中島敦は明治42年(1909)東京に生まれ、昭和17年(1942)に持病の喘息がひどくなり、心臓が衰弱して、短い生涯を閉じた。命日は12月4日である。

 

文壇の一部では注目すべき新人と見られていた。この新人はしかし、登場したかと思うと、舞台をよぎって慌ただしく姿を消してしまったのだ。

 

中島敦の作品は字画の多い漢字が並んでいて、現代人にはとっつきにくいのではないかと思われるが、彼を愛読する若い人たちはいつまでも絶えない。そうした人たちの感想を聞くと皆、一度読み出せば論理がすっきり通っているから付いてゆくのに骨が折れないという。

 

事実思い出してみると、中島敦という人物は話をしてもくどくどしいところがなく、理屈っぽい議論がまるでなく、常に的確で簡潔であった。

 

文学を批評するのでも、「おもしろい」とか「つまらないなあ」と言うだけで、それをいかにも面白そうに、あるいはつまらなそうに抑揚を込めて発言し、それだけで変に人を納得させる力があった。

彼の作品の最大の魅力のスタイルはどこまでも、彼の精神の生地そのものである。

 

敦の父・田人を含めて、(親族の)四人が漢学と深い関係があった。中国の古典類に対する身近ないぶきが、中島のまわりには幼い頃からあったのである。

 

しかし、学生時代の彼について言うなら、彼はむしろ伝承的なものに意識的に反発し、しきりに欧米の文学や思想を耽読していたのであった。

 

彼はきわめて小柄で、強度のめがねを掛けていた。喘息の発作のために疲れきっている日々も少なくなかったが、性格的にはけっして憂鬱ではなかった。発作がおこると、まったく傍目にはどうなることかと思われるほどの苦悶だが、そのひとときが過ぎると、たちまち日頃の無垢な明朗さと大笑いが戻ってきた。その明哲な知性とひょうきんさと、人間的な善悪には独特な魅力があった。

 

中島敦は、彼が子供のときから抱き続けてきた「存在の不確かさ」といったものへの不安や疑惑を、いろいろなかたちで、その作品の中に取り入れようとした作家である。その最もみごとに結晶したものは傑作「悟浄出世」である。

 

この「悟浄出世」の中に、蒲衣子を訪ねるくだりがある。その個所を読み直したときに、これが何かに似ていることに私は気が付いた。そうだ、これはノヴァーリス(ドイツの詩人)なのだ。思いがけず私は、自分がかつてノヴァーリスの訳書を中島に送ったことがあるのを思い出した。

 

中国の古典に取材した多くの作品から中島敦を連想する読者は、この作者を、漢文の古典に埋没している研究者のように想像するかもしれないが、それは誤りである。

 

彼は東西のあらゆる文学や哲学から、その栄養を摂取していた。アナトール・フランスを読み、アミエル(スイス)を読み、ハックスレー(イギリス)を読み、オー・ヘンリー(アメリカ)を読み、ゲーテ(ドイツ)を読み、スティヴンスン(イギリス)を読み、そしてノヴァーリスを読んでいたのである。そのかたわら、高青邸も王維も杜甫も李白も、「史記」も「春秋左氏伝」(中国)も読んでいたのである。

 

草花づくりに夢中になったり、将棋の古い棋譜を研究したり、スポーツの記録をむやみに覚えたりしていた。元来記憶力が非常によく、高校生のときはドイツ語の試験などは、訳文をまる覚えにすることもあった。

 

昭和16年6月、彼は教師を辞め、南洋庁国語教科書編集書記というものになり、妻子を残して一人パラオ諸島に向かった。中島がどうして南洋に行く気になったかというと、それは何よりもその気候が持病の喘息にいいだろうと考えたからだが、実際に行ってみると発作がおさまるということはなく、ただ船に乗って島から島へ巡察を続けている間だけが、身体の具合が良かったということである。

 

中島は17年3月に東京に帰ってきた。彼はようやく宿願とも言える創作活動に打ち込むことができるかと思った。事実、彼は数か月間世田谷の父の家にあって専心、仕事に没頭したのであった。

しかし、彼の肉体はこのはげしい燃焼にたえられなかったのだ。

 

 

(氷上英広 中島敦 ―― 人と作品 より)

 

 

 

お久しぶりです。

体調回復のtonloveです。

 

今回は(先月お祝いするはずだった)

お誕生日の記事ということで、

敦先生自身のことを取り上げました。

 

上で紹介した文章は、

高校時代からのご友人である氷上さんの文章をギュッ!

と短くまとめたものです。

 

(氷上英広… ドイツ文学者・翻訳家

 中島敦全集の編纂や解説も手掛けた)

 

 

今回はあえて作品・年表的な部分は出来る限り外させてもらい、

敦先生の人となりが伝わる部分のみ残しました。

(古い言葉や句読点を整え、補足などもしています)

 

ご友人たちのことばは、敦先生の地の部分や

青年らしい姿がはっきり浮かび上がり、私は大好きです。

 

氷上さんがおっしゃっている通り、

「漢文調の難読な作家」

というイメージだけではもったいない!

 

お話を読むだけではわからなかったこと。

じかに接した方たちに「本当の中島敦」を伝えてもらえるのは、

とても貴重なことだと思っています。

 

ではまた。

最後までおつきあいありがとう♡

 「5.5 Happy Birtheday!」 tonlove

 

 

↓今回こちらから引用しました

かっこいい文スト表紙✩