相手を許せないのも、ものすごく疲弊する。
かと言って許せと人から言われてもなおさら遠のく気がする。

もやもやしてしまった。全然腑に落ちなくて、色々割愛して結論として私はつくづく新興宗教には縁がないと思った。
話を聞いてもらうことはありがたいけど、こういう複雑な家族関係の悩みはやはり専門のカウンセラーさんなどにしようと思った。

どうもその宗教の考え方なのか親が偉いという考えを強く感じてしまって違和感がある。
しっくり来る人は、やって良くなったと思ってそれがたとえ錯覚でも良くなった印象が残れば信仰を勧めたくなるだろうし悪気はないんだろうけど。
もうあまり話したくなくなってしまった。

話しても価値観が違うので、どうせ分からないだろうなで終わる。寂しいけど仕方のないことで、向こうにもある意味そう切り捨ててもらおう。

過去は白黒思考が強かったけど、グレーにしておくというか問題を分けて考えられるようにはなってきたように思う。
それもこれも、必死でストレス抱えて働いているときには難しかったこと。

自分でも複雑で面倒な思考だと思うけど、
疑問に思うことはやりたくないから、今後もきっとやらない人生になりそう。

日常を過ごせることに感謝しつつ、悩みが尽きないことは学びの時期なんだと思うことにします。

暑くて蒸すのでストレスになる。。
できるだけ多くの人が快適に過ごせればきっとみんな生きやすくなるんだろうなと願って。