今日は居合いの稽古でした、早一年やっと二段まで昇段しました。

 自分が武士ならと仮定して、稽古しますと、武士としての自分がどんなんかてのが観えてきます。

まーぼくの場合は切る事には興味ありませんね,
勝つ、負けないという境地でいると、美しく、自分の状態を見つめるために、刀を抜くことになります。

今の時代切るために刀を抜きません、そういう時代でもなかなか抜けないと思います、怖いですよ、抜いたらどちらか切られるわけですから、どちらも死にたくなかったら、抜けません。

昔の戦いには間合がありました、お互いを感じ、自分を見つめ生きるか死ぬかどうなるかは、勝負が付く前に決まっています。

 この時僕は自分を見つめることがいかに大切か知りました。

稽古の時間は仮想的を創りそれを切ります、負けは想定にありません、かならずすべて切ります、その完璧度を上げていくのです。そして、それを人生に反映していくのです。
何ゆえ、知らない事を知ったとき感動とタマシイの成長があるのだろうか、五感で感じれない、直に伝わるこの感じこそ大切に観てやらなくてはいけませんね。現実問題解決に役立ちますからね。

昨日キエフナイチンゲール合唱団の歌声を伊勢のカラス会とイナホの会とチェルノブイリに義援金を送り続けている石川さんが僕たちに届けてくれました。

少女たちの心の透き通る声にすべてを感じました。

タマシイから表現すれば世界は美しい。

 ただいま「操られた竜馬、明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン」を読書中、
過去をよく知れば今との因果関係があきらかになる。

嘘から派生した物は何処まで行っても嘘だ。長い歴史のその中にも嘘と本当が現れる、事実を知らなければヒトはいつまでも中庸を保ってしまう。

過去の社会事実を知ることが今自分の道を照らしてくれる,ならくへの道も照らしてくれる。
もひとつ道の行く先もわかる。

へんな言い方かもしれないけど、自分の幸せの目的地をさらに幸せに変えながら歩いていける。
過去にはそんな教えもあるような気がします。

因果応報、温故知新

毎年この季節、稲刈りが終わり、ちょうど新米の季節そしてアマテラスさんとトヨケさんが居られた所に新米を奉納する神嘗祭、生命の躍動感を感じる食に対する感謝のお祭り、タマシイの芯から涙があふれ出ようとしてきます。

 そしてその後僕たちのお茶室竹光庵の社中は、刈り取られたわらを束ねてコトバを書きます、字でもなく、見た感じ、水墨画のような、例えば、雲という字を雲のようにそのまんま書き、くもと読ませる。人それぞれの技法で、コトバができあがります。

 今年僕はタマシヰと書きます、その昔、魂はタマとシヰでした、そしてそれらを結ぶのはタマノヲ。
タマは大宇宙の中心〈アモト)から下ってきて、意識や記憶や良心などの働きがある。シヰは、地球から由来していて、肉体的な欲求の食欲やせい欲など、またたの名誉欲や物欲のなどの働きがある.タマノヲは、タマとシヰとお結び付ける働きをしていて、タラノホ(両親の炎)などの呼び名もある。


ホツマ辞典
池田満より一部抜粋

この大宇宙のこの地球に来た僕のタマシヰどう表現したらいいか、たのしみです。