10月17日戸野劇寄席も第二十回を終えました。
ネタ帳も二冊になりました。
まだまだ大威張りで「大入り満員」と、とても云えない状況ですが何人かのリピーターの方もいて徐々に落語ファンに知名度が届いているかなと思う今日この頃。
落語は良いですよ。私・管理人は志ん生ファンでiPhoneにいくつも噺を入れています。
でも
その楽しみ方はやっぱり「ライブ」なんですね。劇場で公演が始まって以来、感じてきた生の反応。その日その場にいるお客さんの反応って違いますし、噺家さんたちのその反応に呼応し変わっていく芸。その芸は映像には写りません。劇場に居ないとその芸はわかりません。
何年か前からの落語ブームで一般の方々にも「落語」ってお年寄りの娯楽というようなイメージも払拭され結構若年層にもその面白さが理解されていると思います。
ただ
人生を重ねて感じる落語の中の人情や生活の中の味わいがあります。子供のころは単にギャクとして捕らえて面白がる部分も実は深いって事もあります。
談志師曰く「落語とは人間の業の肯定」。人間なんてこんなもんだよ。ほら吹きで、不真面目で、怠け者で、滑稽で。そんな人間を落語は受け止めてくれるんです。ダメなものをしょうがねえ としてくれているんです。管理人は齢四十六にして嫁も子もいませんし、そんなに人生の機微も深みもありませんが貧乏は味わっています。(志ん生師いわく貧乏をするってもんじゃない。貧乏は味わう。)
「業の肯定」ってもんにどっぷり浸かりたいですね。
その昔の名人。私の場合昭和の四天王がぎりぎりでしょうか。数々のエピソードに噺家さんたちの芸に対する凄まじさを垣間見る事ができます。
例えば
誰が言ってたか忘れましたが「ロック」って音楽のジャンルの呼び名じゃなくて「その人の生き様」の呼び名という言葉があるんですが、一芸に秀でている名人には「ロック」を感じるんです私は。「落語」=「ロック」。
高座で口演する噺家さんたちの姿はまさにロックスターのライブです。