
その帰りにカトリック成城教会(写真)に巡礼、お祈りしてきました(^^)。
この教会は成城学園前駅のすぐ近くにあります。
切妻屋根の縦長スタイル、
僕のいちばん好きなスタイルの教会です♪
成城学園前駅は、次男が1歳、水腎症で入院して手術を受けた
国立成育医療センターの最寄り駅。
いま入院している母(ウチのおばあちゃん)は
次男の見舞いに来たときにこの教会に来て、
次男の病気平癒を一心に祈ってくれたそうです。
当時母は73歳、まだ元気だったんですね。
国立成育医療センターは小田急線の高架から見えますが、
いつも見える側の窓に張りついて、病院に向かって手を合わせてます。
次男の水腎症は手術したとはいえ、
この病院に入院してた他の子どもたちに比べて、はるかに軽かった。
しかし他の子どもたちの親御さん方は皆、
心がひとつ突き抜けてとても明るくボジティブ。頭が下がりました。
いまもこの病院では、子どもたちの病との戦いがあります。
だから小田急線の車窓から見えると、いつも手を合わせます。
今日の成城教会でもいつもの祈りを終えた後、
「主よ、成育医療センターで病と戦う子どもたち・
親御さんに心を留めて、お守りください」と祈りました。
「成育医療」というとおり、次男はこれまで経過を診ていただき、
そのカルテをアーカイブするために、ほぼ年1回はこの病院に来ます。
成城教会で次男の病気平癒を祈ってくれた母は入院してますが、
次男はこの4月頭には一人でこの病院に来ます。
最初はベビーカーに乗せられて来てたのにね♪
さてこの成城教会、現在の主任司祭は
僕がいまカトリック入門講座に通っている立川教会のご出身です。
母が立川教会併設のセントメリー保育園で保母をしていた
昭和30年代後半、立川教会の青年部で中心メンバーだった方が
神父となって、いまこの教会の主任司祭なのです。
初代立川教会主任司祭・塚本金明神父さんに、
母と同じくお世話になった方なんです。
このエピソード(←クリックして下さい)、大好きなんです。
さすがに今回は会えませんでしたが、一度はお目にかかりたいと思ってます。
母のこと、覚えているだろうか。僕ぁせまい世界に生きてます(^^)
ハーフまでは走ることはとても気持ちよいです。
しかし 「走って楽しくて癒されるのは僕だけ」です。
走ってる間、僕は家にいない。
家族にとっては家事の手にならないだけ迷惑です。
仕事なら仕方ありませんが、「たかが趣味」ですから。
いままで走ってた朝、お洗濯を趣味化しちゃえば、
認知症で入院している母の代わりに、
カトリック教会の御ミサに行けば、
走るって気持ちよすぎて心がクリアになってっちゃうから、
カトリック教会の御ミサの参列。
とにかく走る口実を見つけたいですわ(^^)
しっかり仕事や家事を整理して、


今日は長男(1枚目写真右)の誕生日です(^^)。
「たった20回誕生日を繰り返したら、こいつは成人か」と。
とうとう現実になりました。
親は七転八倒して生きてきただけで、たいした人間になれてないけど、
こいつは数学を学ぶことを愛する、ステキな人間になってくれました。
片付けはダメダメな人間だけど^^;;;、数学なら一日中でも勉強していられます。
そういうものを持ってくれているなら、もう安心です。
こうして頑張った何かがあれば、生きる道はきっと見つけられます。
僕は今朝で年賀状書きを終えました。
上の写真は先日の横浜散歩で撮った写真をトリミングしたものですが、
これを小さなシールにして、
息子らの成長を報告できそうな先には貼り付けています。
少し余ったので1枚はウチの愛車、
ポンコツスズキエブリイ♪くん運転席の
日よけの裏に貼り付けました(下の写真)。
「無理な運転しないぞ。必ず安全に帰る!」の気持ちを
いつでも思い出させてもらえるように(^^)。
昨晩、この愛するクソ長男が「明日、おれはVIPだ!」などと抜かしやがる。
と切り返したら、みんなで大爆笑でした。
こいつらが巣立った後でも、
いつまでもこんなバカ話のできる家族でいたいです。


天にましますわれらの父よ、
願わくは御名の尊まれんことを、
御国の来たらんことを、
御旨〔みむね〕の天に行わるる如く
地にも行われんことを。
われらの日用の糧を
今日〔こんにち〕われらに与え給え。
われらが人に赦す如く、
われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、
われらを悪より救い給え
現在、これはミサでは唱えられてません。
2000年に口語体のものに変わったそうです。
しかし、昭和33年(1958)のクリスマスに
カトリック三河島教会で洗礼を受けた母にとっては、
これが「主の祈り」として身体の中に染みついています。
* * * * *
認知症の母を見舞いにいく時間は、
面会時間終了の20時直前の19:30頃が多いです。
そしてこの主の祈りを耳元で唱えます。
これは幼い僕に、母が子守唄がわりに唱えてた祈り、
しっかり、母は覚えてるんだよね。合唱になります。
最初、母に聞かせて合唱になったときは、
しかし僕ももう泣かずに合唱できるようになりました。
そして、僕も思い出してソラで唱えられるようになっちまいました(笑)。
座禅なりお念仏なりお題目なりに限定した鎌倉仏教じゃないけど、

今年1月に買って気に入っていたこの腕時計、
幼い頃連れられて参列してたから、手順はわかってるんです。
4月29日に50歳になりました。
次男坊が「半世紀だ(@_@)」と目を丸くしていました(笑)。
はっきり「50歳には中身が見合ってない」です(笑)。
40歳の時には亡くなった親父の家の売却に向けて
いろいろやっており、いい経験させてもらってた頃で
「40歳には見合わない」とは思いませんでした。
50歳にはかなり情けないですね(笑)、社会的に。
しかし家庭的には、同居の母の介護が
ほんと大変になってきて、家族で力を合わせて
人並みの人生経験はさせてもらってるようには思います。
同居の母(85歳)は、12月初旬に尻餅をついて
腰椎を圧迫骨折してから歩くことが困難になり、
痛み止め薬の副作用で胃潰瘍になって入院(1月8日)。
その後、介護老人保健施設で
歩けるようになって帰るためのリハビリを頑張っていましたが、
半昏睡状態になった後、認知症になってしまいました(4月初旬)。
「努力」や「がんばればできる」という言葉は
「若い者の思い上がり」であり、
85歳になった母には残酷でしかない、と痛感しました。
介護老人保健施設でリハビリを頑張らせてしまったことで
無理をかけて認知症にもしてしまったように感じます。
「在宅介護を目指して」「よかれ」と思って選んだ道ではありますが、
「ひどい親不孝息子だな」とも一面感じています。
それでも家族全体でつぶれぬよう、
ケアマネさんと相談しつつ、介護サービスを活用して、
家族一丸の協力で暮らしていきたいとは思います。
親不孝で地獄に行くなら、僕が家族代表で行きます。
