恥の感情は死に最も近いと言われている。
侍が恥の感情を持ったときどうしたかを考えると、、、。
恥は日本の文化といわれるほど日本人になじみがある。
私は親から恥ずかしい存在として扱われてきた。
不登校、受験失敗、宗教に反抗的など。
もっというと、
習い事、友達関係、兄弟姉妹。
そんなこともできないの?
なんでやらないの?
あーあ、やらせとけばよかった。
やってもできないもんね?
屈辱的。
恥辱的。
私はきっと恥ずかしい存在なんだ。
親にとって。
そう扱われたから私は私を恥ずかしい存在として扱わないといけない。
恥とはなんだ?
社会的範囲意識であると私は思う。
想像しないでほしいが、
公園で友達と遊んでる時にすべり台にウンコをする。
仕事のデスクの上のパソコンに突然ウンコをする。
決して想像はしないでほしいが、
恥の感情がないとこれをしても何も思わない人間になってしまう。
恥の感情とは人間社会の中でこのようなルールから逸脱した行動を止めてくれるはたらきがあるのでは?と思う。
しかし、過剰になると
自分は恥ずかしい存在だ。
私はここにいてはいけない。
私は生きるべきではない。
私は死ぬべきだと思考と行動が過剰になってしまう。
必要なのは、
恥という感情を認めること。
みること。
感じること。
受け入れること。
許すこと。
敵じゃないと知ること。
私を守ってくれる機能であると知ること。
ただ、いまはもう過剰だからね。
もう大丈夫だよ。
そこまでしなくていいよと。
ただそこにあることを認める。
私は恥ずかしい存在だなんて、
勘違いだよ。
おわり。