普段から母が仲良くしていた親戚で、よくお邪魔していた家ではあった
そこの家の年の離れた兄弟たちともよく遊んでもらっていた



しかし365日一緒に住む・しかも母が不在となると話が違う。

 

今までは母がいた空間にひとりきり。

泊まるとしても母が一緒。想像もつかない。

 

 


朝起きてから、ご飯の時間・メニュー・お風呂の入り方・寝るまでの過ごし方
家庭によって本当に細かに異なる。

新しい学校でも初めての転校・都会の人たち・方言の違いに苦労していた。

 


でも、そもそもあまり自ら意見を言うタイプではなかったのと
環境の変化に萎縮してしまい、何も言えず過ごしていた。


お風呂のタオルを2,3日洗わずに毎日使用後干して乾かして連続で使う事
 

家ではお茶碗をもって食べるのが普通だったのに、持って食べてはいけない事
 

その家の父・昔で言う家長には敬語で話さないといけない事
 

 

家長はよくお酒を飲んで私を説教した。
おまえは今までどんな育て方をされてきたんだと。


何を言い返せばいいのかわからない。
自分が今まで普通と思っていた事が覆されること、
自分の味方がいないこと。
嫌な事を嫌といえないこと。

 


何も言えず、誰にも話せず。

 

たまにようすを見に来る母にも、

そんな事を言って自分が困らせたら母が。親戚が。困ってしまう。

 

 

結果、家でどんどん無口になっていった
 

 

私は望まれた子供だったと誰かが言っていた
母も祖父母も周囲の人たちも大層かわいがってくれたと


過保護だったなと思う今も確かに感じる節はあった


でも、幼少期からの過剰な習い事や

周囲からの必要以上の期待が私の重荷になっていた事は

身内の誰もが気づかなかったのだろうか。

 


母と父の都合で優先したのは結局可愛い子供ではなく、ただ単純な世間体で
この事も私はつい最近まで、離婚するためだと思っていた。

だからその行為に対しても仕方なかった事だと思っていた。

 

幼少期から母と父の喧嘩は絶えず

ヒステリックな母と

普段寡黙な父がキレてふるう暴力に

いつも玄関で当時飼っていた犬を抱きしめて終わるのを待つしか出来なかった。

 

だからこそ、その環境の変化を受け入れるしかないと思ってた。

 

 

 

しかし、実際はそうではなく、父には出来ない役割を任されることを恐れた母がとった行動は

 

親戚の家に私を一人居候させることだった。


子供の気持ちを聞く事もなく、

当時8歳前後の私がまだまだ母を、自分の家を恋しがるだろうということも思わず

父と母、いや家の体裁を守るために、必要以上に世間体を気にする母がとった行動に
私がどれだけ辛く寂しかったかはもう当人達に伝える事はできないけれど。