Ton's Tones 支店

Ton's Tones 支店

yahooブログで2009年から綴った記事をここに移しました

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さだまさしさんから仕入れた話ですが、
映画評論家の淀川長治さんは
「自分の誕生日は命がけで自分を産んでくれたお母さんに感謝し、
お母さんを思って過ごす日」としていたそうです。
なので誕生日当日、母を見舞いました。
27日・28日と母を見舞わなかった親不孝者ですけどね。
ありがたいことに機嫌よく話ができました。
認知症が進んで、同じ話でも笑顔で話せば喜んでくれます。
「産んでくれて、そしてカトリックに出会わせてくれて、
ありがとう」を伝えることができました。
 
誕生日当日は、あるところで
かみさんとパイプオルガンを聞いてきました。 
ヘンデルのオンブラマイフ、
J.S.バッハの「主よ人の望みの喜びよ」(BWV147より)に
「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」(BWV622)で、
僕はまた涙してました(^_^;)。
51歳になるとどんどん涙腺が緩くなって困ります(笑)。
泣けてるところをかみさんに見られたらヤダな、
と思ってそっち向かないでいた。
あとで聞いたら、かみさんも涙してたそう。
同じ曲で泣けるとは、この人と22年いられて心から感謝。
そう思えた素敵な誕生日に思います。
 
これからも遊んでくださいませ。よろしくお願いいたします。
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3月27日に世田谷区経堂で打ち合わせ仕事がありました。
その帰りにカトリック成城教会(写真)に巡礼、お祈りしてきました(^^)。
この教会は成城学園前駅のすぐ近くにあります。
切妻屋根の縦長スタイル、
僕のいちばん好きなスタイルの教会です♪

成城学園前駅は、次男が1歳、水腎症で入院して手術を受けた
国立成育医療センターの最寄り駅。
いま入院している母(ウチのおばあちゃん)は
次男の見舞いに来たときにこの教会に来て、
次男の病気平癒を一心に祈ってくれたそうです。
当時母は73歳、まだ元気だったんですね。

国立成育医療センターは小田急線の高架から見えますが、
いつも見える側の窓に張りついて、病院に向かって手を合わせてます。
次男の水腎症は手術したとはいえ、
この病院に入院してた他の子どもたちに比べて、はるかに軽かった。
しかし他の子どもたちの親御さん方は皆、
心がひとつ突き抜けてとても明るくボジティブ。頭が下がりました。
いまもこの病院では、子どもたちの病との戦いがあります。
だから小田急線の車窓から見えると、いつも手を合わせます。
今日の成城教会でもいつもの祈りを終えた後、
「主よ、成育医療センターで病と戦う子どもたち・
親御さんに心を留めて、お守りください」と祈りました。

 「成育医療」というとおり、次男はこれまで経過を診ていただき、
そのカルテをアーカイブするために、ほぼ年1回はこの病院に来ます。
成城教会で次男の病気平癒を祈ってくれた母は入院してますが、
次男はこの4月頭には一人でこの病院に来ます。
最初はベビーカーに乗せられて来てたのにね♪

さてこの成城教会、現在の主任司祭は
僕がいまカトリック入門講座に通っている立川教会のご出身です。
母が立川教会併設のセントメリー保育園で保母をしていた
昭和30年代後半、立川教会の青年部で中心メンバーだった方が
神父となって、いまこの教会の主任司祭なのです。
初代立川教会主任司祭・塚本金明神父さんに、
母と同じくお世話になった方なんです。
このエピソード(←クリックして下さい)、大好きなんです。
さすがに今回は会えませんでしたが、一度はお目にかかりたいと思ってます。
母のこと、覚えているだろうか。僕ぁせまい世界に生きてます(^^)
2016年にはフルマラソンも一度体験しました。
ハーフまでは走ることはとても気持ちよいです。
しかし 「走って楽しくて癒されるのは僕だけ」です。
走ってる間、僕は家にいない。
家族にとっては家事の手にならないだけ迷惑です。
仕事なら仕方ありませんが、「たかが趣味」ですから。

いままで走ってた朝、お洗濯を趣味化しちゃえば、
共働きのかみさんが少しだけでも楽になります。
認知症で入院している母の代わりに、
カトリック教会の御ミサに行けば、
親孝行ぶりっ子^^;;;もできます。
走るって気持ちよすぎて心がクリアになってっちゃうから、
走ってる間「走ることしかできない」んです。
マルチタスクに時間が使えない。
本職も介護も忙しいいまの自分には、罪悪感大きすぎです。
 
しかし最近、母の代わりでなく自分のためになってきた、
カトリック教会の御ミサの参列。
神奈川県内の教会の御ミサ巡礼とランを交えられないかなぁ、と、
悪巧み(笑)が頭に浮かんでます。
このGWに職場の関係でリレーマラソンを
走らなきいけなさそうなので(^_^;)、
走っておかないとなぁ、でして(笑)。

とにかく走る口実を見つけたいですわ(^^)

しっかり仕事や家事を整理して、
走る時間を捻出している皆さんを尊敬します。
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あけましておめでとうございます。
今年も次男と街の鎮守・亀ヶ池八幡宮に初詣。
しかもその後、昨日の大晦日にロケハンしといた場所で
初日の出を一緒に拝みました。なんと幸せな親父でしょう
昨年は一年の計を僕は言葉にできてませんでした。
母の介護でほんと余裕がなかったんだと感じました。
さて、今年の「一年の計」は「感謝」
そして「いままで以上に人と会う」でいきたいと思います。
 
よろしくお願い申し上げます。
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今日は長男(1枚目写真右)の誕生日です(^^)。
長男が生まれたときだったか、1歳の誕生日だったか、思いました。
「たった20回誕生日を繰り返したら、こいつは成人か」と。
とうとう現実になりました。
親は七転八倒して生きてきただけで、たいした人間になれてないけど、
こいつは数学を学ぶことを愛する、ステキな人間になってくれました。
片付けはダメダメな人間だけど^^;;;、数学なら一日中でも勉強していられます。
そういうものを持ってくれているなら、もう安心です。
こうして頑張った何かがあれば、生きる道はきっと見つけられます。

僕は今朝で年賀状書きを終えました。
上の写真は先日の横浜散歩で撮った写真をトリミングしたものですが、
これを小さなシールにして、
子らの成長を報告できそうな先には貼り付けています。
少し余ったので1枚はウチの愛車、
ポンコツスズキエブリイ♪くん運転席の
日よけの裏に貼り付けました(下の写真)。

「無理な運転しないぞ。必ず安全に帰る!」の気持ちを
いつでも思い出させてもらえるように(^^)。

昨晩、この愛するクソ長男が「明日、おれはVIPだ!」などと抜かしやがる。
僕が「おー、わかってるぞ(^^) Very Immoral Personだよな(^^)」
と切り返したら、みんなで大爆笑でした。
こいつらが巣立った後でも、
いつまでもこんなバカ話のできる家族でいたいです。
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母の本棚にあった本です。一気に読了しました。
マザー・テレサの言葉は大好きなんです。いちばん下に掲載します。
 
母はアリの街のマリア、
北原怜子(きたはらさとこ)の仕事に心打たれて、
 
そして洗礼当時、母自身もアリの街で屑集めをしました。
1945524日の東京南部空襲で焼け出されても、
母は、両親を支えて弟妹たちのために一生懸命働きました。
もうそれでいちばん大切なことです。
母があまり聖書を読んでないことなど、どうでもいい。
マザー・テレサの生き方も、北原怜子と同じ。
教会の様々な制度とかそういった問題じゃない。
すべては神様のために、
イエズス・キリストに力をいただいて行われたこと。
 
この本の中盤のマザー・テレサの言葉で、
それに気づいて、結局また俺、泣いてました(^_^;)
母がまだ生きているうちに、この本を通して、
クリスチャンとしての母の原点に出会えてよかったです。
 
マザー・テレサの大好きな言葉は下記です。
  
* * * * * *
  
『あなたの中の最良のものを』
 
人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい
 
あなたが善を行なうと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行ないなさい
 
目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
 
善い行ないをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
 
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい
 
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
 
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
 
あなたの中の最良のものを、世に与えなさい
けり返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
 
最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
あなたと他の人の間であったことは一度もなかったのです
 
マザー・テレサ
 
Give the world the best you have
 
People are often unreasonable,illogical, and self-centered;
Forgive them anyway.
 
If you are kind, People may Accuse youof Selfish, Ulterior motives;
Be kind anyway.
 
If you are successful,
you will win some false friends and sometrue enemies;
Succeed anyway.
 
If you are honest and frank, people maycheat you;
Be Honest and Frank anyway.
What you spend years building, someonecould destroy overnight;
Build anyway.
 
If you find serenity and happiness, theymay be jealous;
Be happy anyway.
The good you do today, people will oftenforget tomorrow;
Do good anyway.
 
Give the world the best you have,
and it may never be enough;
Give the world the best youve got anyway.
 
You see, in the final analysis,
it is between you and God;
It was never between you and themanyway.
 
Mother Theresa
 
 
このマザー・テレサの言葉は
すみません。

天にましますわれらの父よ、
願わくは御名の尊まれんことを、
御国の来たらんことを、
御旨〔みむね〕の天に行わるる如く
地にも行われんことを。
われらの日用の糧を
今日〔こんにち〕われらに与え給え。
われらが人に赦す如く、
われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、
われらを悪より救い給え


現在、これはミサでは唱えられてません。
2000年に口語体のものに変わったそうです。
しかし、昭和33年(1958)のクリスマスに
カトリック三河島教会で洗礼を受けた母にとっては、
これが「主の祈り」として身体の中に染みついています。


* * * * *

認知症の母を見舞いにいく時間は、
面会時間終了の20時直前の19:30頃が多いです。

だいたいその時間は母はもう眠いんです。
聖書みたいな重たい文章なんか聞けません。
「ご飯食べられてる? よく眠れてる?」を聞いたら、
肩を揉んで、掌や脹ら脛をさすって。
これが気持ちいいようでウトウトしてます。

そしてこの主の祈りを耳元で唱えます。

これは幼い僕に、母が子守唄がわりに唱えてた祈り、

しっかり、母は覚えてるんだよね。合唱になります。
最初、母に聞かせて合唱になったときは、

認知症になっても覚えていること、
そして自分の幼い頃の思い出とが相まって、僕は泣いてしまいました。
しかし僕ももう泣かずに合唱できるようになりました。

そして、僕も思い出してソラで唱えられるようになっちまいました(笑)。

座禅なりお念仏なりお題目なりに限定した鎌倉仏教じゃないけど、

いま母が神とイエズス・キリストに向かい合うには、
これひとつあればいいのかも知れません。
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今年1月に買って気に入っていたこの腕時計、
3日前にしばしの間動かなくなりました(^_^;)
買って1年未満、ショックでした。
帰りに八王子のビックカメラに持ち込んでみたら、
なんと方位磁石を時計に当ててる。
 
「この時計、超強力に磁化してますね。
スマホと一緒にカバンに入れてませんでしたか?」だって(@_@)
確かに磁針が腕時計に強力に引っ張られます。
 
腕時計って精密機械。
強力磁石の近くに置いて中の歯車なりが磁化すると、
その磁力で干渉しあって止まっちゃうそうです。
スマホのスピーカーって結構強力な磁石です。
小さなクリップ程度は強力にくっっつきます。
時計を好きになってまだ2年あまり。
マニアとまでは行かないもんですから
磁気帯びで動かなくなるなど知りませんでした。
 
あるお店で消磁をお願いしてみましたが、
磁気が強すぎて抜けきらないそうです(^_^;)
メーカーに出してオーバーホールしてもらってください、だって(T_T)
SEIKOにオーバーホールに出しました。
有償オーバーホールになると、14000円ほど。
買った値段と同じになる。気に入ってるから、それでも直したい。
いい勉強代になっちまいますね(^_^;)
 
皆さん、腕時計とスマホをくっつけて
カバンの中にいれることのないよう、ご注意ください。
最近、認知症で入院しているクリスチャンの母の代わりに
カトリック教会のミサに行ってます。
僕は幼児洗礼を受けているわけではありませんが、
幼い頃連れられて参列してたから、手順はわかってるんです。
 
昨日は「王であるキリスト」の祭日でした。
祈りもいつも以上に歌が多く、お香も焚きしめたミサで、
これは幼い頃から今まででも初体験。祭祀感いっぱいのミサでした。
 
キリスト教ってやはり唯一絶対な考えなんですよね(^_^;)
神とその子キリストの愛のみが絶対で
これの前に全てが一つにならなくては、って考え。
ましてや昨日は「王であるキリスト」とまで謳った祭日でもあって、
それが特に色濃く感じました(^_^;)
キリスト教の神だけが絶対だ!と宣教され、
自分の神様を否定されようもんならおせっかい(^_^;)
 
これじゃ戦争は絶対なくならんよなぁ()
 
僕はやはり「宗教はどれも神に帰る踏み石に過ぎない」
って、ネイティブアメリカンの考え方のほうがしっくり来ます。
日本人ですね。
いろいろな宗教でカリスマはやってきてる(それは単に「人」です)。
救い主はイエズス・キリストだけじゃない。
大切なのはひとりひとりが大いなるもの(宇宙=神)に対して
恥じない生き方ができるか、その縁(よすが)が宗教。
生き方の見本としてそれぞれの宗教で愛されているカリスマがいる。
できるだけそのお方の生き方に近づいて生きようとできるか。
どんな宗教でもそれがいちばん大切なんではないかいな。
 
しかしね、幼い頃、母に連れられてたミサ。
大いなるもの(神)を意識し、心落ち着けて対峙する機会として、
教会の聖堂にいる時間は、大好きなんです。
僕も50歳。その「心落ち着ける時間」のいとおしさをとみに感じます。

4月29日に50歳になりました。
次男坊が「半世紀だ(@_@)」と目を丸くしていました(笑)。
はっきり「50歳には中身が見合ってない」です(笑)。
40歳の時には亡くなった親父の家の売却に向けて
いろいろやっており、いい経験させてもらってた頃で
「40歳には見合わない」とは思いませんでした。
50歳にはかなり情けないですね(笑)、社会的に。
しかし家庭的には、同居の母の介護が
ほんと大変になってきて、家族で力を合わせて
人並みの人生経験はさせてもらってるようには思います。

同居の母(85歳)は、12月初旬に尻餅をついて
腰椎を圧迫骨折してから歩くことが困難になり、
痛み止め薬の副作用で胃潰瘍になって入院(1月8日)。
その後、介護老人保健施設で
歩けるようになって帰るためのリハビリを頑張っていましたが、

半昏睡状態になった後、認知症になってしまいました(4月初旬)。

「努力」や「がんばればできる」という言葉は
「若い者の思い上がり」であり、
85歳になった母には残酷でしかない、と痛感しました。
介護老人保健施設でリハビリを頑張らせてしまったことで
無理をかけて認知症にもしてしまったように感じます。
「在宅介護を目指して」「よかれ」と思って選んだ道ではありますが、
「ひどい親不孝息子だな」とも一面感じています。

それでも家族全体でつぶれぬよう、
ケアマネさんと相談しつつ、介護サービスを活用して、
家族一丸の協力で暮らしていきたいとは思います。

親不孝で地獄に行くなら、僕が家族代表で行きます。